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sonata19
§・・§・・§・・§
生徒会室で、木崎さんに藤堂さんとの事を話してから数日。
明らかに、木崎さんの態度がおかしくなった。
おかしいというより、……冷たくなった?
「あれ? …ねぇ、木崎会長、湊君が通ったのに無視したよね?」
「えぇ? 気付かなかっただけじゃない?」
「そんな事ないよ、今までの会長だったら気付かないって事自体がないでしょ」
「…って事は、とうとう捨てられたって事か?」
近くにいた生徒達のヒソヒソ話が耳に入った。
そして、通り過ぎて行った木崎さんの話し声が徐々に離れていく。
今までだったら、こうやって廊下で会った時は間違いなく絡まれた。
それが今日は、俺の姿なんてまったく視界入っていない様子で完全にシャットアウト。
おまけに、これまで木崎さんが嫌っていた自分のファンの子の一人と、物凄く楽しそうに話をしていた。
その子が教科書を落としそうになった時、優しくそれを支えてあげたり、滅多に見せないような微笑みを浮かべたり…。
思い起こせば昨日もそうだった。
今までは自ら関わろうとしていなかった周囲の生徒達と楽しそうに話をしていたから、それに気付いて遠くから会釈をしたのに、まるで気付かなかったように視線を逸らされた。
昨日は気のせいかもしれないって思ったけれど、これはもう気のせいなんかじゃない、意図的に俺の事を無視している。
中等部から奏華に入り、すぐに木崎さんと親しくなった。それから今日までの間、こんな態度をとられた事はない。
この前の藤堂さんの話が悪かったのか? 普通科の会長と親しくする事は、やっぱりダメだった?
移動教室先に向かいながら、よくわからない息苦しさに俯いて溜息を吐きだした。
「湊君、やる気はあるんですか? こんな気持ちの入っていない音を出すくらいならレッスンに来なくていい」
午後のレッスン中。
ここ数日の木崎さんの態度が心に引っ掛かってしまい、どうにもこうにも上の空となりながらピアノを弾いていた途中で、とうとう佐藤先生から叱責を受けてしまった。
自分でも心ここにあらずだった事を自覚していた為に、言い訳する事も出来ず黙りこんでいたら、そのままレッスン室から追い出されてしまった。
追い出される時、後ろで控えていたグループ内の一人がニヤリと笑った事さえ、もうどうでもいい。
…何やってるんだよ俺は。
自分の不甲斐なさに泣きたくなる。
どうしてここまで木崎さんの行動に振り回されているのかわからない。
別にどうでもいい、親しくしなければ周囲からの妬みの嫌がらせも減るだろう…、って喜べばいいのに、実際に感じているのはモヤモヤする苦しさだけ。
親しくしていれば周囲から嫌がらせをされ、そして今は木崎さん本人から突き放されて動揺している。
「…もう…、たくさんだ」
奥歯を噛みしめ、握った拳を廊下の壁に叩きつける事で、この数日持て余し気味だった苛立ちを吐きだした。
本日最後の音楽理論の授業が終わると同時に、即座に席を立って教室を出た。
通り際、都築が何か言いたげな目でこっちを見ていた事に気付いたけれど、一刻も早く教室を出たかった俺は、申し訳なくもそれを無視して歩き出した。
もちろん向かう先は中庭。
誰もいなくて、一人で考えるにはうってつけの場所。そして、絶対に木崎さんと会う事が無い場所でもある。
今の俺には、唯一気を抜ける場所かもしれない。
今日一日でだいぶ擦り減ってしまった神経を抱えながら遊歩道を歩き、いつものとおりに噴水の見えるベンチに座る。
そこでやっとホッと息がつけた。
徐々に徐々に増えていく噂話。耳に入れたくなくても、そこかしこで話をされれば嫌でも聞こえてしまう。
大抵は、『とうとう木崎会長が湊響也を見限った』という内容だ。
この数日で一気に広まった噂。そして一気に冷え切った木崎さんとの仲。
思い当たるきっかけはただ一つ、藤堂さんとの事だけ。
開いて座っていた両膝の上に肘を着き、組んだ両手の甲に俯いた額を押し当てた。
いったいどうすればいいのかわからない。
このまま何事もなかったように木崎さんと離れれば、たぶんこれから俺は平穏無事に過ごす事が出来るだろう。
それがわかっているのに、心のもう半分では、木崎さんと話せなくなる事を辛く思っている自分がいる。
本当によくわからない。木崎さんの考えもわからなければ、自分の感情もわからない。
深く溜息を吐きだした、その時。
「どうした、気分でも悪いのか?」
馴染みのある落ち着いた低い声に、肩がビクっと震えた。
俯いていた体を起こして横を見ると、相変わらずの威風堂々とした様子の藤堂さんが歩み寄ってくる姿があった。
「…藤堂さん…」
口から零れた相手の名が、妙に弱々しく響く。
それに気が付いたのか、藤堂さんの眉間にグッと皺が寄った。
「何があった?」
そう聞きながら隣に座る相手からは、これでもかというくらい心配している空気が漂ってくる。
いつもまっすぐに向けられる藤堂さんの強い眼差しが苦しくて、そっと視線を外して正面を向いた。
「…言いたくなければ言わなくていい。けれど忘れるな。俺はいつでもお前の助けになりたいと思っている」
黙っている俺に気分を害する事もなくそんな事を言ってくれる藤堂さんに、不覚にも涙が零れそうになった。
…なんでこの人はいつも優しいんだろう…。感情的になる事もなく、安心して傍にいられる。常になんらかの感情の波をもたらす木崎さんとは大違いだ。
今まで恋愛的な意味で人を好きになった事はないけれど、この藤堂さんに対する安らぎは、もしかしたらそういう事なのかもしれない。
好きな相手といると心が安らぐと聞いたことがある。
男同士だからそんなのありえないとも思うけれど、でも、この安心感を他の人に感じた事は一度もない。
これが恋愛感情なのかはまだよくわからない。でも、そんな風に思ってしまう。
それから暫く、俺達はなんの言葉も交わさず静かにそこに座っていた。
そのうち、徐々に気持ちが落ち着いてくると共に、自然と口から言葉が溢れだす。
「…この数日、木崎さんと話をしていないんです」
そう言った瞬間、藤堂さんがこっちを見たのがわかった。
優しく見守るような視線に勇気づけられて、ポツリポツリと言葉がこぼれおちる。
「…やっぱり、藤堂さんとここで会っている事はよくなかったみたいで、その話をしてから木崎さんに口をきいてもらえなくなりました。俺の浅はかな行動で、いつもあの人に迷惑をかけてる。…今度こそ…、もう完全に見限られたかもしれない…」
全てを吐き出すと、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。この不安感を誰かに知ってもらえただけで、気持ちが軽くなる。
ハァ…と嘆息してベンチの背もたれに深々と寄り掛かったが、今度は何故か藤堂さんの口から溜息が零れだした。
「…藤堂さん?」
隣に座る相手の顔には、珍しくどこか苦渋めいたものが浮かんでいる。
何か言いたい事があるんだろうと待ってみたけれど、結局それから藤堂さんは何も言わず、何故そんな顔をしたのかわからずじまいだった。
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