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sonata20
§・・§・・§・・§
木崎さんと関わらなくなって既に10日がたつ。
放課後は、藤堂さんと過ごす時間が多くなった。
中庭での時間が、今の俺の心の拠り所と言ってもいいくらい、本当に安らぐ時間となっている。
そのおかげかレッスンにも身が入るようになり、こうなった当初のように佐藤先生から叱責される事もなくなった。
このまま何事もなく、木崎さんとの関係は薄れて消えていくのだろうか。
朝。
教室に向かって廊下を歩きながら、朝日が差し込む窓ガラス越しに外の景色を眺めて溜息を吐いた。
高等部に入ってからというもの、自分がどんどん暗くて女々しくなっていく気がする。
中等部にいた頃は、ここまで色んな事に頭を悩ませる事なんてなかったのに。
今は全ての事がドロドロとした澱となって自分自身に纏わりついているような…、そんな息苦しさばかり感じる。
自分が変わったのか、周囲が変わったのか。
ただ一つだけわかるのは、俺ってこんなに精神的に弱かったんだな…、って事だけ。
木崎さんや棗先輩、そして藤堂さんや都築。
彼らとの付き合いを全て自分の中から消して日常での雑念を振り払い、音楽だけに集中した方が心穏やかでいられるかもしれない。
思いついたその考えが、良い事なのか悪い事なのか。
それすらも判断できないまま、握った拳にグッと力を入れて歩く速度を速めた。
「木崎会長! 今日のお昼、僕と一緒に食べませんか?」
2時間目の授業が終わり、廊下で数学の教師と話していた俺の耳に入った誰かの声。そこに出てきた名前に、咄嗟に視線を向けてしまった。
見なければ良かった…、なんて思ってももう遅い。
視界に入ったのは、Aクラスのピアノ科の生徒が、上の階から下りてきた木崎さんを階段下で捕まえて可愛らしく微笑みかけている姿だった。
すぐに顔を逸らそうとしたものの、何気なく視線を上げた木崎さんとしっかり目が合ってしまえば、そのまま固まる事しかできず…。
でも、不意打ちと感じたのは向こうも同じだったようだ。驚いたのかどうかはわからないけど、一瞬目を瞠ったように見えた。
それでもすぐに口端を引き上げてニヤリと笑った木崎さんは、まるで俺に見せつけるようにその生徒の肩を抱き、
「あぁ、今日は彼方もいないし、ちょうどいい」
そう言ってワザワザ俺のいる方向に歩いてきて、横を通り過ぎていった。
木崎さんに肩を抱かれていた生徒の嬉しそうな顔が、目に焼き付いて離れない。
…なんなんだよ……っ…。
胸に込み上げる苛立ちに奥歯をグッと噛みしめていると、
「…湊君?」
さっきまで話をしていた数学教師が、俺の事を怪訝そうに見ていた。
「す…みません」
謝ってから話の続きを再開したものの、その内容は全く頭に入って来なかった。
午前の授業全てが終わり、ようやく訪れた昼休み。
2時間目の休み時間に遭遇した木崎さんの行動が頭の中をグルグルと回ったまま、食欲さえもわかない。
いつもなら、居心地の悪い教室から早々に出ていただろう。けれど、木崎さんと離れた事で想像以上に妬みの視線が減り、皮肉にも以前より居心地が良くなったと感じる。
下手に出歩いて木崎さんと顔を合わせてしまうよりも、大人しく教室で寝ていた方がいい。
そんなモヤモヤした気持ちを抱えながら、上半身を机に伏せて目を閉じた。
嫌がらせ、視線、ヒソヒソ話。久し振りにそれらから解放されると、いかに今までが異常だったかがよくわかる。
この数日、音楽科生徒達の妬みは、木崎さんと行動を共にしている数人の生徒に向けられている。
自分が注目されない事がこんなに楽だったなんて思わなかった。
木崎さんが離れてくれて助かったな。
…それが本心のはずなのに、何故か心は晴れない。
それどころか、意味のわからない苦しさは増すばかり。
机に伏せて目を閉じたまま溜息を吐いていると、突然誰かの手が頭をグシャリと撫でてきた。
さすがに驚いて身体を起こす。
「昼、食べないのか?」
「…都築…」
いつものように眠そうに目を細めた都築が横に立っていた。
「ここから出たくないって言うなら、購買に行くついでに何か買ってきてやる」
「…都築」
胸の内が全て見透かされているような言葉に、二の句が告げなくなった。
そんな俺を見て、珍しくフっと笑っている。
「さっきから俺の名前しか言わないな」
「………」
どこかで覚えのあるやりとりに、少し恥ずかしくなった。
「ありがとう。…それなら、何か適当にパンを買ってきてもらってもいいか?」
「あぁ、わかった」
軽く頷いた都築は、後ろ手に手を振って教室を出て行った。
さりげない気遣いに、心のどこかがフワッと暖かくなる。
こうやって気にかけてくれる友人がいるんだ、もっとポジティブにいかなければ、俺はどんどんダメになる。
ふと振り向いた視線の先、窓の外に見えた晴天の蒼がスーッと心に染み込んだ。
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