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sonata23
メモを読んだ時から何も手がつかず、気が付けば約束の時間が目前に迫っていた。
携帯の画面に表示されている17時45分の文字が緊張を強いる。
屋上へ向かう階段を上りながら、(なんの話をされるんだろう…)と、この数時間ずっと脳内を駆け巡っていた疑問が再度巡る。
でも、その答えももう少しでわかる。
良くも悪くも、今の膠着状態から少しでも変化が起きるのなら、もうなんでもいい。
梅雨に入りかけの為か、空気の中にどこか淀んだ湿度が含まれているけれど、そんな不快感すら気にならないくらいに気持ちが逸った。
そして、階段の最後の段に足をかける。
目の前には屋上へ続く扉。その前で一度深く呼吸をした。
よし、行こう。
意を決して鉄の扉を開けた。
夕闇が訪れようとしている薄暗い屋上。扉を開けた事によって、校舎内へ流れ込む風が髪を揺らす。
外へ足を踏み出して周囲を見渡した。
「………」
誰の影も気配も無い事がわかった瞬間、一気に体の力が抜ける。
どうやらまだ木崎さんは来ていないらしい。
それまで激しく鼓動を打っていた心臓が少しだけ落ち着きを取り戻し、とりあえずフェンスへ向かって歩き出した。
数日振りにまともに会う。どんな顔をすればいいんだろう。
目の前のフェンスを掴むと、カシャンという小さな音が鳴った。
そして、時折気まぐれに吹く風が首筋に涼しさを運び込む。
ホッと息を吐きだしたその時。
ガチャ、とも、ガンッ、ともとれる音が背後から聞こえた。
これは屋上の鉄扉が開く音。
…来た…。
落ち着いたはずの心臓がまた煩くなる。心なしか手の平に汗が滲み出て来た。
出来るだけ落ち着いた自分を心がけながら振り向くと、そこにいたのは、
「………?」
見知らぬ二人の生徒だった。
木崎さんじゃなかったのか、と思う前にある一つの疑問が湧き起こる。
ここは、上位者しか入ってはいけないという屋上だ。
さすがに音楽科の上位者の顔くらいは全員覚えている。その中に彼らの顔はない。
という事は、彼らは一般生徒という事。
それが何故ここに?
「……ここは、一般生徒は立ち入り禁止ですけど」
この規則を知らない生徒はいないはずだ。
そう思いながら穏やかに規則違反を告げたけれど、返ってきた言葉は、
「そんなの知ってるに決まってるだろ」
というものだった。
おまけに、二人の顔にはひどく醜い嫌な感じのする笑いが浮かんでいる。
…なんだ?
第六感が告げる警鐘に眉を寄せると、彼らは何の躊躇いも足を進めて目の前まで歩み寄ってきた。
2人共に体格身長は俺より少しだけ大きい。
どことなく醸し出される迫力に自然と体は後退ろうとするも、すぐ後ろにあったフェンスにぶつかってしまえばそれ以上さがる事はできない
「ここは上位者しか入れない。だから呼び出せば何の疑いもなく来るとは思ってたけど、本当に来たんだな」
「ハッ! 馬鹿じゃねぇ? 見捨てたお前を、今さら会長が呼び出す訳ないだろ?」
「自惚れんのもいい加減にしろよ」
「一年の癖に上位者に入るなんて生意気なんだよ!」
「会長に見捨てられた今なら、お前に何があったってもう誰も庇う奴はいない」
目の前から次々と投げつけられる言葉に茫然としていると、そんな俺が可笑しいとばかりに笑いだした。
…あのメモは、木崎さんじゃなかった…。今更俺と話をしようなんて、そんな事をあの人が思うはずないんだ…。
この二人に騙されたショックよりも、あのメモが木崎さんからのものじゃなかった事にショックを受けた。
やっぱりもう木崎さんの中に俺の存在はいないんだという事を、実感した。
「お前さー、もうここ辞めろよ」
「お前なんてピアノがなければクソ生意気なだけのただのガキなんだぜ? イイ気になってるけど、ピアノがなければ誰もお前の事なんて見向きもしないんだってわかってる?」
「しょうがねぇから、それを自覚できるようにお前を一般人に戻してやるよ」
ニヤニヤ笑いながらの言葉に、ふと我に返った。
一般人に戻してやるってどういう事?
「それ、どういう……ッ…何をっ!」
突然肩を掴まれたかと思えば、次に足元を払われてうつ伏せに倒された。
咄嗟に起きあがろうとしたけれど、それより早く一人が背に乗って後頭部を押さえつけてくる。
コンクリートに頬が擦りつけられて思わず呻き声が零れた。
「腕の一本でも折れば一般人に戻れるだろ?」
「どうせなら、二度と戻って来れないように指も全部折ってやろうか?」
耳障りな引き攣った笑い声。
背筋に走る冷たい恐怖。
…嘘だろ…、冗談じゃない。
焦燥感に駆られ、なんとか身体起こそうと地面に手を着いて体を持ち上げようとしたけれど、そんな俺の意図に気が付いたのか、上に圧し掛かっている方じゃないもう一人が俺の腕をグイっと掴んだ。
「往生際が悪いんだよ! 中等部の頃から目障りだったんだ! 会長達に見放された今の内にお前を潰してやる!!」
嫉妬に満ちた声と共に、掴まれた腕が背の方向に向かって捩じり上げられた。
本来なら曲がる方向ではないその向きに、肩がギシリと鳴る。
苦痛を長引かせたいのかなんなのか、徐々に徐々にゆっくりと反らされていく腕の痛みに額から汗が滲みでてくる。
…イヤだ…、…ッ…ピアノは…音楽は、俺の全てなのに…っ。こんな事で弾けなくなるなんて、絶対にイヤだ!!
痛みに比例して湧き起こる焦燥と、振り払えない自分への情けなさ、そして歪んだ考えを持つこの二人に対する怒りに、悔しくて涙が出そうになる。
反らされた腕が限界を訴えてギシリと嫌な音を鳴らした瞬間、
「…ッ…やめろ!!!!」
唇から叫びともとれる声が溢れ出た。
途端に激しく笑いだす2人。
いやだ…ッ、諦めたくない!!
爆発しそうな感情にグッと喉が鳴った。
その時、
「何してはるん?」
自分達以外は誰もいないと思った屋上に、場の緊張にそぐわないのんびりした声が響き渡った。
俺以上に2人の方が驚いたらしく、腕を捩じり上げていた手から力が抜け、限界だった痛みが少しだけ治まる。
「…っ…貴方は…」
「何してはるの?」
後頭部を押さえつけられて地に顔を伏せている俺には、近づいてくる相手の顔が見えない。
けれど、この二人の動揺する様子、そしてここが屋上という場所から、音楽科上位者の誰かだろうと判断はついた。
…でも…、こんな話し方の人、知らない…。
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