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canon20

そんな状態で練習をしたって身に入るはずがない。 午後の練習は本当に散々だった。これならやっても意味はないという程に。 18時になって携帯のアラームが鳴った瞬間、思いっきり深い溜息を吐きだして椅子の背もたれに寄り掛かった。 譜面台に立てかけてある楽譜の端がエアコンの風を受けて揺れているのをぼんやりと眺めながら、前髪をぐしゃりとかき上げる。 …認めたくないけど、嫉妬、だよな、これ…。 両想いになった途端、溢れるように湧きだしてくる独占欲。 木崎さんに嫉妬された時は、戸惑いと共に嬉しさを感じた。でも、木崎さん自身は嫉妬される事を鬱陶しいと思うタイプだろう。 今までの他の人に対する態度を見ればわかる。 だからと言って、自然と湧きあがってくるこの嫉妬心をすぐさま消せるはずもない。 「…会いたくないな…」 せめて一晩明けてからでないと、木崎さんに八つ当たりしてしまいそうだ。 でも、神様はとことん俺には優しくないらしい。 突然ギシリと音がしたかと思えば、密閉された空間が開かれた事がわかる空気の流れを感じた。 ハッと振り向いた先で、あまり機嫌の宜しくなさそうな木崎さんが姿を現す。 一歩室内に入り、そしてまた静かに扉が閉ざされると、部屋の中は元の通りにシンと静まりかえった。 毎回思うけど、こういうのは心臓に悪いからやめてほしい。 無言で腕を組み、閉じた扉に寄りかかる姿。責めているように感じられる眼差しを向けられて、思わず口が動いた。 「…なんの用ですか」 痛い沈黙に耐えきれず発した声は、自分が思った以上に沈鬱なものとなった。 こんな言い方をするつもりじゃなかったのに…。 悔やんでももう遅い。 案の定、木崎さんは苛立ったように嘆息した。 「それはこっちのセリフだ。何が気に入らない?言いたい事があるなら言えばいいだろ」 「別に、何も」 「それなら昼のあの態度はなんだ」 「…あれ、は」 一番突かれたくない事を見事に突かれて押し黙る。 “鬼原に嫉妬しました”“仲良くしないでほしい” 嫉妬を鬱陶しいと思うだろうこの人に、そんな事言えるわけがない。変な事を言って嫌われたくない。 唇を噛みしめて押し黙る事しかできない自分。持て余すこの感情をどう処理すればいいのかわからない。 何も言わない俺に、木崎さんが苛立っているのがわかる。 そんな居心地の悪い沈黙が続く中、暫くして小さな音が耳に入った。 それは確かめるまでもなく木崎さんの足音。 俯き気味でいた俺の顎先にかかった指にグイッと引き上げられた先、怒っているのかと思った木崎さんの顔に浮かんでいたのは、意外な事に困惑の表情だった。 「…対等になれと言っても、まだ無理か?」 「え?」 「遠慮するな、我儘でもなんでも思った事を言え。…っていうのは、お前にとって難しい事か?」 「…木崎、さん…」 思わぬ言葉に、目を見開いた。 面倒くさい事を嫌うはずの人なのに、我儘でもなんでも言えだなんて、そんな…。 「…だって、木崎さん…、面倒臭い事とか鬱陶しい事、嫌いじゃないですか」 「あぁ」 「だから俺は…、」 「お前は違うだろ」 「……違う…って」 「他の奴にはそうだとしても、お前に対して面倒くさいとか鬱陶しいなんて誰が思うかよ。逆にそういう我儘が嬉しいと思う俺の気持ちを少しは察しろ」 「…………」 なんだこの殺し文句……。頭が爆発しそう。 言外に、“お前は特別だ”と言われているみたいじゃないか…。 あまりに恥ずかしくて視線をウロウロと彷徨わせていると、顎先にあった指がするりと頬にまわってその大きな手の平で左頬を温かく包まれた。 「俺に対する文句でも愚痴でも我が儘でも、なんでもいいからお前の思っている事を全部言え。溜めこむな」 そう言う木崎さんの目が微かに笑んだのがわかった。 衝動的に抱きつきたくなる気持ちをなんとか堪える事に精一杯で、咄嗟に言葉が出てこない。 優しさが嬉しくて眩暈がしそう。 気持ちを落ち着かせようと吐き出した息がどことなく熱っぽく感じるまま、自然と口が動き出す。 「昼に、木崎さんと鬼原が二人でいるのを見て、凄くイヤな気持ちになったんです。…俺以外と親しくしないでほしいなんて、そんな事を思う俺って何様だよって…。でもイヤな気持ちを抑える事が出来なくて。鬼原の事嫌いじゃないのにそんな風に思う自分が、どこまでも勝手に思えて…。…すみません」 吐き出した事で楽になったけれど、今度は身の置き所がない居たたまれなさに襲われる。 それなのに、木崎さんから返ってきたのは、妙に嬉しそうな明るい声だった。 「バーカ。なに謝ってんだ」 「だって、俺は…」 「それはお前が俺に対して独占欲を持ってくれたって事だろ。要は、お前は俺の事が好きだって言ってるようなものだ。謝る必要がどこにある」 「……っ」 俺が、木崎さんを好きだと言っているようなもの。 それは、遠まわしに告白したみたいになってるという事で…。 …どうしよう。恥ずかしすぎて本気でここから逃げ出したい。 あまりの羞恥に全身から湯気が出そうになる。 いまだに頬にある木崎さんの手が灼熱の温度を伝えてくるように感じて、ついついその手首を掴んで顔から離させた。 何か言われるかと思ったけど、木崎さんはされるがままに楽しそうにしている。 そして、さっきまで俺に触れていた手で頭をポンポンと軽く叩かれた。 まるで子供に対するようなそれにどうしていいかわからず固まっていると、ゆっくりと木崎さんの顔が近付いてきて…。 額にそっと唇が触れた。 それはどこか優しくて、まるで壊れ物でも扱うかのような丁寧さだった。

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