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canon26

§・・§・・§・・§ 陽の落ちかかった放課後。 数日たってもいまだ乱れる心に蓋をしたまま、オレンジ色に染まりかけている廊下を個人練習室へ向かって進む。 9月が始まってまだ5日なのに、今ではもう二条先輩が木崎さんの恋人だと誰も疑わなくなっていた。 それほどに、いつもべったりとくっついているらしい。 出来るだけ会わないように行動しているせいか、とりあえず二人に遭遇していないのがせめてもの救いだ。 目の前でそんな様子を見てしまったら、自分がどうなるのかわからない。 ここのところ癖になってしまったようで、気付けば自然と溜息が零れ落ちる。 今の逃げ場は、コンテストに向けての練習としてピアノに向かい合っている時だけ。 その時だけは、木崎さんの事を忘れていられる。 既に聖域とも呼べる状況になっている個人練習室へ向かう足は、いつの間にか早足となっていた。 「あ、木崎会長と二条先輩だ」 「今日も一緒なんだ」 「なんかもうムカつきを通り越して胸やけしそう」 斜め前を歩いていた誰かの声に、背筋がヒヤリと震える。 …まさか…。 斜め下に向けていた視線を上げれば、予想通り、前方に二人の姿があった。 実際に一緒にいるのは初めて見る。 二条先輩は木崎さんの腕に抱き付き、仲良さそうに並んで歩いていた。 こっちに向かって歩いてくるという事は、このままだと顔を合わせてしまう事になる。 距離が近づくに従って、心臓が物凄い速さで鼓動を刻む。 どうしても視線が外せない俺に気がついたのは、二条先輩の方が先だった。 俺と目が合った瞬間、驚いたように瞠目するも、それはすぐに満面の笑みに変わる。 勝利者の笑み。 次に、そんな二条先輩を見て、木崎さんが俺に気がつく。 でも木崎さんは二条先輩ほどの反応も見せず、まったくの見ず知らずの他人と目が合ったかのようにスッと視線を逸らした。 …痛くて痛くて…………痛い…。 横を通り過ぎる時、二条先輩が鼻で笑ったような気がしたけれど、気のせいか。 それすらわからない程に動揺していた俺は、やっぱり今回も正面を見ておらず、目の前から来た誰かに思いっきりぶつかってしまった。 「…ッ…すみません!」 最近、気がそぞろなせいか、よく人にぶつかっている気がする。 我に返って前を向けば、ヒョロリと細長い人物が上から俺を見下ろしていた。 …いや…、“たぶん”見下ろしていると思う。 いつもの如く目元が見えず、実際にどこを見ているのかわからない。 「…柳先輩…」 「よう前を見て歩かんと危険どっしゃろ?…って、もうぶつかってんけどなぁ」 はんなりとしたイントネーションで言った柳先輩は、口元だけで薄らと笑い、俺の頭をぐしゃりと撫でた。 それまで木崎さん達を見ていた周りの生徒達は、柳先輩という珍しい人物の登場に、今度はこっちをチラチラと気にし始める。 居心地の悪さに眉を顰めていると、柳先輩がフッと笑った気配を感じた。 少しだけ目線を上げて窺い見た顔には、何故か挑戦的な笑みを浮かべている。それも俺の後方へと視線を向けて。 …誰に対して? そう疑問に思ったのも束の間、俺が見ている事に気がついた先輩はすぐに視線をこっちに戻して何事もなかったように無表情に戻った。 「そないにボーっとしてたらあきまへんえ。あのアホ会長と縁が切れたかて、悲しむ必要なんてどこにもあらへん」 「…柳先輩」 ビックリした。 木崎さんと二条先輩の噂は知っているだろうけど、何故それで俺と木崎さんが関わらなくなったと、…そして俺が落ち込んでいる事を知っているのか。 それも、普段はあまり関わりのない柳先輩が。 驚きすぎて目の前に立つ相手を凝視していると、その顔がスッと降りてきて耳元に唇が寄せられた。 「自分が背負う責任がいくら重くとも、それを上手く処理しきれずに相手を悲しませるなら、所詮それまでの男という事だ」 「え?」 突然の標準語と低い声。そしてどこに繋がるのかよくわからない言葉。 今のは一体誰の事を言っているのか。 状況的に木崎さんの事のような気がするけれど、…背負う責任?それはどういう事? 何がなんだかわからずに固まる俺を見た柳先輩は、元の体勢に戻ってまた薄らと笑みを浮かべ、 「僕にしとき?僕やったらそないな顔させへん自信あるわ」 そう言った。 でも、俺からの返事を求めるつもりはなかったらしく、言うだけ言った柳先輩はもう一度俺の頭を軽く撫でて歩き去ってしまった。 こうやって言葉を交わすようになってからは、“変人”というのは単なる噂に過ぎないとわかったけれど、わかりづらい人なのは確かだと思う。 奥が深過ぎてまったく読めない。 気が付けばもういなくなっている木崎さん達と、マイペースに去ってしまった柳先輩。 そして、落ちていた気分が少しだけ浮上している俺。 意図的なのかそうじゃないのかわからないけど、気を紛らわせてくれた柳先輩に感謝したくなった。

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