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canon29

御厨先輩の顔には、相変わらずなんの表情も浮かんでいない。 そんな無表情で馬鹿だと言われた事なんていまだかつてなく、なんだか妙に可笑しくなってきた。 「そうですね…、本当に馬鹿だと思います」 笑い混じりに言う俺を見る御厨先輩の顔が、尚更呆れたようなものになる。 「自覚があるのなら落ち込む必要はないだろ」 何を当たり前の事を…と言わんばかりの口調に、まったくだ、と今度こそ本当に笑い声を上げた。 物凄くわかりづらいけど、どうやら御厨先輩なりに慰めてくれているらしい。 この人らしくない言動。でも、どこかくすぐったさを感じる。 表情も変わらず、ひとの事を馬鹿者だと面と向かって言うなんて、普通なら喧嘩を売っているようにしかとれないだろう。 なんて不器用な人だ。 「御厨先輩は、なんでも知ってるんですね」 「当たり前だ、私を誰だと思っている」 「風紀委員長様です」 「わかっているならいい」 この人の偉そうな態度が可愛く見えてしまうなんて、以前だったらありえない。 でも少し近づいてみれば、この人が実は優しく公平な人間である事はすぐにわかる。 三年生を差し置いて、二年生の前半期で既にその肩書をもっている事実が、この人物の内面がどういうものかを如実に示している。 「…木崎は、いいかげんなように見えて、その実しっかりとしたものをもっている奴だ」 突然告げられた言葉。 普段は犬猿の仲とも言えるほど仲が悪いこの人から、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。 俺が目を見開いて固まった事に気がついた御厨先輩は、珍しく苦笑いをのようなものを浮かべた。 「生活態度はともかく、これでもアイツの事は認めている」 「そう…だったんですか…」 「今こんな事を言っても仕方のない事だが、お前に関わらなくなったのはアイツなりに何か考えがあっての事だと思う。軽い思い付きの行動ではないはずだ」 「…はい」 「だからこそ、アイツの態度が簡単に元に戻る事はない。その考えの根本が覆されない限りはな。それなら、こうやって落ち込んでいてもお前の為にはならない。私の言いたい事がわかるか?」 「……はい、よく、わかります」 御厨先輩の言っている事は厳しい。でも正論だ。 悩んでどうにかなるなら悩めばいい。でも、悩んでもどうにもならない事なら悩んでも仕方がない。 本当にその通りだ。 だからこそ、余計にへこんだ。 …それは、俺が何をしても、木崎さんとは元通りにならないという事だから。 沈んだ俺に、御厨先輩は一言、 「だからと言って、後輩を振り回すアイツの所業自体は許せないがな」 そう言った。 やはり慰めてくれているような御厨先輩に、少しだけ心が軽くなる。 こうやって気にかけてくれる人がいるんだから、落ち込んでばかりもいられない。 棗先輩や柳先輩、そして御厨先輩…。 先輩達は、俺と木崎さんが短期間とはいえ付き合っていた事は知らないと思う。でも、今のこの状況がおかしなものだという事はわかっていて、そして励ましてくれる。 これ以上グダグダ悩んでいるところを見せていたら、余計な心配をかけてしまう。 「御厨先輩」 「なんだ」 「ありがとうございます」 そう言って笑いかけたら、一瞬戸惑ったように瞳を揺らした先輩は、 「私は何もしていない。ただ、お前がいつまでも暗いままでいたら校内の風紀が乱れると思ったから言ったまでだ」 視線を横に逸らしてそう言った。 無理やり過ぎる回答に、思わず笑いそうになったのをなんとか堪えた俺は偉いと思う。 だって、俺が落ち込む事で校内の風紀が乱れるなんてありえないのだから。 たぶんこの様子だと、わざわざ俺を探してここに来てくれたのだろう。 厳しいだけじゃない、この優しさが他のみんなにも伝わればいいのに。 「先輩は、まだここにいますか?」 「いや、用は済んだから戻る」 「それなら一緒に戻りましょう」 「………いいだろう」 なんでもないように頷いた先輩だったけど、俺は見た。その口元に僅かな笑みが浮かんでいた事を。

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