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canon30

§・・§・・§・・§ 『音楽科の木崎生徒会長が、同じクラスでピアノ科6番席にある二条志摩と正式に付き合いだしたらしい』 そんな噂が普通科でも囁かれるのは、良くも悪くもそれだけ木崎皇志という人物が有名だからだ。 違う科にまで噂が流れる事からして、その注目度は推して量るまでもない。 そして、生徒達が知っている噂を生徒会が知らぬはずもなく…。 放課後の普通科生徒会室には、書記と会計の他、難しい表情をしたまま仕事をする藤堂と、それを見つめる飛奈がいた。 「…尚士、今朝から眉間の皺が凄いですよ。どうしたんですか?」 「あぁ、すまない。…少し…な」 言葉少なに返事をする藤堂の様子に、飛奈はひっそりと唇を噛みしめた。 原因は明らかに木崎の噂だ。そこから繋がるのは、湊響也の存在で間違いないだろう。 何故そこまで気にかけるのか…。その先にあるものを考えたくない。 「尚士、あの…、」 「悪い、瑞樹。少し席を外す」 「…あ…、はい。わかりました」 言いかけた言葉は飲み込むしかない。 飛奈は、席から立ち上がり生徒会室を出ていく幼馴染の姿を、何かを堪えるようにクッと息を詰めながら見送った。 …ここが逃げ場所みたいになってる。 放課後の中庭。響也は噴水の前に立って自嘲を浮かべた。 二人の噂も聞きたくないし、それ以上に木崎さんの姿を見たくない。 いつまでこうやって逃げているのか、自分の女々しさに呆れを通り越して笑うばかり。 どうしたら綺麗さっぱり忘れる事が出来るのだろう。 思い返せば、ここまで誰かを好きになったことはない。なんとなくいいなーぐらいの恋しかした事がなかったのを考えると、ひょっとしたら本当の初恋は今なのかも知れない。 初恋は実らない…なんて通説を実体験する日が来ようとは…。 こんな事なら好きになるんじゃなかった。本気の恋愛感情なんて知らない方が良かった。 あまりの苦しさに、噴水に向かって溜息を吐き出す。と同時、突然感じた肩への重みにビクリと背を震わせて振りかえった。 「…あ…、藤堂さん…」 真後ろに立って俺の肩に手を置いたのは、つい先日、木崎さんとの事を報告したばかりの相手、藤堂さんだった。 その瞳にどこか気遣わしげな色が浮かんでいるという事は、もしかしたら木崎さんと二条先輩の噂が耳に入ったのかもしれない。 「ここに来れば湊に会えるかと思ってな。…会えて良かった」 「藤堂さん…」 深く温かみのある声。そこに含まれた優しさに、唇が震えそうになってグッと噛みしめた。 「とりあえず、座らないか?」 そう言って藤堂さんが示したのは、噴水前のベンチ。ここに来るたび、いつも座っているベンチだ。 促すようにそっと肩を押してくる藤堂さんに従って、ベンチへと歩を進めた。 「…木崎の噂を聞いた」 座って暫くたってから藤堂さんが口にしたのは、遠まわしではないストレートな言葉。 誤魔化す事をしないその言葉はいつもながらに率直で、でもそこに不躾さはなく優しさと気遣わしさが溢れていて、それが心地良い。 「この前あんな事を言っておきながら本当に情けないんですけど、俺、木崎さんに振られました。今の木崎さんの恋人は、二条先輩なんです」 「………」 平然と告げられる程、まだ傷は癒えていない。感情を抑え込んで淡々と述べるだけで精一杯。 それも気付けば正面を向いていたはずの顔は俯いていて、視界に入るのは自分の足と地面だけ。 俺はここまで弱い人間だったのだろうか。こうなる前は、もっと強い人間だったと思っていたのに。 大腿の上に置いていた手を軽く握りしめていると、頭の上に温かな重みが乗せられた。そして優しく撫でられる。 「…落ち込むな、とは言わない。だが、苦しみから早く解放されてほしいと思う。誰かの手が必要なら俺を頼ればいい」 「…藤堂さん…」 涙が出そうになった。なんでこの人はこんなに優しいんだろう。 不覚にも目頭が熱くなり、滲み出そうになったものを瞬きで散らす。 「ありがとう…ございます。なんか、いつも本当に迷惑ばかりかけてて、すみません」 「馬鹿な事を言うな、迷惑なんてかけられた覚えはない。後輩は遠慮なく先輩に甘えればいいんだ」 そう言って最後にもう一度柔らかく頭を撫でて、藤堂さんの手が離れた。 「さすが普通科の生徒会長、えぇ事言うなぁ」 突如として背後から聞えたその声に、空気がピシリと固まる。 …思いっきり聞き覚えのあるこの声と話し方。 藤堂さんと俺が同時に振りかえると、ベンチまであと数歩という場所に立ってこっちを見ている柳先輩がいた。 「柳…先輩」 「そないに驚かんでもえぇやろ。まるで幽霊にでも会うたみたいな顔しはって」 そう言ってククッと笑った柳先輩は、ゆっくりとした歩調で歩き出し、俺の真後ろまで来て立ち止まった。 ベンチの背もたれに両手を置いた為に、そこに寄りかかっていた俺の肩と先輩の手が僅かに触れる。

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