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canon31

「久し振りだな、柳」 「ほんまに久し振りや、姫さんは元気にしてはりますのん?」 「あぁ、あいつはもう大丈夫だ」 「そ、ならえぇねんけどな」 どうやら藤堂さんと柳先輩は顔見知りらしい。 音楽科と普通科という違いはあれど、同じ三年生同士。それも互いに知名度があるとなれば、知り合いでもおかしくはない。 さっきまでの暗い気持ちは柳先輩の登場によって見事に吹き飛ばされ、それどころか、見た事のない組み合わせの二人に好奇心は募るばかり。 なんだかよくわからないままただひたすら茫然と見ている内に、会話は益々おかしくなっていく。 「藤堂はん」 「なんだ」 「いくらこの子がフリーになったかて、手ぇ出したらあきまへんえ?」 「……何故お前がそんな事を?」 「そんなん決まってるやろ。この子は僕のお気に入りやさかい、妙な(やから)に手ぇ出されんよう大切に見守うてるんよ」 「お前がそんな事を言うとはな…。人間嫌いという噂は返上か?」 「人間嫌いやおへん。単に気に入る人間がおらへんかっただけや」 ………なんだこの会話。いつから俺が柳先輩のお気に入りになってたんだろう。 というより、気に入られるような事をした覚えは全くない。 おまけに藤堂さんが俺に手を出すって、…そんな事ありえないだろ。 なんだかよくわからなくて頭がグルグルしてくる。 「…あの、藤堂さんも柳先輩も…」 声をかけると二人同時にこっちを振り向いた。妙な迫力に腰が引けてしまう。 「どうした、湊」 「なんや、どないしはったん」 「え、いや、あの…。二人とも仲がいいんですね、と思って」 苦し紛れにそう言うと、藤堂さんと柳先輩は奥歯に物が挟まってしまったような居心地の悪そうな表情を浮かべた。 柳先輩はともかく藤堂さんのこんな反応を見るのは初めてで、申し訳ないけど笑ってしまいそう。 「いや、仲が良いというわけではない」 「なんや冷たいなぁ」 「事実だろ」 「事実や」 「…っ…アハハハハ!」 もうダメだ、耐えられない。 なんだろうこの二人の先輩達は。真面目に話しているのか冗談なのか全くわからない。 「す、すみません」 突然笑いだした俺を驚いたように見ている二人に気がつき、慌てて笑いを抑える。 それなのに、 「いや、湊の笑う姿に安心した」 「過去の事なんて犬に噛まれた思うてその辺に放っておけばえぇんよ。響ちゃんはそうやって楽しそうにしとる方がえぇ」 笑った俺の非礼に怒るでもなく、それどころか安堵したように優しい眼差しを向けてくれた。 もちろん柳先輩の目は前髪の向こう側だけれど、その雰囲気を読み取れないほど鈍くはない。 「…先輩」 目を瞠る俺に、斜め後ろと横側から同時に手が伸びてきて、またしても頭を撫でられた。 まるで小さな子供にするような扱いが、今ばかりは気恥ずかしくも嬉しい。 「そろそろ俺は仕事に戻る。瑞樹が鬼になってる頃だろうからな」 「あ、引き止めてしまってすみません!俺も戻ります」 「ほんなら僕も一緒に戻るわ」 ここに来た時は三人バラバラだったのに、去る時は三人一緒。 温かな気持ちになりながら、一緒に中庭を後にした。 …まさかその様子を見ていた人がいたなんて思いもよらず…。 「………」 「…皇志…」 気遣わしげな眼差しを木崎に送る棗。 図書館を出て音楽棟へ戻る途中、中庭から姿を現した3人の人物を見て木崎の足が止まった。 3人はこちらに気付く事なく、互いに短く挨拶を交わしながら校舎へ戻っていく。 一人は一般棟へ。二人は音楽棟へ。 ありえないといえばありえない組み合わせに、棗は一瞬目を瞠った。 だが、それぞれが互いに知り合い同士だという事を考えれば、偶然会ったのならそれなりに会話はするのだろうとも想像がつく。 普通科の生徒会長、藤堂。声楽科の主席、柳。 そして、ピアノ科4番席の響也。 藤堂ならまだしも、まさかあの柳までもがあそこまで響也を可愛がるとは…。 音楽棟に戻る二人の姿。遠目から見ても、柳が響也の事をさりげなく気遣っていたのはわかる。 棗がわかったものを、木崎にわからないはずがない。 チラリと見た隣では、響也達が消えた音楽棟の入り口を見ている木崎の姿。 眉間に皺を寄せ、奥歯をグッと噛みしめているその表情。 響也と同じか、もしくはそれ以上に苦しんでいる親友の様子に、棗は痛む心を隠して名を呼んだ。 「…皇志、行くよ」 「………あぁ、わかってる…」 誰もアイツに触れるな。 木崎は、そんな勝手な言葉を吐きだしそうになる己の心の弱さに、溜息を吐きだした。 胸の内で次第に大きくなる黒い闇に飲み込まれてしまいそうになる、この脆さ。 これは自分が選んだ結果だ。 もう取り戻せない事をわかっているからこそ、自分だけは何食わぬ顔をして響也の前にいなければならない、と全力で言い聞かせる。 それを胸に刻みこむように一度固く目を閉じた。 そしてその目を開いた時には、もうそれまでの苦しさなど微塵も感じさせない表情で棗を振りかえり、 「今日の役員会議で承認を得なければいけない案件はなんだ」 いつもの不遜な態度で問いかける。 歩き出す二人。 一見何事もない様子に見える中にどれほどの苦しみを抱えているかなど、誰にもわからないまま…。

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