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canon32

§・・§・・§・・§ 「あ、皇志君待ってー!」 「早くしろ」 「ゴメン!お待たせ!」 そんな声とともに、購買前の人混みから二条志摩先輩が飛び出してきた。 昼休みの購買は、食堂ほどではないけれどそれなりに混む。 まさかそんな場所で木崎さんの姿を見る事になるとは…。 いつものように何かを買おうと購買に来たところ、偶然にもそんな光景に出会ってしまった。 一瞬ギリっと胸が痛くなったものの、もう過去を見てばかりもいられないと心を決めた今、目の前の現実を受け止める為にその場から逃げ出さず足を進めて二人の横を通り過ぎる。 その際、気のせいかもしれないけど、木崎さんの視線がこっちを向いたように感じたけれど、あえて気付かないふりをした。 通り過ぎてしまえば、もう目の前は購買の人だかり。 これがいつも見る日常の光景だ。こうやって何気なく過ごしていけば、きっといつかは木崎さんとの事も過去になるだろう。 穏やかな気持ちに戻れるまで、少し頑張ればいいだけ。 フッと肩の力を抜いて改めて人混みに入ろうとした時、肩に誰かの手がかかった。 反射的に緊張するも、振り向けばそこにいたのは都築で、一気に脱力する。 「………都築」 「肩に力入りすぎ」 「うるさいよ」 俺の様子を後ろから見ていた事がわかるそのセリフに少しだけ笑いながら言い返したところで、なんだかんだと都築にも心配をかけていた事を思い出す。 「俺は、大丈夫だから」 そう一言だけ告げた俺に都築は何も言わなかったけど、もう一度だけ肩を叩いてきた手にどこか優しを感じたのは気のせいじゃないと思う。 一方、購買で昼食を買った二条志摩と並んで廊下を歩いていた木崎は、目の前から歩いてくる人物に気が付くと僅かに目を眇めた。 相手も相手で、どうやらもっと早くからこちらの存在に気が付いていたらしく、視線が絡み合う。 ……いや、絡み合っているはずだ。なんせ目が見えないのだから確定が出来ない。 たぶん、このまま素通りされる事はないだろう。 その木崎の予想は見事に当たった。 「会長はん、少ぅし二人で話がしたいんやけど構へん?」 木崎の前でピタリと立ち止まり、チラリと二条に目をやった柳。 自分が除け者になる事に我慢がならないのか、もしくは木崎の事全てに自分が関わる権利を持っていると思い込んでいるのか、二条は自らそこを去ろうとしない。 その行動は度胸があるという事ではなく、単に場の空気が読めないだけ。 「志摩、先に行け」 舌打ちをしたい気持ちを押しとどめながら言った木崎に、二条は拗ねたような表情を浮かべ、それでも木崎と柳という大物二人に逆らえるはずもなく…、渋々と一人で先へ歩いて行った。 「エライ趣味がえぇなぁ会長はん」 「話ってなんですか」 二条の事を揶揄る柳の言葉をスルーした木崎は、鋭い眼差しで続きを促した。 一瞬ニヤリと口角を引き上げた柳は、一歩近づき、その長身を僅かに屈め 「お前にどんな事情があるかなんて俺にはどうでもいい。ただ1つだけ、…苦しめるだけなら二度と響也に近づくな」 木崎の耳元で低く言い放った。 牽制されるだろうとは思っていたが、まさかここまで直接的な言葉をぶつけられるとは想像していなかった木崎は、さすがに驚いた。 それと同時に、ある1つの事を思い出す。 自分が中三の頃に先輩から聞いた話。 柳聖人が標準語になった時は気をつけろ、と。 普段は出身地である関西方面の言葉を使用する柳だが、本気の時…それもかなりの確率で、機嫌が悪い時ほど標準語になる、と。 いま初めて聞いた柳の標準語に、心底の本気を感じ取った。 何も言わない木崎から身を離した柳は、話はそれだけだ…とばかりに歩き出して横を通り過ぎていく。 柳の言う事が間違っていないだけに反論すら出来なかった木崎は、体の横に下ろしていた拳をグッと握り締めた。 そして木崎から離れた柳。 廊下の突き当たりを曲がってすぐ、そこにいた誰かとぶつかりそうになり、持ち前の反射神経で上手く避けたものの、相手が誰かわかった瞬間すぐさま足を止めた。 「なんや、不服そうな顔やな、副会長はんは」 いつからいたのか、棗彼方が珍しく鋭い眼差しで柳を見つめていた。 「貴方ほど情報に長けている人なら、皇志の内情くらい知っているでしょう、それなら皇志を追い詰めるのは止めてください。僕は皇志も響ちゃんも大切なんです。だから柳先輩が皇志を追い詰めると言うのなら、僕は見て見ぬふりは出来ません」 きっぱりと言い切った棗を面白そうに見つめた柳は、次の瞬間フッと短く嘆息しながら前髪をかき上げた。 その素顔が露わになる。 「えぇ子やなぁ、棗君は。…まぁ、キミに免じて少しの間は様子見だけにしとこか」 柔らかい口調で溜息交じりに言った柳。 本来ならそこで安堵するはずの棗は、あまりに久方ぶりに目にする柳の素顔に目が釘付けになってしまい、それどころではなくなってしまった。 普段は前髪で見えない顔の上半分。それが表れただけでこうも印象が変わる人も珍しい程に端正な顔。 漆黒の髪によく映える切れ長の涼しげな瞳。形の良い額。すっと通った鼻筋。 凛とした和風で端正な顔がそこにはあった。 棗が茫然と見ている内に前髪はサラリと落ち、また元のように戻って全てが覆い隠される。 何かの呪縛から解かれたようにハッと我に返った棗は、自分を見下ろしてくる柳に軽く頭を下げた。 「…そうしてもらえると助かります。生意気言ってすみません」 「別に構へんよ。ボクは響ちゃんに害がなければどうでもえぇねん。…ほな、な」 後ろ手にヒラリと手を振って歩き出す柳。 その後ろ姿を見送った棗は、相手が完全に見えなくなった瞬間、緊張から解き放たれたように横の壁に寄りかかってしまった。 …本当に腹の底が読めない人だ…。

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