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canon36

§・・§・・§・・§ 「最近の木崎君はどうしたんでしょうね…」 「もうコンテストまで3ヶ月もないのに、この時期にここまで調子を崩すというのは…、彼らしくない」 「何かあったのかしらね」 音楽科の職員室で、ここ数日繰り広げられる会話。 それは、音楽科生徒会長でありピアノ科主席でもある木崎皇志の事だった。 9月に入ってから、どうにも音に深みがなくなってきたかと思えば、この数日は更にガタンと調子を崩し、今日のレッスンでは今までの彼ではありえないような箇所でミスタッチをしていた。 スランプというには余りにも酷い状態。 このままではコンテスト出場すら危ぶまれる。 いったい彼に何が起きたのか…。 最近、彼の周囲で起きた変化と言えば、何やら新しい恋人が出来たのだとか。 生徒達の噂は、教師達の耳にまで届いている。 まさか、その相手にのめり込み過ぎてピアノに身が入らなくなってしまったのだろうか。 最初はそうも考えたが、すぐにその考えは教師たちの中から消え失せる。 この調子の悪さは、そういう浮かれた感じのするものではない。逆に、今の彼からは苦しさしか感じられない。 「………」 「………」 「………」 顔を見合わせた3人の教師は揃って溜息を吐き、首を横に振った。 夜の個人練習中、この時ばかりは気を使って姿を現さない二条志摩が、何故か今日は木崎のいる練習室に姿を現した。 ただでさえ集中できていないここ最近、そこへ志摩が姿を見せたとなれば舌打ちすらしたくなる。 「ここには来るなって言ってんだろ」 「だって、最近調子を崩してるって言うから、ボク心配で」 「心配するくらいなら俺に近づくな」 抑揚もない声で振り向きさえしない木崎の態度に、志摩は唇を噛みしめた。 「……そんなに…」 「……」 「…そんなに音の調子を崩すほど、アイツの事が好きなのっ!?」 悔し紛れに言い放った志摩の言葉が、木崎の逆鱗に触れた。 いや…、触れたなんでものじゃない。 完全にむしり取った。 「好きなんて言葉じゃ足りないくらいだ!!」 突如として叫ぶように声を発した木崎は、両手で鍵盤を押し叩いた。 大音量の不協和音が、室内の空気を震わせる。 「俺が調子を崩そうがなんだろうが、お前には関係ないだろ!俺と響也が無関係でいればそれでいいんだろうが!今更くだらない事言ってんな!!」 鍵盤に叩きつけた両手をグッと握り締めた木崎は、それでも志摩を振り返る事はしない。 視界にさえ入れてもらえない事が悲しくて辛くて悔しくて…。 ………湊響也が、憎くなる…。 「…いくらアイツの事が好きでも…、でも、もう絶対に元には戻れないんだからっ。ここを卒業したら、君には相応の婚約者をあてがうって、おばさんもおじさんも言ってたんだから!!」 「……ッ」 志摩が大声を上げた瞬間、木崎は握りしめた拳を横の壁に叩きつけた。 ドンッ!という衝撃音にさすがの志摩もビクリと肩を震わせて固まる。 だが、壁から離した木崎の拳に血が滲み出ている事に気が付くと、その赤色に志摩の心の中の何かが反応した。 音楽をやる人間が大切にしている手を傷つける。それも木崎ほどの人間が。 そこまで?そこまで我を忘れるほど?自制が利かなくなるほど?そんなにアイツが好きなの!? これからクラシック界の上へ昇りつめるだろうという存在を、こんなにも苦しめるアイツ、湊響也。 木崎皇志が調子を狂わせているのは、間違いなくアイツのせいだ…。 「…なにもかも…アイツのせいだ…」 志摩のその小さな呟きは、木崎の耳に入る事はなかった。

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