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canon38
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「…ぁ…、棗君…」
その小さな声に振り向いた棗彼方は、廊下の片隅に二条志摩の姿を見つけて溜息を吐きそうになった。
木崎の苦しみの要因でもある二条志摩。
この子がもっと普通の子であれば、ここまでの嫌悪感は持たなかったに違いない。
内心でそんな事を思いながら二条を見つめていると、無視されなかったと安心したのかオズオズとした足取りで近付いてきた。
「…なに?」
「あの、棗君なら、皇志君の調子の悪さ、知ってるよね?」
「もちろん」
相変わらずの上目使いに辟易しながらも、表立っては表情を変えずに頷き返す。
すると、二条はいつもの調子を取り戻してきたのか、まるで自分がヒロインであるかのような口調で棗に詰め寄ってきた。
だが、
「皇志君の調子が悪いのって、全て湊響也のせいなんだよ!」
その言葉に、さすがの棗も開いた口が塞がらなくなってしまった。
確かにそれは間違いではない。でも、そうじゃないだろ。
棗の呆れた表情にも気付かず、既に自分の世界に入り込んでいる二条は悲哀の浮かんだ目付きで尚も告げる。
「皇志君が、こんなに弱い人だとは思わなかった…。たった一人の人間のせいでここまで調子を崩すなんて…。…でも!僕がついてるから絶対に元に戻ると思うけど」
適当にあしらおうと思っていた棗だったが、この言葉に対しては適当にあしらう事はできなかった。
この子は、本当に何もわかってない。
「皇志は強いよ、僕が知る誰よりも。でも、それが揺らぐくらい響ちゃんの事が好きなんだって、どうしてわからないかな」
「……ッ…」
表情も口調も冷めてしまった棗の言葉に、二条志摩は今度こそその口を閉じ、信じられないものでも見るような目を棗に向ける。
もしかしたら、響也の事を一緒に非難してくれるだろう…と思っていたのかもしれない。
ショックを受けているようにも思える瞳の奥に見え隠れするのは、苛立ちと妬みか。
この子がこれ以上何かをしでかさなければいいけど…。
何か嫌な予感を感じた棗は少しの間二条を見下ろすも、すぐに踵を返してその場から歩きだした。
§・・§・・§・・§
10月に入ると、朝晩はだいぶ涼しくなる。日中はまだそれなりに暑いけれど、日陰に入れば風が心地良い。
図書館に向かいながらそんな秋の空を眺める。
耳に入ってくる噂によれば、木崎さんのスランプ状態は酷くなるばかりだという。
この数日、校内では擦れ違う事もなく、まったく姿を見ない。だから尚更不安になるのかもしれない。
昨日からテスト期間に入った為、明後日までは午前中で終わる。
さすがに皆この時だけは、テスト勉強に必死だ。
いつもは人気 の無い図書館も、ここぞとばかりに利用者が増える。
木立の影から見え隠れしている図書館の瓦屋根を見て、席が空いていればいいな…なんて思った時、不意にどこからか名前を呼ばれたような気がして足を止めた。
…気のせい?
周囲を見ても誰もいない。
と思ったのは間違いで、中庭を回り込むように巡らされている小道の向こうから、とある人物が近付いてきた。
藤堂さんだ。
一般棟から出てきたところらしい。
この先には図書館しか存在していない事を考えれば、藤堂さんもそこへ向かう途中だったのだろう。
頭を下げると、いつものように穏やかな笑みが返される。
「図書館か?」
「はい。さすがにテスト期間中くらいは勉強の方に力を入れないと恐ろしい事になるので」
苦笑いと共にそう言うと、音楽科の特性を知っている藤堂さんはその顔に少しだけ労わりのような表情を浮かべた。
でも、それもすぐに消え失せてしまう。
いつもの真顔に戻ったといえばそうかもしれないけど、どこか違うその表情に違和感を覚える。
「…藤堂さん?」
「今から少し時間をもらってもいいか?話したい事がある」
「え?」
思わぬ言葉に一瞬意味がわからず聞き返すも、すぐに頷き返した。
特に急いでいる用事もないし、俺が藤堂さんの誘いを断るはずがない。
躊躇いもなく「はい」と頷いたら、真顔だった表情がほんの少しだけ綻んだ。
ただ、互いの学科の人間に見られたら面倒くさい事になる事は必至で、二人で悩んだ結果、小道から逸れて木立の中へ足を進める事となった。
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