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canon42

§・・§・・§・・§ ピアノが弾けない、物が食べられない、眠れない…。 木崎がそんな状態に陥ってしまった事に気が付いたのは、棗だけだった。 恋人だのなんだのと、始終煩く付きまとっている二条志摩がその異変に気付かない事が、こんなにも腹立たしい。 表立ってはまったくいつもと変わらない木崎の様子を見た棗は、次に、その隣で1人喋りまくっている二条を見て思わず舌打ちをこぼした。 ぶん殴って引き剥がしてやりたい。 …なんて思う程の嫌悪感を他人に抱くなんて初めてだ。 どうして一緒にいて気が付かないのか。 あのポーカーフェイスの裏から滲み出る焦燥と苦悩。本当に相手の事を想っているなら真っ先に気付いていてもいいだろうに…。 3時間目の休み時間に廊下ですれ違ったその光景。 溜息も吐きたくなる。 こんな事になるなら響ちゃんの話は言わない方が良かったかもしれない。今回ばかりは自己嫌悪に浸りそうだ。 …どこまで見守りに徹するか、親友として判断を間違えないように…。 最近では癖になりつつある溜息を吐きだした棗だった。 そして、まさか木崎さんの方でそんな事が起きているとは全く知る由もなく…。 放課後。藤堂さんと待ち合わせをしていた響也は、いつもの如く中庭に来ていた。 10月ともなれば、夕方になると幾分か涼しい空気が漂い始める。 来月の今頃には、この噴水を見て寒さを感じるようになるだろう。 目の前にある水の流れを見ながらそんな事を思っていると、聞きなれた足音と共に落ち着きのある温かな声がかけられた。 「いつも待たせて悪いな」 振り向いた視線の先、どこか申し訳なさそうにしている藤堂さんが歩み寄ってくる姿があった。 普通科の会長として物凄く忙しいはずなのに、それを露とも感じさせず俺の事を気遣ってくれる。 会う度に思うけれど、この人といると本当に心が安らぐ。 「来たばかりだから大丈夫です。藤堂さんの方こそ、生徒会の仕事大丈夫なんですか?」 「俺の事は気にしなくていい。お前は人に気をつかい過ぎだ」 困ったように笑われてしまった。 「そっちはコンテストに向けて大変なんだろう?」 「そうですね…、でも最近はとても落ち着いて音楽に専念出来るんです。だから調子はかなり良くなってきました」 笑みを向けながらそう言ったら、僅かに表情を緩めた藤堂さんは一言、「そうか」と優しく呟いた。 その一言が、俺の事を案じてくれていたように思えて嬉しくなる。 藤堂さんの優しさに甘えて寄りかかっている現状に、これでいいのか?と自問しない訳じゃない。 でも、心が安らぎを求めて餓えている今、とても自分から離れる事は出来ず…。 何が正しいのか、何が間違っているのか、俺には全くわからなくなっていた。 そして、それを真っ向から突きつけてきた人物がいた。 「藤堂会長と付き合って、それがなんの解決になる」 遠慮なくグサリと突き刺さった言葉。 次の日の朝。授業が始まる前のほんの僅かな時間。 1時間目の授業の支度をしていた俺の目の前に立ち、いきなりそう言ったのは都築だった。 「…な…んでそれを…」 驚きすぎて口籠った俺に、「情報に関して俺の右に出るものはいない」都築はそう言い切る。 忘れていたけれど、そういえば都築は情報屋とも呼ばれるくらいに色んな事情に精通している人物だった。 「一見平穏に戻ったように見えるからと言って、それが見せかけの平穏なら意味はない。自分の気持ちを騙すような事はやめた方がいい。後で必ず綻びが生じるぞ」 言い返す言葉も見つからない程に正しい意見。 そう、都築の言っている事が正しい。俺の取っている行動は間違っている。 それは誰に言われるまでもない、実は自分がいちばんよくわかっている事。 …でも…。 「…そんな事、わかってる…。だからといって、俺にどうしろと?振られた相手にいつまでも想いを残してるよりいいだろ」 塞がったはずの傷口から、また血が滲みだすのを感じたのは気のせいか。 心の奥から、何かがジワリジワリと溢れてきそうになる。 痛くて…痛くて…、苦しい何か…。 それが怖くて、震えそうになる拳をぎゅっと握りしめた。 …もう…イヤなんだ。 「…湊」 そして、都築の苦しげな声に我に返る。 なにを八つ当たりしてるんだ、俺は…。 「……ゴメン、都築。…ありがとう」 俯いたまま言った俺に、都築は、 「いや、俺も口を挟み過ぎた、…悪かったな」 そう言って、肩を優しく叩いてきた。 自分が情けなくて、涙が出そうになる。 そんな状態が読み取れたのか、都築はもう何も言わずに自分の席へと戻って行った。 それから1週間。 なんだかんだと、俺の日常は落ち着いていた。 これでいいんだ、と、そう思えるくらい。 都築に言われた言葉に蓋をして、藤堂さんとピアノにのめり込み、他の事など考える事もしなかった1週間。 それが仮初の平穏だったと、そう思い知らされる時が来ようとは…。

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