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canon44

寮までの道のりがこんなにも遠く感じるなんて…。 憔悴しきった様子に気が気じゃなく、部屋に入って木崎さんをベッドに寝かすまでが異常に長い道のりに感じた。 仰向けになって横たわる木崎さんの顔は、部屋の明かりの下でもやはり青白く、明らかに体調の悪さを物語っている。それに、やっぱり少し痩せた。 …どうして…。 なんで…? 無言で見下ろしていたのは、数秒なのか数分なのか。わからないけれど、俺の唇は勝手に動きだした。 「…木崎さん、何があったんですか?」 「………」 その問いに、木崎さんの閉じられていた瞼がゆっくりと開いた。そして俺を見て自嘲気味に笑う。 「…この数日、眠れないし、食べられない。…情けねぇな…。お前に会って、気が抜けた」 思いもよらなかった言葉に、愕然とした。 いったいどうしてそんな状態に?俺に会って気が抜けるって…なぜ…。 疑問が次から次へと湧き起こる。 だって、二条先輩とは仲良くやっていると聞いたし、俺という面倒な存在は傍から離れた。 スランプだという噂は聞いたけれど、まさかここまでになっているなんて思ってもみなかった。 「…なんで、木崎さんが苦しんでるんですか」 ボソっと呟いたと同時に、何かが頬を伝い落ちた。それが涙と気付いたのは、顎先からポタリと雫が滴り落ちた時。 頭が混乱して、自分でもどうすればいいのか、何を考えればいいのかわからない。 茫然とただ立ち尽くしていると、突然、強い力で腕を引っ張られた。 驚きに見開いた視界に映ったのは、ベッドから上半身を起こした木崎さんの姿と、その手に掴まれている俺の腕。 「……ッ」 引っ張られて倒れ込んだ先は木崎さんの体の上で…、不意打ちだったとはいえ思いっきり圧し掛かるように乗ってしまった事に気が付いて慌てて置き上がろうとした。 けれど、それより早く体勢が入れ替わり、今度は俺が木崎さんに押し倒される形になる。 「…木…、」 「泣くな、…頼むから…」 「………」 「お前に泣かれると、…苦しい」 そう言いながら見下ろしてくる瞳には苦渋の色が溢れていて、眉を顰めて奥歯を噛みしめた表情が本当に辛そうで…。 また溢れそうになる涙を必死で押しとどめた。 「…泣いて、ません」 「あぁ…、そうだな」 「だから、そんな顔をしないで下さい」 「…あぁ、…わかった」 木崎さんの表情が柔らかくなり、その声にも温度が戻ってくる。そして、男らしく薄く引き締まった唇から短い溜息がこぼれ落ちた。 「木崎さん、あの…」 「…何やってんだろうな…。俺らしくもねぇ。バカバカしい」 言っている意味がわからず戸惑いに目を瞬かせていると…、 「……ッ」 木崎さんの唇が、俺のそれにフワリと触れた。 優しくて温かい。見下ろしてくる瞳に柔らかな光が灯っている。 目が合った瞬間、胸の奥がギュッと縮まり、混乱した。本当に何がなんだかわからない…。 茫然としている間に、また目頭がじわりと潤んでくる。 「……悪かったな、響也」 謝罪の言葉とともに、今度は額に唇が触れた。 そして…。 「…木崎さん…?」 木崎さんの体から全ての力が抜けて俺に圧し掛かり、その唇から聞えてきたのは安らかな呼吸音。 眠れなかったという木崎さんが今ようやく眠りについたとわかった途端、安堵と共に言いようのない愛しさが胸に込み上げてくる。 「おやすみなさい」 背中に手を回し、そっと抱きしめた 翌朝。目が覚めたところで、昨夜あのままの状態で寝てしまった事に気が付いた。 ゆっくりと瞼を開けた目の前には、眠っていてもわかる端正な顔。 意志の強さを感じさせる瞳が隠れているせいで、どことなく幼く見える。それでもうらやましいくらいに格好良い。 そんな木崎さんの顔をボーっと眺めている途中、 「…あッ、学校」 と焦ったけれど、今日は土曜日だ。学校は休み。 慌てたせいで、ウトウトとした微睡みは綺麗さっぱり消え失せてしまった。 そして、俺の声に睡眠を妨害された人が一人。 「…ん…」 モゾっと身動ぎした木崎さんの瞼が、薄らと開いていく。 その瞳が俺を捉えたかと思えば、一瞬の後に優しく抱きしめられた。 …いや、どちらかと言うと抱きつかれたような感じか。 ただ、それもほんの数秒だった。 また眠りに入ろうとした木崎さんの瞼が閉じたかどうか…、というところで、いきなりそれが全開で見開かれ、驚いたように俺の顔を見つめたまま固まる。 「…あの、木崎さん?」 「…………あぁ…、そうか…。…夢だと…」 そう呟いてフと笑む優しい表情から、目が離せなくなる。 夏休みが終わって以降、一切向けられる事がなかった瞳が、今はしっかりと俺を見ている。それが本当に嬉しくて。 昨日はお互いに気が動転していて、こうやって改めて顔を突き合わせるのは久し振りだ。だから、少しの表情の変化も見逃したくない。見逃せない。 少しだけ目元を緩ませただけの小さな微笑みなのに、こんなにもドキドキしてしまう。 「…久し振りに、熟睡した」 「調子、少しは良くなりましたか?」 「あぁ」 頷く木崎さんの顔には、昨夜はなかった赤みが戻っている。 死んでしまいそうな昨晩の姿とはだいぶ違う様子に、心の底から安堵した。 噴水前で見た木崎さんは、そのまま消えてしまいそうなくらい儚くて…。あの崩れ落ちた一瞬は、本当に怖かった。 「木崎さん、最近は何も食べられなかったって…」 「…あぁ」 「俺がお粥を作ったら、食べてくれますか?」 「………お前が作った物なら、毒だろうがなんだろうが食うに決まってんだろ」 「………」 なんでもないような顔なんて、俺にはできなかった。一気に頬が熱くなる。それでもまだまだ血は沸騰する。 「今にも爆発しそうだな」 自分では見られないけれど、たぶん物凄く真っ赤になっているんだろう。 俺の顔を見て、木崎さんが肩を震わせて笑った。 これ以上赤い顔を晒すなんて耐えられない。早々にベッドから出ると、すぐにキッチンへ向かった。 だから俺は知らなかった。 ベッドで1人になった木崎さんが、それまでの揶揄うような笑いを消した後、とても優しい表情を浮かべ、そして、その瞳に何か強い決意のような光を灯していた事を…。

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