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fantasia1
§・・§・・§・・§
月曜日。
今日の放課後は、中庭で藤堂さんと会う約束をしている。
その時に全てを告げる事を考えては、朝から緊張で溜息ばかり吐き出す俺。
傍から見れば鬱陶しい事この上ない。
「悩み事か?」
「……都築…」
鋭いこの人物が、気付かないはずがなかった。
朝のSHRが終わってすぐ、席を立って俺の横に来た都築。
本当に眠いのか、もしくはデフォルトでそういう顔なのか…、とにかく今日も都築の目は眠そうに半眼状態だ。
中身を知っていなければ、不機嫌としか見えない。
それでも、上から見下ろしてくる目は、どこか心配してくれているようにも思えて…。
その目を見返しながら、ふと思った。
都築は、この数ヶ月の間に俺に起きたほとんどの事を知っている。
情報屋とも呼ばれるほど色々な事を網羅しているとはいえ、この気遣いはその中に含まれるものではないだろう。
“友達”なんてそんな恥ずかしい言葉は使わないけれど、たぶん、いま俺の中でそう呼べるのは都築だけだと思う。
助けられて、心配かけて、…友達というより兄貴という方が近いかもしれないな。
思わず笑ってしまった。
「人の顔見て笑うな」
「いや、ごめん」
そこで一息つき、改めて都築に向き直った。
「…あのさ、今日の昼、話したい事がある」
「あぁ。それなら屋上で飯でも食うか」
さらりと頷いてくれたところで、一時間目の担当教師が教室に入ってきた。
また後で。
そう言って自分の席に戻っていく都築の後ろ姿を眺めながら、また小さな緊張感が襲ってきたのを感じて溜息を吐きだした。
いつものように授業を受け、いつものように昼休みがやってくる。
同時に席を立った都築と一緒に教室を出て、購買でパンを買ってから秋風の吹く屋上へと向かった。
ドアを開けた先の空は秋特有の高さで、見上げると宇宙まで見えてしまいそうな程に青い。
そんな空の下、給水棟の裏側に回って壁を背にして座った際、自分でも無意識の内に溜息を零していたらしい…、横から都築に肩をぶつけられた。
「溜息ばっかりだな」
「え、俺いま溜息吐いた?」
「………」
思いっきり微妙な顔をされた。それを見て俺も微妙な気分になる。
その後は何も言わずにパンを食べ始める都築。それに倣って、とりあえず俺も昼をとる事にした。
黙々と2つのパンを食べ終え、紅茶で喉を潤す。
ほぼ同時に完食した俺達は、背後の壁に寄りかかってボーっと空を眺めた。
会話もないのに気まずくならないのは、それだけ都築との距離が近づいた証だ。そんな相手に…、いや、そんな相手だからこそ言いたい。聞いてほしい。
「…俺、逃げるのやめた」
ポツリと呟いた言葉に、都築は一言「そうか」とだけ言った。
そのまま空を眺める。あまりにも長閑な空気に、昼休み前までの変な緊張感はとうに消え失せていた。
「今日の放課後、藤堂さんと話し合ってくる。…今度こそ逃げずに、誤魔化さずに、自分の道を決めようと思う」
「……そうか」
二度目の「そうか」は、どこか優しいものだった。
他には何も言わない都築だけど、その一言が全てを伝えてくる。
どこかくすぐったい友情に、都築の髪をグシャグシャに撫でたい衝動が込み上げてきた。けれど、それをしたが最後、倍返しをされる事が目に見えている。
チラチラと都築の頭を見ている俺に気づいたのか、片眉がピクリと引き上がったのをみて大人しく諦める事にした。
そして、とうとう放課後がやってきた。
都築から勇気をもらったとはいえ、緊張しないわけじゃない。何度深呼吸をしても、酸素が足りないとさえ感じる。
細い遊歩道を進み、噴水のある場所に辿り着くと、すでにもう人影があった。間違いなく藤堂さんだ。
踏んだ敷石がカツリと鳴った音に気がついたのか、藤堂さんが振り返る。
俺が会釈をすると、穏やかな笑みを向けてくれるのはいつもと同じ。
このいつもと同じ穏やかさを、今から俺が壊す。
何故呼び出されたのか、その理由を知らない藤堂さんが向けてくれる優しい表情。
それが、今日ばかりは苦しい。とても正面から受け止められない。
「…響也?」
目の前に立った俺が顔を背けてしまったからだろう、そこで初めて藤堂さんから怪訝そうな声がこぼれた。
…嫌われてしまう事が怖い。でも、それは俺の我が儘だ。…全てが丸くおさまるなんて、そんな都合の良い事を望んではいけない。
短く息を吐きだして気持ちを切り替え、藤堂さんにきっちりと向き直った。
「藤堂さん。やっぱり俺は、藤堂さんと付き合う事はできません」
「…………」
どう言おうか、ずっと頭の中で考えていた。色んな言葉を用意してきた。
けれど、実際に口から出たのは、いちばんシンプルな言葉だった。藤堂さんに伝えるのに、飾るものは必要ないと思ったから。
それでも、あまりに直球過ぎたのか…、藤堂さんは僅かに瞠目して俺を見たまま何も言わない。
「いつも支えてもらっておきながら、勝手だとは思います。…でも俺は、どうしてもやっぱり…木崎さんが好きなんです」
「………」
もっと遠まわしに言った方が良かったかもしれない。
もっと柔らかな言い方をした方が良かったかもしれない。
でも、変に言葉を飾ってしまったら、それもまた“逃げ”のような気がして、出来なかった。
何がいちばん良いのかわからない中で、最終的に俺が選んだのは直球の言葉。
藤堂さんに対して酷い言い方だとはわかっているけど、自分の保身になるような言葉は言いたくなかった。
続く沈黙に胃がキリキリと痛む。自業自得という文字が、脳裏に浮かんでは消えていく。
数分が経ち、足もとでザリっと土の擦れる音がしたところで、ハッと我に返った。
いつの間にか伏せてしまっていた視線を上げると、藤堂さんと目が合う。
「…木崎の事で苦しむ姿はもう見たくない」
「………」
「というのは建て前だな。…本心を言えば、響也を木崎に渡したくない。別れたくはない」
「…藤堂さん…」
真摯な眼差しに、グッと喉が詰まった。
俺なんかにここまで言ってくれる人は、そういない。
こんなに真剣に想ってくれる事に、感謝こそすれ、負の感情なんて持てるわけがない。
ここで線を引かなければダメだ…とわかっているのに、どうしてもこれ以上の突き放しが出来ない俺は、本当に馬鹿だと思う。
…どう…すれば…。
「自分本位な事を言っているのはわかっているが、そう簡単に頷けるほど軽い気持ちではないんだ。…少し、考えさせてもらえないか」
「………わかりました。俺の方こそ、勝手な事ばかり言ってすみません」
人の気持ちは、そう簡単に変えられない。
それが真剣な気持ちであればあるほど、変える事は難しいだろう。
だからこそ、藤堂さんが了承してくれなかった事が、辛くもあり、感謝もする。こんな俺に真剣な気持ちを向けてくれた事が、ありがたくて、申し訳ない。
相反する自分の気持ちが、うまく納まらなくてグルグルする。
お互いに押し黙ったまま見つめ合っていると、不意にヴーヴーヴーと携帯のバイブ音が聞こえてきた。
俺じゃないから、これは藤堂さんの携帯だ。
制服のポケットから携帯を取り出した藤堂さんは、画面を見た瞬間に小さく溜息を吐きだした。
「すまない、生徒会の顧問から呼び出しのメールが入った」
「いえ、…また連絡します」
「わかった」
歩き出す藤堂さんの背を見送る。
その姿が木々の向こうに消えて見えなくなると、張り詰めていた気が思いっきり緩んで下にしゃがみ込んだ。
「…………」
…すみません。
誰にともなく告げたその言葉は、表に出る事なく喉の奥で消えた。
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