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fantasia2
「副会長」
「…ん?」
「藤堂会長、さっき戻ってきてからおかしくないですか?」
普通科校舎内の生徒会室では、室内にはびこる微妙な沈黙に耐えきれなかった書記の生徒が、小声で恐る恐る飛奈に問いかけてきた。
顧問のところに寄ってきたと言って、資料を片手に戻ってきた藤堂。
その顔があまりにも深刻だった事に、役員全員が気付いていた。
「そうですね…、少し話をしてみます」
「お願いします」
飛奈の返事にホッと安堵の息を零した彼は、肩の荷が下りたのか軽い足取りで自分の席に戻っていく。
それを見届けた飛奈は、苦くなりそうな表情を出来る限り平常に保ちながら藤堂に歩み寄った。
「尚士、少し話をしてもいいですか?」
「ん?…あぁ、構わないが」
「他の役員達の邪魔をしたくないので、あちらの部屋に行きましょう」
そう言って飛奈が示したのは、生徒会室の奥にある扉。そこには4畳ほどの小さな個室がある。
先に歩き出した飛奈の数歩後を追う形で藤堂も歩き出した。
個室に入り、カチャリと扉の閉まった音が響いたと同時に、飛奈は後ろにいる藤堂を振り返った。
「尚士、何があったんですか?あなたの様子がおかしいと、皆が心配しています」
「…すまない」
「いえ、責めている訳じゃありません。ただ、心配なんです。…聞いても良ければ、何があったのか教えてもらえませんか?」
「………」
暫し考え込む藤堂の様子を見て、飛奈は既にいくらかの確信を持っていた。
こんなに感情を波立たせるのは、きっと彼の事に他ならないだろう…と。
聞きたくない。でも、知らずにはいられない。
いつもながらの相反する想いが、胸を焦がす。
「…さっき、湊から別れを告げられて、さすがに動揺を隠せなかった」
「え?」
予想とは違った内容に、飛奈は素で驚いた。
目を見開いて藤堂を見つめると、さすがにきまりが悪かったのか、
「情けない顔をしているだろうから、あまり見ないでくれ」
そう言って苦笑いを浮かべる。
茫然としている飛奈をどう捉えたのか、短く嘆息した藤堂は背後のドアに寄りかかって腕を組み、視線を伏せた。その表情は、どこか苦しげだ。
「もともと、湊が木崎の事を好きだと知った上で、俺と付き合ってほしいと言ったんだ。いずれこうなるかもしれないとは思っていた。…ただ、実際に別れを告げられてしまうと、承諾出来ない自分がいる。一度手の内に入ってしまえば、手放せなくなるものなんだと…、自分の身勝手さを思い知らされてな…」
「……尚士…」
苦渋に満ちた声。顰められた眉。
長い間、ずっと同じ時を過ごしてきた飛奈には、今、この幼馴染がどれだけ本気で苦しんでいるのかがわかった。
「…尚士には…、尚士には僕がいるじゃないですか」
「瑞樹…」
「1人じゃないんですから、辛かったらいつでも弱音を吐いて下さい。…湊君が木崎会長の事を好きだとわかっていて、こうなると予測しての付き合いだったのなら、湊君の幸せを後押ししてあげるのも先輩としての優しさなんじゃないですか?…別れを選ぶのは辛いとは思いますが、僕もその辛さを乗り越える手伝いをします、だから…」
これは飛奈の本心でもある。
今のままでは誰も幸せにはなれない。いちばん最良の案は、今口にした事が全てだと思う。
ただ、心の隅には、こんなもっともらしい事を言って二人を別れさせようとする醜い自分がいるのも確かで…。
自分の中にここまで狡い部分がある事を知った飛奈は、初めて“己と戦う”という事の難しさを実感していた。
理性と欲望。
他者を思いやる心と自分が望む心。
どれを優先して何を我慢すればいいのか。そもそも、我慢するという発想が間違っているのか。
我慢すると言う事は、納得していないという事。
でも、我慢しなければただの利己主義者になってしまう。
自分の想いを大切にするのか、それとも他者の想いを大切にするのか。
考えれば考える程、どうすればいいのかわからなくなってくる。
…でも、一つだけ言える事がある。
それは、大切な幼馴染の苦しむ姿は見たくないという事。
木崎会長の事を好きな湊君と付き合っていても、幸せな未来はないだろう。
その考えは間違っていないと思う。
飛奈が心の中でそう結論付けた時、やはり同じく己と向き合っていたらしい藤堂が、それまで伏せていた瞼を上げて飛奈を見つめた。
「…瑞樹の言う通りだ。これ以上無理に自分の気持ちを押し付けるのはやめにしよう」
「尚士…」
藤堂に、いつもの泰然とした雰囲気が戻ってきた。
その大きな手に肩を叩かれて礼を言われた飛奈は、良い事をしたのか悪い事をしたのかわからないまま、小さく笑みを返した。
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