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fantasia6

「あいつには飛奈がいる。大丈夫だろ」 「…そうですね」 木崎さんの言う通り、飛奈副会長がいるからこそ大丈夫だと思える。 俺とは比べ物にならないくらいの長い年月を、藤堂さんと一緒に過ごしてきた飛奈副会長。 会合の時に感じた事だけど、後ろからしっかりと藤堂さんを支えているように見えた。 藤堂さんは1人じゃない。だから、大丈夫。…であってほしい。 幸せでいてほしい人なんだ。 床の一点を見つめて想いに耽っていたら、突然腕を引っ張られて体が傾いた。 「…っ!」 「他の事考えてる場合じゃないだろ、お前は」 耳元で囁かれる低くとも優しい声に、首筋がぞくりと粟立つ。 本当に不意打ちはやめてほしい。こっちの心臓がいくつあっても足りなくなる。 顔に熱がのぼっていることがバレないうちに離れようと、木崎さんの腕に手を置いた時、 「……藤堂とは、何もなかったよな?」 さっきまでとは違う、何かを抑えているような抑揚のない声が耳に入った。 その言葉が脳内を巡ると同時に、藤堂さんとの事が次々に思い出される。 何もなかった。抱きしめられた事はあっても、それ以上の事は………、 …………あ…、最後の…。 最後の不意打ちのキス。 いや、でもあれはそういうんじゃない。…別れの意味だから…。 「…別に、何も」 「嘘はつくなよ」 言い聞かせるように一言一言ゆっくりと紡がれた言葉にドキッとする。 そんなはずはないのに、もしかして木崎さんは最後のあの事を知っているんじゃないのか?…なんて動揺してしまう。 隠せばやましくなる。やましくないなら隠さずに告げればいい。 「…最後に、触れるだけのキスをされました」 「…………」 沈黙が怖い。怖くて木崎さんの顔が見られない。どういう事だと問い詰められる方がまだましだ。 張り詰めた空気が、痛くて痛くてたまらない。 「………へぇ…、キスねぇ…」 ………怖…ッ。 怒っているのなら普通に文句を言われた方がまだいい。恐る恐る見上げた先にある木崎さんの顔に浮かんでいるのは、紛れもない“笑顔”。 思わず身を引いてしまった。 「なんで逃げてんだよ、響也。やましくないなら堂々としてればいいだろ?」 「やましくありません。不意打ちだったので避けようがありませんでした。俺だって驚きました」 …って、読書感想文を読んでるんじゃないんだから…。 いくら動揺しているとはいえ、棒読みかとも思える自分の言動の不自然さに頭を抱えたくなる。 「不意打ちねぇ…。…お前は不意打ちならなんでも許すのか」 「そ…ういうわけじゃない、です」 「って事は、藤堂だから許したって事か」 「いや、だから、そうじゃなくて!」 「じゃあなんだよ」 「………」 誰か助けてくれ。解決の糸口がまったく見当たらない。 そうして俺が押し黙っている内に、木崎さんは鬱屈とも呼べるような怒りをポロポロと零し始めた。 「そもそも、藤堂だけじゃない。声楽の柳聖人、それにお前と同じクラスの…都築…だったか?ベタベタし過ぎなんだよ。半径1メートル以内に近寄らせんな」 「………」 解決できないという事がわかった。 だって、これはもう間違う事なき“嫉妬”だ。解決なんてできるわけがない。 俺にも覚えがあるけれど、こればかりはどうにもならない。 「…なに笑ってんだお前は」 気付けば俺の顔は緩んでいたらしい。 不機嫌そうに眇められた眼差しで、ジロリと睨まれてしまった。 でも仕方がない。木崎さんが俺に嫉妬してくれる事が、嬉しくてたまらないのだから。 嫉妬という感情が、好きという感情のバロメーター…とは言いきれないけど、好きだからこそ嫉妬するというのは確かであって。これが嬉しくないわけがない。 俺の緩んだ顔に苛ついたのか、遠慮ない力でヘッドロックをされたけれど、それすらも嬉しく感じるのだから末期だと思う。 「俺、本当に木崎さんの事が好きなんですね」 「は?」 まるで他人事のようなセリフだけど、理性で考えるよりも感情が先走って気持ちを教えてくれるのだから、改めて口に出すとそんな言い方になってしまう。 ヘッドロックされたままの状態でチラリと木崎さんの顔を見てみたら、思いっきり逸らされた。 その表情は見えないまでも、頬が僅かに赤く染まっているのだけはわかった。

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