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fantasia9
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コンテスト出場者にとっては、ラストスパートとも呼べる猛練習の日々が始まった。
泣いても笑っても、あと一ヶ月半しかない。
奏華からの出場者は上位者だけとなっている事もあってか、能力の高い本人達は良い具合に緊張感を保ちながら日々練習をしている。
逆に、他の一般生徒達の方がピリピリとしているのが実情だ。
自分が応援している相手が入賞しますように。
でも、優勝・準優勝してしまえばドイツ留学に行ってしまって会えなくなる事を考えると、それも微妙。
相反する葛藤で悩む生徒達。
特に、木崎と棗の事が大好きな生徒達の騒々しさは群を抜いていた。
柳のマニアックなファンや、響也の事を心底尊敬している生徒達は、大人しく静かに見守るだけ。
御厨に憧れている生徒達は、怒られるのが怖くていつも以上にひっそりとしている。
同じくコンテストに出場するヴァイオリン科の鬼原のファンは、温かく応援の言葉をかけていたり励ましていたり。
とにかく校内が落ち着かない。
そんな中、放課後の廊下を個人練習室に向かって歩いている途中、まとわりつく視線に混じって鋭く刺のある異質な気配を感じ、咄嗟に顔を上げた。
「………?」
歩きながらさりげなく周囲を見渡しても、特に何もない。周りの生徒達と目が合っただけ。
気のせいか?
首を傾げつつも、また前へ向き直って足を進めていると、今度は突然背後から肩を掴まれた。つんのめるように軽くたたらを踏んで立ち止まる。
「さっき、鬼の兄はんから聞きましたえ。コンテストまでは会わへんて」
「柳先輩」
相変わらず神出鬼没な人だ。
おまけに鬼の兄さんって…、内容的に木崎さんの事だよな?
…鬼……。
木崎さんには悪いけれど、ちょっと想像して笑ってしまった。
「せやから響ちゃんには構うなってエライ剣幕で怒られたわ。なんであの兄はん、いっつも怒ってはるんやろか」
「………」
いや、たぶん木崎さんが怒る原因は貴方にあると思います。
胸の内だけでそう呟いた。
だって、当人じゃない俺でさえわかる。この二人は絶対に馬が合わない、と。
柳先輩を見てなんとなく溜息を吐いていると、今度は手首を掴まれた。
背が高いだけあって手も大きい。俺の手首を掴んでもまだ余っている長い指。
こうなると、掴まれるというより包まれているといった方が正しい気がする。
…で、いったいなんなんだろう。
掴まれている手に向けていた視線を上げたと同時に、今度はぐんっと引っ張られた。
「や、柳先輩?」
「どうせやったら一緒に練習せぇへん?」
疑問形なのに強制だろこれ。最近こんな事ばかりだ。
そもそも、俺はピアノで柳先輩は声楽。どうやって一緒に練習するのか。
細身なのに力はある柳先輩に引き摺られて廊下を進む。そんな俺達を見て、他の奴らが目を丸くしているのが視界の端に映った。
そしてもう一つ視界に映ったもの。それは、
「柳先輩。木崎に怒鳴り込まれたいんですか貴方は。風紀が乱れるだろうと予測がつく行動を私が見過ごすとは思わないで頂きたい」
「………脩平…」
「御厨先輩…」
なんだか御厨先輩が柳先輩の飼い主に見えてきた。
他人と群れない柳先輩だけど、何故か御厨先輩にだけは逆らわない。今も、口をヘの字に歪めて物っ凄くイヤ~な顔をしているけど、怒る素振りは見えない。
実は影の支配者って…。
ありえそうな想像に恐る恐る御厨先輩を見ると、その視線に何かを感じ取ったのか、こちらにチラリと視線を投げかけてきた先輩は抑揚のない声で一言、
「余計な事を考える暇があるなら早く練習室へ行け」
そう言った。
気が付けば、いつの間にか柳先輩の手が離れている。
いいのか?
このまま去っても大丈夫なのか?
半歩だけ後退ってみた。
柳先輩がこっちを見たけれど、目の前に立つ御厨先輩からの無言の圧力が強くて動けないようだ。
ハブとマングースか。
「あの、それじゃ、俺はこれで」
二人に頭を下げて挨拶をし、その場から脱兎のごとく走りだした。
練習室に着いた時には息も絶え絶えになっていた俺。
もう少し体力を付けた方がいいと実感してしまった。
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