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fantasia22

突然の審査員登場に、さすがに全員が背を正して会釈を返す。 「お話しているところをごめんなさい。…湊君、少しお時間を頂いてもいいかしら?」 …きた…、と思った。 心臓がドクンと音を立て、体中の神経が張り詰める。 「…はい」 そう答えると、真弓さんは笑顔でにっこり頷いた後に「もちろん皇志もよ」と木崎さんを見る。 「それじゃあ僕達はお先に失礼しますね。皇志、響ちゃん、また後で」 既に何かを察している棗先輩が、率先してみんなを連れて行ってくれる。 それぞれに挨拶を交わしながら歩き去っていき、通路に残されたのは俺と木崎さんと真弓さんの3人。 暫しの沈黙がその場を支配する。 木崎さんはいつもと変わらずだけど、俺はそうもいかない。 初めて対面する事もあって、緊張しすぎて顔が強張る。何をどう言われるのか…、怖くてたまらない。 けれど、そんな俺の予想に反して、真弓さんは困ったように笑った。 「湊君、そんなに緊張しないでいいわよ。…と言っても、仕方のない事でしょうけど」 これには木崎さんも予想外だったのか、互いに顔を見合わせた。 「…どういう事だよ」 「フフ、そんなに警戒してないでちょうだい、皇志」 やはり困ったように笑う真弓さんは、まだ俺達から警戒心がなくならないのを感じ取ったのか、小さく溜息を吐きだした。 「…そうね…、貴方達が警戒するのもわかるけれど、一つだけ言わせて。私は皇志の母親でもあり、そして音楽家でもあるの」 真弓さんがそう言った瞬間、隣で木崎さんが息を飲んだ。そして何かを理解したように体の力を抜いた。 俺だけがわかっていないようだ。 木崎さんに向けていた視線を真弓さんに向けると、小さく頷かれる。 「あそこまで素晴らしい音楽を、認めないわけにはいかないでしょう。それに、音楽を聴けば、貴方がどんな子なのかはなんとなくわかります。…純粋に音楽を愛して、音楽に対して真摯。真面目に向き合っている。…私が噂で聞いたように、あちらこちらの生徒に媚を売っているような子には思えなかったわ。それに、皇志を騙しているような人間にも見えない」 「…え?」 噂って、誰がそんな…。 衝撃に固まる俺の脳裏に、二条先輩の顔が浮かんだ。 …まさか…ね。 「貴方を見て、演奏を聴いて、わかった事があります。貴方は皇志を“木崎”というブランドとしてじゃなく、この子本人の事を見てくれているのね…って。私の友人には同性愛者が何人かいるの。だから、同性同士の恋愛に対する偏見自体は無いわ。でも、それが我が子ともなると勝手が違う。やっぱり世間の目は厳しいの。大切な息子を、そんな目に会わせたくない。そういう母親の気持ち、わかってもらえるかしら。…でも、貴方を見て少し安心したのも事実よ。…いくら信頼している方の息子さんの言葉とはいえ、悪い噂だけを鵜呑みにしてしまった事を反省するわ」 「木崎さん…」 柔らかく自嘲の笑みを浮かべる真弓さんの言葉が、呆然とする俺の耳にジワリと染みわたる。 でも、次の一言に顔が強張った。 「貴方が悪い子ではないとわかったけれど、諸手を挙げて賛成はできません」 …当たり前、だよな…。自分の子が同性と付き合うなんて、普通は反対する。 ご両親に認めてもらえる関係だとは思わないし、わかっている。 でも、こうやって面と向かって言われてしまうと、さすがに泣きたくなる。 強張る顔を隠したくて、自然と俯いてしまった。 けれど、 「ただし、邪魔もしないと約束するわ」 「………え?」 幻聴かと思うような言葉にハッと顔を上げると、真弓さんの苦笑する顔が見えた。 隣にいる木崎さんも、真弓さんの顔を驚いたように凝視している。 「この子も、もう自分で責任を取る年齢になるんですもの。今回の演奏を聴いてそこに気付かされたわ。いつまでも子供じゃないって。…そろそろ、私達親の庇護はいらないのかもしれないわね。…もう少し、この子の事を信じてみようと思うの」 どこか寂しそうに笑う真弓さん。 彼女が、厳しくも優しい人だという事がわかった。そして、とても真面目な人だという事も。 「とにかく貴方に言いたいのは、素敵な音楽を有難うって事。…正直言うと、貴方の事は好きではないわ。ふふふ、当たり前でしょ?でも、貴方の音楽は好きよ。貴方の音楽に対する真剣さも好ましいわ。この先がとても楽しみね」 「…木崎さん…」 「頑張ってね」 「……ッ…はい!」 俺の存在は本当に煙たいんだと思う。それなのに公平な審査をしてくれて、こうやって激励の言葉もかけてくれる。 もう、参ったとしか言いようがない。涙が出そうだ。 “我”はそうとう強いのだろう。でもこの人は、感情に流されない強さを持っている。そして、視野がとても広い。 『好きではない』と面と向かってハッキリ言われたのに、何故か嫌いになれない。不思議な人。

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