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fantasia23

涙をこらえながら真弓さんを見ていると、彼女は次に木崎さんを見て、「貴方も頑張りなさい。湊君に負けないようにね」そんな事を言った。 木崎さんは「そんな事言われなくてもわかってる」なんて可愛げなく返しているけど、どことなく嬉しそうに見えるのは気のせいじゃないと思う。 そして真弓さんは踵を返し、去って行った。 その後ろ姿が見えなくなると同時に、木崎さんが深い溜息を吐きだす。 「あの人は骨の髄から音楽家なんだよ、昔から。実際に比重で言えば、母親って立場よりも、音楽家としての立場の方に重きを置く人だ。…だから何はともあれ、お前に会って、お前のピアノを聞いて、認めたんだろうな」 「………」 いろんな事が起こり過ぎて、何を言っていいのかわからない。 たぶんこれは、一晩しっかり寝て睡眠を十分に取ってからでないと、まともな会話も出来ないだろう。 ただ、一つだけ、どうしても今告げておきたい事があった。 「木崎さんに、言っておきたい事があります」 俺の真剣な声に、木崎さんの表情も固くなる。 「うちの両親にも、木崎さんとの事をしっかり話そうと思ってます。もちろん、そう簡単に納得してもらえるとは思っていません。でも、なんとかします。何年かかっても説得して、わかってもらえるようにします。だから…、いつか、両親が受け入れてくれた時は、…家に…、顔を見せるだけでいいので、来てもらえますか?」 言い終わって数秒、木崎さんの固い表情は変わらないまま。 …やっぱり、図々しかったかもしれない。 何も言わない様子に、半ば後悔の念を感じ始めていると。突然、本当に突然木崎さんが大きな溜息を吐きだしてしゃがみ込んだ。髪をグシャリとかき乱している。 …え? 「ふざけるな。何を今更そんな事。…お前が真剣な顔してるから、また『暫く離れよう』とか『自信がなくなった』とか言うのかと思ったら…」 「…え?」 何やら床に向かってぶつくさ言っている木崎さんは、今度はいきなり立ち上がった。 「顔見せだけじゃなくてしっかり挨拶させてもらう。『響也を俺に下さい。絶対に幸せにします』って、お前の両親に頭を下げる、俺はもう既にそう決めてんだよ」 「…木崎さん…」 びっくりした。どうしよう、今、物凄く木崎さんに抱きつきたい。 と思ったら、もう勝手に俺の腕が動いていた。 「…響也?」 さすがの木崎さんもこれには驚いたようで、思いっきり固まっている。 でも、木崎さんの背に回した腕は離したくない。 木崎さんの肩に額をつけて深呼吸をしたら、いつも身にまとっている香水が微かに感じられた。落ち着く匂い。 その内に、驚きから解放された木崎さんもそっと優しく腕を回してくれた。 「木崎さん。優勝おめでとうございます」 「あぁ。お前も、よく頑張ったな」 「はい」 誰もいない通路に、俺達の小さな笑い声が響いた。 …そんな…ッ…。真弓さんがアイツを認めるなんて…。 偶然、真弓と響也達の会話を立ち聞く事になってしまった二条志摩は、通路の曲がり角に身を潜めて、その小さくも愛らしい唇を震わせていた。 真弓が響也に告げた言葉を聞いて愕然とした。 自分がどれほど低レベルな思考を持っていたのか…、目の前に突きつけられた気分だった。 卑怯な手段を使って響也を陥れてみたり、真弓さんにある事ない事告げて2人の仲を引き裂いてみたり。 自分がそんな事に力を注いでいる間、アイツは既に違うレベルで物を見ていたんだ。 他人を下に陥れる事を考える前に、努力で自分が上にいこうとした。 木崎親子に媚びて仲を回復しようとは考えず、周りを認めさせる努力をした。 …それなのにボクは…。 努力も何もしなかった。妬むだけ妬んで、正々堂々と頑張ろうとしなかった。 挙句の果てには、傷つけてコンテストの邪魔をした。 そんな事をしている内に、気付けばピアノ科6番の席も危うくなっている。 …何を、やってるんだろう…。 響也に嫉妬して、貶める事だけに愉悦を感じていた。いったいそれが何に繋がった? 何にも繋がらない。何も生み出さない。あるのはただ、虚しさだけ。 響也を貶める行為が、結果、自分を貶めただけだった。 なんだか、酷く自分が馬鹿に思えてきた。 壁際に身を寄せて、自嘲の溜息をこぼす。 湊響也の演奏は、怪我をものともしない素晴らしいものだった。 あれを聴いて愕然とした。感動してしまった自分が、イヤだった。 ボクだって音楽者の端くれだ。音楽が好きでここにいる。だから、アイツの凄さがわかった。 …なんだか…、自分がちっぽけな存在に思える…。物凄く、ショックだ。 泣きたくなったけど。泣かない。 ボクは、絶対に泣かないっ! 一瞬だけ伏せた瞼を次に開いた時、志摩は、その瞳に未だかつて無い感情の色を表していた。 …絶対に、絶対に上手くなってやる!そして、自分の実力で皇志君を振り向かせるんだから!アイツに出来て、ボクに出来ないはずがない!正々堂々と正面きって戦って、ボクの事を認めさせてやるんだから! もともと勝気で前向きな志摩の中に初めて、努力を厭わない心が生まれた。 他人を妬む前に、頑張ろうと思う心が生まれた。 それが、この先の志摩の人生を大きく変える事になろうとは、本人にわかるはずもなく…。 ここでようやく、奏華学院音楽コンテストという大舞台の一つが幕を下ろした。

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