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coda2

§・・§・・§・・§ 奏華学院のこの時期の終業式は、コンクール関連で授業数が減る事もあり、異例ではあるが祝日の23日に行うとされている。 その終業式当日に、俺・木崎さん・棗先輩・御厨先輩は、正式にドイツ留学に行く申請を出した。 そこで気がついた。 音楽科の生徒会会長・副会長・風紀委員長という、輝かしい役職の人間が見事にいなくなってしまう事に…。 おまけに、俺達がドイツへ行っている間に3年生は卒業してしまう。 それは、柳先輩や梶先輩、藤堂さんや飛奈さん達の卒業を見送れないという事。 ドイツから祝辞のメッセージを送るつもりではいるけれど、卒業式に参加出来ないのはやっぱり寂しい。 でも、俺はドイツに行く事を選んだ。諦めなくてはいけない事もあると、覚悟を決めなくてはいけない。 ただひとつの何かを選ぶからには、他の何かを捨てる勇気を。 全部自分の思う通りに…なんて、そんな甘い考えは通らないのだから。 それに、二度と会えないわけじゃない。留学から戻って改めて会いに行けばいい。 紅林先生に、空いた役職はどうするのか聞いてみたら、現在の役員が自分の後任を任命して任せるのだと聞いた。もちろん、任命された人間に拒否権はない。 まぁ、あの人達が選ぶのだから相応の人間のはず。心配はないだろう。 訪れた冬休みは、これまで必死になってきた数ヶ月とは比べ物にならないくらい穏やかなものとなった。 思い返してみれば、高等部に入ってからというもの、問題続きだった気がする。 本当に久し振りに、何も考えずボーっとする事ができる。 それに、イブの今夜は木崎さんと2人で出掛ける予定も入っているし、ただただ純粋に幸せだ。 寮の自室でクローゼットを開き、これから着ていく服をあぁでもないこうでもないと悩む自分が、なんだか可笑しい。 最終的に、結局いつも自分が好んで着ているカジュアルブランドの服に決めた。 時間はもう23時。約束の時刻だ。 口元を覆うくらいまでマフラーを引き上げて部屋を出ると、屋内とはいえエアコンが利いていない廊下はもう既に寒く、どうしても肩に力が入ってしまう。 静かに一階まで下りて辿り着いた玄関には、すでに長身の人影が見えた。 「こんばんは」 声をかけると、こっちを向いた木崎さんが目元を緩めるだけの優しい笑みを浮かべた。 自然と俺も笑顔になってしまう。 「行くぞ」 「はい」 寮棟を出た途端に真冬の寒さが襲ってきたけれど、楽しさと嬉しさがそれを上回る。木崎さんが一緒にいれば、この寒さも気にならなくなる。 学院の門を出て、躊躇うことなく進んでいく木崎さん。この様子では、どこに行くのかもう決めているんだと思う。 さっきまでは、街の方に出るのだろうと予想していた。でも実際に木崎さんが進んでいくのは、街とは正反対の方向。山の方へ向かっている。 「あの、木崎さん」 「ん?」 「どこに行くのか聞いてもいいですか?」 隣を歩く木崎さんに問いかけてみれば、楽しそうに笑ったあと「教えない」そう言われてしまった。 教えて下さい…と詰め寄ろうとしたけれど、突然、片手を温かなモノに包まれ、それが何かわかった瞬間、火を吹く勢いで顔が熱くなって俯いた。 ずるい。こんな風に優しく手を繋がれてしまったら、何も言えなくなる。 隣から笑いを噛み殺す声がするという事は、俺が激しい羞恥心に襲われている事なんてすっかりお見通しなんだろう。 「少し歩くけど、疲れたら言えよ」 「…大丈夫です」 俯いたままで答えると、また可笑しそうに笑われた。 それから俺達は無言のまま歩き続けた。寒風が厳しい中、繋がれた右手だけが熱を帯びて温かい。 元々、山に近い僻地に建てられた奏華学院。そこから更に上へ行けば、人どころか建物すらなくなる。 耳に聞こえるのは、自分達の足音と梢のざわめきだけ。それでも居心地の悪さなどなく、世界に2人しかいないような感覚に嬉しさを感じている俺はおかしいのかもしれない。 そのうちに、公道から外れて林道に入る。 本当に何処へ向かっているんだろう。 木崎さんの力強い足取りを見れば、目的地が決まっている事はわかる。けれど、こんな辺鄙な所に何があるのか…。 周りを見渡しても、あるのは枯れた木々と雑草だけ。 上から煌々と照らしてくれる月明かりがあるおかげで暗闇ではないけど、やっぱり疑問は募る一方。 そんな時、手を引かれながら周囲の景色を眺めていた俺の耳に、木崎さんの声が聞こえた。 「着いた」 「え?」 正面を向けば、そこだけポッカリと木々が切り取られた小さな広場があった。そして、その中央に存在する屋根の尖った建物。 これは、まさか…、 「…教会、ですか?」 「あぁ」 雑草を踏みしめて近づいたその教会からは、どう見ても人の気配が感じられない。明らかに使用されていない寂れたものだった。 木崎さんが躊躇いもなく扉を開くと、やはり使用されていない事がわかる軋む音がする。 「入ってもいいんですか?」 「今は使用されてないから平気だ」 この言い方からすると、もしかしたら誰かに聞いたのかもしれない。 当たり前だけど電気の通っていない教会内は暗く、ただ、正面にある大きなステンドグラスから差し込む淡い月明かりだけが、そこまで続く真ん中の通路を静かに照らしていた。 「少し待ってろ」 そう言い残して壁際を歩き出した木崎さんは、ポケットから取り出した何かを壁に近づけている。 「……あ…」 数秒後、木崎さんがいる場所から広がる小さな灯り。そしてまた歩き出し、さっきと同じ行動をとっている。 それに合わせて灯りが増える。 壁際に等間隔で設置された燭台に、短くともまだ蝋燭が残っていたらしい。木崎さんが、手に持ったライターで順々に火を灯していく。 ジワリジワリと教会内が明るくなっていく。温かみのあるオレンジ色の灯りが広がっていくそれは、なんと厳かな光景か。 ステンドグラスの美しい模様が月明りの影となって映っている通路を進み、マリア像の前に立った。 まだ赤子のキリストを腕に抱いた彼女の慈愛の表情が、見ているものの心を穏やかにさせる。 神を信じているわけではない俺ですら、ステンドグラスの中央にある厳めしい十字架と相まって妙に神妙な気持ちにさせられるのが不思議だ。 「ちょうど0時か。…クリスマスだな」 いつの間にか、隣に木崎さんが立っていた。 そして、2人でマリア像を見上げる。 暫くそのまま眺めていた俺達だけど、 「こういう場所で、お前にしっかり誓いたかった」 不意に聞こえた呟きのような小さな声に、ハッと我に返った。 「……え?」 隣を見れば、それまでマリア像を見ていたはずの木崎さんの眼差しは俺に向けられていて、そのあまりに真摯な表情に息を飲む。 「いつもお前を辛い目にばかり合わせている自覚はある。悪いが、それでもお前を手離そうなんて思わない」 「木崎さん…」 「利己的だってわかっても、お前が悩むのがわかっても、もう二度と手を離す気はない。その代わり、俺は死んでもお前を全力で守る。だから、お前の一生を俺に預けてくれないか?響也」 「…………」 グッと胸に込み上げてきた感情は、もう名前の付けられないものだった。 嵐のように荒れ狂い、グルグルと渦を巻き、そして、穏やかな春風に変わる。 後に残ったのは、狂おしいまでの愛おしさ。 溢れだした涙を止める術なんて見つからず、顎先を伝ってポタポタと下に落ちる雫。 木崎さんの温かく大きな手が頬を包み込み、その繊細な指先が涙を拭ってくれた。 何も言わずに俺の返事を待ってくれる木崎さんに、答えなんてただ1つ。 「俺の一生を木崎さんに預けます。だから、木崎さんの一生も俺に預けて下さい。貴方が辛い時は、俺が貴方を守ります」 目の前にある怜悧な眼差しを見据え、伝えた想い、言葉。 数秒後、俺は驚きに目を瞠ることとなった。 だって、木崎さんが…、 木崎さんの瞳から、涙が一筋、零れ落ちたんだ。 一滴の雫が、こんなにも綺麗で、こんなにも胸を締め付ける。 俺が固まっていると、木崎さんはその長身を僅かに屈めて、俺の額に自分のそれをコツンと優しく押し当ててきた。 「響也、どんな時も、お前を愛してる」 「俺も、いつだって、木崎さんを愛してます」 互いに目を閉じ、静かに呟いた言葉。 それは教会中の空気を震わせ、マリア像まで届く。 『一生を共に』 胸に刻み込まれた、誓いの言葉。 どうか、…どうか俺達の未来を見守っていて下さい。マリア様。 意地を張り、擦れ違い、途中で迷子になった想いが、ようやく互いの元に辿り着いた。 何があっても、俺達は一生、この手を離さないと誓います。 手を取り合い、優しい口付けを交わす二人の姿を、ステンドグラス越しの月明かりが淡く照らし出していた。

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