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第9話 black-out
19時、まだ少しだけ空は明るさがあったがそろそろ日も暮れて夜になる。
「げ、瑛太悪い!初日からこんな拘束しちまって。」
時間を忘れ瑛太も陽川も仕事に夢中になっていた。瑛太も陽川の声でやっと気が付き、窓を見た。
(……見えない。)
「やっば…倭に迎えに来てもらうか。」
「いや、慣れてるし大丈夫。」
「そうか?」
「それに俺はここに院も入れたら6年も通ってたんだよ、要君は心配しすぎ。」
呆れたように笑いながら瑛太は荷物置き場になってるカラーボックスから白いショルダーバッグを肩にかけた。
「じゃ、また明日。」
律儀に「失礼します。」と頭を下げて瑛太は研究室を出た。
校舎を出て門まで向かう間に暗闇が多くなり、瑛太の世界からは色が無くなって視界も狭まる。
門のところにある守衛小屋の灯りがぼんやりと分かる頃、ポケットに入れてたスマホが振動する。確認すると「東雲 倭」からの着信、瑛太は少しだけ溜息を吐いて通話をタップした。
『瑛太、仕事は終わったのか?』
「うん、今ちょうど上がったところだけど。」
優しい恋人の声が心地よく瑛太に響き、少しの安堵で胸を撫で下ろした。
『俺も今から帰れるんだけど…夕飯どうしようか。外で食べようか。』
「そうだな…何処にする?ファミレスとかで適当に済ますか?」
『そういうわけにはいかないよ、瑛太の再就職初出勤のお祝いをしよう。』
(こういうとこ、マメというか律儀というか…。)
『そっちの駅まで迎えに行くから、わかりやすいところにいてくれ。着いたら連絡する。』
「……うん、ありがとう。」
ここで「大丈夫」と拒んでも心配性の恋人はそれを否定してくる。瑛太はそれがわかっていて倭の申し出を飲み込んだ。
――ただ、それが最近少しだけ息苦しい。
通話を終了して、一旦目を閉じて、開けると、色が戻った。だけどもう夜になって鮮やかに色は見えなかった。
視界がはっきりしているうちに、と瑛太は早足で地下鉄の駅の改札に向かって歩く。
駅に近づくにつれ店の灯りが彩る。人工甘味料のようなこの光がどうも気持ち悪く感じる。
――ズキンッ
右耳の軟骨が疼 くように痛んだ、瞬間。
(何も、見えない…。)
運悪く、その一瞬の一歩は地下鉄の駅へと降りる階段に向かっていた。当然、踏み外して、落ちる。瑛太の瞬時の判断は痛みを覚悟した。
だけど痛みはなく、代わりに柔らかな熱。
「大丈夫っすか⁉︎……って五色さん!」
聞き覚えのある声だった。しかし瑛太には何も見えないから何をすればいいのか解らなかった。
「だ、誰…。」
知り合いかもしれないのに、カタカタカタカタと微かに恐怖で震える。見えない恐怖で震える。震えたことが伝わったからなのか、瑛太は抱き寄せられた。
「とりあえず危ないからこっちへ。」
すぅ、と呼吸をしたら、やっとぼやけて視界が見えた。先ほどまでと違うのは、またモノクロの世界。そして見上げた先にある顔は、やはり瑛太が知っている顔だった。
「君、は…ゼミの。」
「静海っすよ。大丈夫っすか?目の前で階段から落ちそうになってましたけど。」
取り敢えず安全な地面に移動し、瑛太を助けた絢也は瑛太を少し離して、服のシワを伸ばすように瑛太の身なりを整える仕草と接触をする。
「す、すまない…。」
「いーっすよ。それよりどうしました?あれっすか、陽ちゃんに初日から馬車馬の如く働かされてフラフラになったとか?」
絢也は瑛太を覗き込み、瑛太の額に手を当てた。
――瑛ちゃん、無理すんなし。な?
瑛太のシナプスが酷く刺激された。捨てて上書きしたつもりの記憶が、今見えてる景色から瑛太を遮断する。繊細さのかけらもない絢也の手の感触が、痛い。
――時化 が酷く……_
――まだ……の船が戻ってなく……_
――瑛太ぁ!海に行ったらいかん!
「五色さん?ちょっと、顔色悪い…五色さん⁉︎」
瑛太は膝から崩れた。
十数年前に瑛太の両親と、――が、荒れ狂う海に奪われて、真っ暗に、テレビの砂嵐のように、ノイズが阻む、瑛太の過去が。
(この声、感触…この子は今日会ったばかりの、要君の生徒、のはず…。)
絢也は瑛太を支えようと手を伸ばした瞬間、瑛太の儚くか弱そうな小さい躰 は絢也と同じくらいで少しだけ線の細いスーツを着た男性に攫 われた。
「瑛太、お待たせ。どうしたの?」
瑛太に伸ばした絢也の手は行き場を失った。
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