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第15話 secret secret
瑛太に「ついてきて」と言われるがまま、絢也が辿り着いたのは朝早く人気 の無い生命工学部の最上階フロアだった。ここは生命工学部の倉庫と化していて滅多なことで人の出入りはなかった。
(ここなら誰も来ない、よな。)
瑛太が挙動不審にキョロキョロと辺りを見渡すと、絢也はやっと声をかけた。
「五色さん、なんでこんなところに連れてきたんですか?」
「いや…あまり他人に聞かれたくなくて」
「そんでいつまで俺の腕掴んでるんですか?」
そう指摘されて瑛太は自分の右手を視線で辿る。繋いでいる右手と掴んでいる絢也の左手だけが鮮明に彩られている。また顔をあげると、困惑した絢也の表情が、色づいていた。
なのに、窓の外から見える空は。
「し、静海くん…今、どんな天気?」
「は…はい?え、あの…えっと……晴れっすよ。」
「空は…どんな色をしてる?」
「そんなの青いに決まってるじゃないスか。」
(青いんだ。)
瑛太は右手を離して、窓の外に目をやったままポツリポツリと漏らすように喋り出す。
「俺には、灰色で雲のない曇りに見えるんだよね。」
「…………はぁ。」
絢也はどうリアクションしていいか分からない、と言いたげな顔をした。
「昨日助けてもらったから、ちゃんと話さなきゃと…勿論近々ゼミのみんなにも話すけど…。」
「はぁ……。」
(静海くんの顔、見るの怖い。)
何故だかそんな気持ちになって、絢也の反応を見ぬまま瑛太は矢継ぎ早に言葉を発する。
「俺、高校生の時に両親が死んでさ…その日から目がおかしくなったんだよ。見えることは見えるけど、色が全く見えなくて、モノクロ映画のように人も物も景色も全部白か黒でしか見えなくなって…でも時々は普通に戻るんだけどね。医者にはストレスや心因性のものだと言われてカウンセリングも受けたことは受けたんだけど、肝心の…両親が死んだときのことは綺麗さっぱり記憶が抜けていて……昨日、静海くんに助けてもらった時は、急に視界が真っ暗になってしまってて、階段踏み外して、それで…。」
「ちょっとストップ!」
少し大きな声で制止をかけられた瑛太はハッとして顔を上げた。すると絢也を中心に段々と色が戻り始めていた。そして自分が今日は淡いライムグリーンの半袖シャツを着ていたことを認識した。
「えーっと…五色さんは色の見えない目の病気で、原因はストレス、だと。」
絢也は要点をまとめるだけまとめて復唱した。それに瑛太は「そういうこと、だよ」と頷いた。
「それが俺と何か関係あるんですか?」
「………えっと…。」
そう訊ねられると瑛太は返答に困った。まだ信ぴょう性のない、昨日自分の脳内で起こった話を、昨日あったばかりの、今朝は誰かと認識することさえ時間のかかった一学生にしてもいいのだろうか、と。
「昨夜 、五色さんを連れて帰った人……東雲さん、でしたっけ?サラリーマンの格好してた人。」
「あ…ああ…。」
「俺めっちゃ敵意みたいなの感じたんですけど……一緒に暮らしてるとか、あからさまに主張して牽制されるし。」
「それは、不愉快に思ったのなら悪かった…。」
瑛太は昨夜のことも曖昧だったが、絢也の声が少し怒りを含んでいるように聞こえてしなくても良いのに思わず謝罪した。
「今俺に話してくれたこと、東雲さんは知ってるんですか?」
「うん……まぁ…。」
「じゃあ東雲さんに慰めてもらえばいいじゃないですか。そんなに泣きそうな顔してんだったら。」
絢也の突き放すような言葉に瑛太は焦って、絢也の腕をまた掴んでいた。いや、縋った。
泣きそうな瑛太の目は確かに絢也を捕らえた。絢也はその白くて儚い肌に無骨な手で触れようとしたとき。
ピリリリリリ…
「あ、すいません…俺のスマホだ…。」
瑛太は鳴り続けるスマホをポケットから取り出し画面を確認する。
「ンだよ…淳吾 かよ……すいません五色さん、失礼します。」
絢也は決まりが悪そうに瑛太に会釈し離れながら通話をした。
「淳吾ぉ、なんだぁ……それだよ!おめぇんチに俺らゼミ合宿て………おめぇ帰ったら覚えとけよぉ…」
電話口への相手に訛り全開の言葉を乱暴にぶつけながら、その声が段々と瑛太から遠ざかっていった。
絢也の姿が見えなくなった時、また瑛太の頭の中に何かの声が巡る、響く。
――瑛太ぁ!海に行ったらいかん!
「ぐ……うぅ…っ!」
瑛太は頭を抱えてその場にしゃがみこむ。
彩りを戻した世界が、ブラックアウトした。
(見えない……見えない……何で……見えない……!)
――ごし…せん……ら…ふ……し…ん…
――………くんも……に…って……んで…
荒れる海の景色が見えた。ほんの一瞬。
瞬きして目を開くと校舎の廊下、現実に戻ったようだった。しかし。
「また……色が見えなくなった……。」
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