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第41話 Firece

絢也と瑛太以外のゼミ生たちは、一度民宿に戻る。 「午後から県と町の担当者、漁業組合の方々との会合がある。俺たちも参加し、このような事態になった場合に地域がどのようにして動くのかよく見て学んで欲しい」 陽川は駐車場で生徒たちにそう伝えると解散させた。皆、夜中に召集されて日が昇るまで作業をし、体力も消耗しきっている。 「おかえりなさい。簡単な朝ごはんを用意してますから食べられる方はご自由にどうぞ」 入り口から出てきた沙優がゼミ生たちを迎え入れて笑顔で労う。 陽川も大きなあくびをしながら続こうとした。 「陽ちゃん!」 「んあ? ……どした、戸部」 髪もボサボサで服も汚れている杏菜は疲労の顔色ではなく、どこか怒りを彷彿とさせる顔をしていた。 「静海……どうして五色さんと一緒にさせたの?」 「……あー…えっとまぁ……静海をどーにかできそうなのが瑛太だったから、じゃ納得しないか?」 杏菜はその問いに首を縦に動かした。 「静海が五色さんに惚れてるの、陽ちゃんだってわかってるよね?」 「…………まぁ、な」 「昨日突然来た陽ちゃんの知り合いの人、五色さんにとって特別な人じゃないの?」 (ひゅー…女の勘ってやつかぁ…こえぇな) どうにか誤魔化そうと言葉を探してはみるが真剣な杏菜の言葉や視線に己の不誠実を痛感してしまう。降参したようにため息を吐いて口を開くと、民宿の方から人がやってきた。 「要くん、戻ってたんだ」 しっかりと身なりを整えている倭がピアスがついている方の髪をかきあげながら近づいてくる。 杏菜は倭の雰囲気に、背筋が凍りそうになる。 「ねぇ、さっき彼女が言ってたこと本当?」 「………………」 「瑛太を、瑛太に惚れてる男と2人きりにしたって本当?」 「………………」 「要くんが隠してても、俺には全部わかってるから」 微笑みながら倭はスマートフォンを取り出した。 「迂闊だよね瑛太も。密会するときはスマホの電源も切らないと」 その言葉で杏菜はハッとした。そして理解すると足がガクガク震え始める。陽川も奥歯を噛む。 「……………もう、やめろ…」 絞り出すような声を出したのは陽川だった。杏菜はすぐに逃げたかったが足が動かない。倭は口元からも笑みが消えた。そしてスマートフォンが倭の右手からスルリと落ちて、砂利に当たってガラス製の保護シートにヒビが入った刹那、陽川は吹っ飛ばされて尻餅をついた。そして倭に馬乗りされ、胸ぐらを掴まれた。 「もうやめろよ! お前の瑛太(あいつ)に対する感情はあいつのためじゃない!」 「うるさい! あいつはもう家族も何もかもいない! 俺しかいないんだ!」 「それはお前がそう思い込ませただけだろうが! お前の勝手な執着心で! 瑛太のことを縛り付けてるのはお前だろ! 倭!」 いつも穏やかでいい加減な陽川が本気で怒鳴っている姿は初めて見る杏菜は、誰かを呼ぼうにも声も出ない。恐怖で震えるだけだった。 そして陽川はもう一度、左頬を殴られた。 「黙れ! 瑛太は俺のもんだ! 俺だけのもんだ!」 杏菜はただ震える。 そして震えていたのは杏菜だけではなかった。 「淳吾……淳吾ー!」 陽川と倭の(いさか)いを玄関先でたまたま耳にしてしまった沙優はどうにか足を動かして淳吾とゼミ生がいる食堂にかけていく。沙優のあまりの勢いに全員が注視する。 「表で、先生と…昨日きたサラリーマンが、喧嘩してっから、誰か止めて!」 「なんだって!?」 顔面蒼白に近い沙優の色と表情で生徒たちも食事を中断して表に出た。 雨が更に強くなる中でまたずぶ濡れになりながら淳吾と生徒たちが倭を陽川から引き剥がし、また激昂する陽川を必死で抑える。 「俺だってお前を信じてた! お前なら瑛太に寄り添ってくれるって! だけど違った………お前はどう足掻いても傑にはなれねぇんだよ!」 「陽ちゃん!」 「なに? 何で喧嘩してんの!」 「兄貴が死んでから瑛太をのは俺なんだよ! 瑛太は俺と一緒にいるのが幸せなんだよ!」 「ちょ、落ち着いて下さい! 冷静になって話し合いましょう!」 「離せ! 離せよ!」 拓弥は泣きじゃくる杏菜を守るように抱きしめた。 「杏菜、もう大丈夫だ。とりあえず中に入るぞ」 「拓弥………私、五色さんに…静海に……酷いことした………酷いこと思っちゃった………どうしよう………」 「あとで謝ればいいだろ、な? ここにいたら風邪引く」 喧嘩の後始末は先輩たちに任せて拓弥は杏菜を連れて民宿の中へ入っていく。 同じ頃、瑛太は古い畳の匂いと雨の匂いに包まれて絢也の熱い口づけに翻弄されていた。 そして目を開けば、古い木製の天井板の色が、外の鉛色が、紅潮した絢也の色が映った。モノクロが視界から一片も残っていなかった。

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