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【3】

――ちょっと時間、いいか?」  離れの裏側に面した庭は綺麗に手入れがなされており、紅葉の季節を前にした深緑の葉がそよ風に揺れていた。 その庭を望む濡れ縁に腰かけて、ぼんやりと景色を眺めていた弥白は、不意にかけられた声に弾かれるように顔を上げた。 「水越さん?」  まだ半袖のTシャツでも十分だという気温のなか、黒いレザーのジャケットにブラックジーンズといった全身黒ずくめの出で立ちは見るからに暑そうで不相応な感じがしていたが、彼の持つ独特の雰囲気の方がはるかに勝っていた。  モデルのように長身でバランスのとれた体躯。あちこちを駆け回っているフリーライターの割には色白だが、漆黒と言っても過言ではない少し長めの髪が、野性的なこげ茶色の三白眼と相まって、凛々しく、そして精悍に見えた。  弥白の彼に対する初対面の印象ははっきり言って最悪だった。  左耳で光るリングピアスも、笑う時に唇の端だけをあげるのも何となく遊び慣れているようで、灰英との関係をつい疑いたくなるような言動に苛立ちを隠せなかった。  しかし、境内の随所で一眼レフのカメラを手に撮影する彼の姿を何度か目にしているうちに、不思議と警戒心は薄れ、なぜだか懐かしい気持ちになった。  彼とは今まで一度も会ったことはない。それなのに、彼の背中に既視感を覚えたのは、夢の中で追いかけたあの背中に良く似ていたからだった。  自身を快楽に導く手。その手の主を追って走り続けるが、結局追いつくことは叶わずにその場で泣き崩れてしまう。その後には決まって自分の存在が疎ましく、やりきれない気持ちになった。 「灰英にはちゃんと取材の許可を取ってる。花嫁として蛇神様に嫁ぐ、今の君の想いを聞きたい」  そう言いながらゆっくりとした動作で近づき、弥白のすぐ隣に腰を下ろすと、長い脚を無造作に組んだ。  二十七歳の灰英よりも年上だということは分かっている。しかし、彼しか見えていなかった弥白にとって、これほど落ち着いた雰囲気を持つ男性と肩を並べることなど今までなかっただけに、緊張の色は隠せなかった。  触れ合う肩に自然と力が入り、身に付けていた一重の着物の裾をギュッと握りしめたまま俯く事しか出来なかった。 「――あれ? 緊張してる?」 「別に……」  水越に気付かれまいと顔を背けた時、彼の大きな手が弥白の細い手首を掴んだ。  息を呑んで肩を震わせた弥白は、大きく目を見開いて彼を見つめた。 「これ……リストカットの痕だろ? 何度……死のうとした?」  先程の柔らかなアプローチとは打って変わり、険しい表情で真っ直ぐに見つめてきた水越に、弥白は言葉を失った。  昼間はロクに動きもしない上司に理不尽な言いがかりで怒鳴られ、夜になって目を閉じれば悪い夢にうなされる毎日。寝汗で濡れた胸を喘がせて飛び起きるたびに、自身の体に刃物を当てていた。  心の中にぽっかりと空いた深い闇。それを埋めることが出来ずに苦しみもがき、涙する。  薄闇の中で、白い肌に朱が曳かれ、紅の滴が一滴また一滴と白いシーツを汚していく。  それを見るともなしに見つめ、また自分を貶める。 (生きていてはいけない……)  なぜと問われても答えられない強烈な罪悪感。それに襲われた夜は、命をも絶てない自分の弱さに嫌気がさした。いっそ、誰かに殺してもらいたい――そう、何度も願った。  しかし、現実は非常で過酷だった。  死にたいのに死ねない。それを止めるのは穏やかな低い声……。 『――我のもとに』  その声に涙腺が壊れたように涙が溢れ出し、自分の浅はかな行為を戒めるのだった。 「――毎晩。悪い夢を見るたびに死にたくなった」 「悪い夢?」  薄くはなっているが、見ようでははっきりと残る傷痕を親指で拭うように擦った水越が、弥白を覗き込むようにして身を屈めた。  弥白は今まで灰英以外の者にこの事を話したことがなかった。それ故に戸惑い、水越に話すことを躊躇った。 『悪い夢を見るのは昼間与えられる極度のストレスのせい』 『夢に踊らされて自殺を図るなんてイカれてる』 そう言ってバカにされるのがオチだと思っていたからだ。誰も弥白のことに興味を持つ者はいない。まして、彼が何をしようと知ったことではないのだ。  そんな彼を親身になって心配してくれたのは灰英ただ一人だった。 「どうした? 俺には話せない?」  傷をなぞるように動く水越の指が手首に絡みつくように感じられ、弥白はその心地よさにわずかに目を伏せた。 『我のもとに……』  頭の中に直接語りかける低い声にハッと顔を上げた。そして、ゆっくりと水越の方に向けると、彼の黒髪がさらりと風に揺れた。  その横顔に既視感を覚え、弥白は目が離せなくなった。しかし、記憶を辿っても彼の面影を見つけることは出来なかった。 「水越さんに話して何になるっていうんですか? 今でも、死にたいって気持ちは変わらない。この世界は俺には辛すぎる」 「黒芭でいい――。お前……恋人とか好きな人とかいないのか? 大切な人の存在があれば生きようって思うだろ?」  核心に切り込むかのような水越の問いに弥白は唇を噛んだ。 緊張で渇いた唇をそっと湿らせるように舐めることで、なんとか冷静さを取り戻した弥白は、まるで独り言のように呟いた。 「――いませんよ、そんな人。自殺しようとしてる人間が、誰かを守ろうだとか大切にしようだとかって考えられる余裕あると思う?」  事実、今の弥白にはそんな余力は残ってはいなかった。幼い頃から両親のことで苦悩し、社会に出てそんな苦痛から解放されるかと思いきや、会社で繰り返される陰湿ないじめやパワハラ。  もう、逃げる場所はどこにもなかった。唯一、それを口にすることを許されるのであれならば、迷うことなく灰英の名を挙げることだろう。  しかし、想いを告げる間もなく終わってしまいそうな気がしていた。  そんな自分に何度もいい聞かせ、諦めようと試みた。それを蒸し返そうとする水越の問いに苛立ちを覚えていた。 「もしも、そういう人がいたとしても俺にはどうする事も出来ない。今更足掻いて、縋ったところで俺の想いは受け入れられない。蛇神様の花嫁として……すべてを忘れるしか」 「――灰英か」 「え……」 「お前が想いを寄せているのは灰英だろう? 昨日のお前たちを見て、すぐに分かった」  弥白の胸のど真ん中を射抜くような水越の言葉に口を噤み、その答えを返すこともなく黙り込んだ。  中庭に吹き込んでくる冷たい風が、二人の髪をそよがせた。  どのくらいそうしていただろう。長い沈黙を破ったのは、弥白の方だった。 「――男が男を好きになるなんて、変ですよね? 俺、小さい頃から彼のこと好きだったんです。それが恋愛感情だって気付いた時はもう、この村を離れたあとでした」  視線を遠くに運んだ弥白は、何かを思い出す様に言葉を紡いだ。 「弱虫で泣いてばっかりの俺をいつも守ってくれた。彼の両親もいい人で、俺を本当の息子みたいに可愛がってくれた。それに、両親のことで揉めた時も力になってくれた。でも――それだけのことだったんです。黒芭さん、このことは絶対に灰英には言わないで。最後の最後で嫌われたくないから……」 「片想いのままでいいのか?」 「はい……。でも、ちゃんと挨拶はするつもりでいる。勇気があれば……だけど」  昨日、自身を離れに追いやって灰英が水越と話をしていたことを思い出す。もし、彼が恋敵であったとしたら、こんな敗北を認める様な無様な姿は見られたくなかった。それでも、水越に真意を告げたのは、勢いだけ……という感情ではなかった。  心のどこかで灰英を幸せにしてくれるのではないか……そう思っていたからだ。  この期に及んで恋敵と対等に戦おうとは思っていない。死を目前にした弥白にはもう、諦めるほか道は残っていなかった。 「――あの。黒芭さんは灰英と……その、つき合っていたりするんですか?」 「俺が?」 「あ、気に障ったらごめんなさい。灰英、貴方には心を許しているように見えたから」  水越は弥白の言葉に、ふと口を噤んだ。心を許している――それは灰英ではなく自身の方なのだと。  体を繋げるということでしか彼を縛り付けられない。その心は目の前にいる弥白の方に向けられているのだから。  だが、水越は灰英に対して恋愛感情はない。むしろ、主従関係に近いものがある。でも、大学の先輩だからといって圧倒的な力で捻じ伏せ、彼を従わせているとも違う。  互いに抱く信頼関係。それに肉体関係が附随しているといっていいだろう。  今まで自分だけのものであった男が他の男に恋心を抱いていることに多少なりとも嫉妬心は芽生える。  独占欲――。それは本来、別の者へと向けられているはずのものだった。 「――アイツの心は別のところにある。それを手に入れるためには大切なピースが必要だ」 「大切な……ピース?」  弥白が不思議そうな顔で水越を覗き込んだとき、彼は何かを思い出すかのように口を開いた。 「愛する者への想いを残し、内に秘めた苦痛を抱えたまま、すべてを捨ててここに来る――俺はこの場所で何人もの花嫁の話を聞いた。借金を苦にした両親に売られた者。陰湿ないじめに耐えかねた者。家族や親戚、信頼を寄せていた仲間にも裏切られて、行き場を失った者がその身を捧げるために訪れた。誰にも必要とされない孤独を抱きながらな……。だけど皆、不思議と笑っているんだよ。蛇神様への供物として献上されるって言うのにだぜ?この先どうなるのかも分からない。噂じゃあ、蛇神様のエサとして喰われちまうなんて言われてるのに、どうして彼らはこんなに嬉しそうなんだろうって……」  水越が見つめた方に視線を移すと、木々が生い茂るその中に小さな祠が祀られていた。  木製の小さな祠は苔生した岩の上に鎮座し、まるでそこに座る二人を見守るようにあった。その姿は周囲からの目を避けるようにひっそりと佇み、昨日から何度かこの濡れ縁に座っていた弥白さえも気づくことはなかった。 「祠?」 「あれはな、ここに座った花嫁だけが目にすることが出来る祠だ。灰英から聞いていない?」 「ええ……何も」 「花嫁には見えるらしいんだ。ここに祀られている黒蛇の番だった白蛇が」 「え? 言い伝えでは白蛇は村人に殺されたんじゃ……」  水越はなぜか少し悲しげに視線を逸らすと、何かを吹っ切るかのように言葉を紡いだ。 「あの祠には、白蛇の眼球が祀られている。信頼し合い、共に生きていた村人に裏切られ、番であった白蛇を殺された黒蛇は怒り、この村に災害をもたらした。白蛇の骸があったとされる納屋を土石流が押し流した時、血のように赤い紅の眼球がここに落ちたという。それは白蛇が物事の真意を見抜くと言われていた両眼。誰しも、その瞳の前では嘘はつけなかった……」  弥白は水越の声がかすかに震えていることに気付き、自身の手を握っていた彼の手にもう片方の手を重ねていた。  ひんやりとした大きな手。その手の感触に、弥白はなぜか安らぎを覚えた。 「黒芭さん……」 「――花嫁が今まで誰にも言えなかったこと、そして自身を偽り続けた理由。すべて白蛇には見えているんだよ。嘘はつけない……。内に秘めた想いをすべてここで曝け出すことで、本当の自分を解放していたんだと思う。見えるものすべてが正しいわけじゃない。そして、それに反して生きることが悪じゃない。白蛇は自身でも気づかない真実を教えてくれる。言い伝えでは、花嫁として献上された者は蛇神様の腹に収まっちまうって言ってるけど、本当は違う世界で幸せに暮らしてるんじゃないかって思うんだよ。あ、これは俺の妄想だけどな……。大切な番を殺されて、怒り狂わない夫はいない。黒蛇の気持ちは痛いほど分かる。でも、なんだかんだ言ってこの村を守ってる。本当に人間を憎いと思うのなら、すべてを無にすることぐらい神様なら朝飯前だろ? それはきっと……」  不意に水越が言葉を切ったのは、隣に座る弥白の頬に透明の滴が伝い落ちていたからだった。  勝ち気にも見える栗色の瞳は大きく見開かれたまま。そこからとめどなく溢れる涙はどこまでも美しく、儚いものだった。 「――弥白?」 「なんだか変だ……。涙が止まらないんです」 「まさか……見えているのか?」  弥白は何も答えずにただ首を横に振った。だが、水越の手に重ねられた手にやんわりと力が込められていく。  強く握り返せば折れてしまいそうな細い指先をそっと掴みよせ、その先端に唇を寄せた水越に、弥白は唇を震わせた。  全身の力が抜け、ふわふわとした気持ちになっていく。薄れそうになっている意識の中にもう一つ別の意識が入り込んでくる。それは温かくて優しくて……とても哀しいものだった。  弥白の自我を押し留めるように滑り込んだのは、彼の中に住まうもう一人の『白』だった。 『――私が見ていたのは偽りの貴方。正邪を見極める力を失った私をお許しください』 「え……」  弥白の薄い唇から発せられた声は、琴の弦を爪弾くような凛とした響きを持っていた。  その声にゆっくりと目を見開いていく水越に、弥白は自身の顔を近づけて唇を重ねた。 『愛しいひと……』  驚きのあまり半開きになったままの水越の唇を塞ぐように重ねられた弥白の唇は冷たく、潤いは失われていた。  積極的に舌を伸ばした弥白は、何かを確かめるように水越の口内を優しくなぞった。  すぐそばにある長い睫毛に滴を湛えた二重瞼が小刻みに震えている。その瞳が薄らと開いた時、水越はさらに目を見開いた。 「ハル……」  自分にしなだれかかる弥白の背中に手を添えて、渇いた唇を潤す様に何度も啄んだ。  彼の目に映ったもの。それは小さな祠に祀られていると言われる白蛇の紅玉だった。  どこまでも透明度が高く、純度の高い紅。その瞳は全ての本質を見抜き、真実だけを移す水晶。  弥白の双眸が映し出した水越の姿。それを封じ込めるかのようにゆっくりと閉じられていく。  濡れ縁の板に弥白をそっと押し倒して、何かに囚われたかのように白い首筋に唇を押し当てた。 「あぁ……っ」  小さな喘ぎと共に、足元にあった敷石から足が浮き、履いていた草履が音もなく落ちた。 着物の合わせに水越の手が忍び込むと、脚の付け根から形のいい臀部にかけて、そのラインを楽しむかのように撫でた。 捲れあがった裾からちらりと見えるのは、力を持ち始めた小ぶりなペニスだった。 薄く茂った下生えは、明日になればすべて剃り落される。男でありながら花嫁と偽るために頭髪以外の体毛を剃る決まりとなっている。 その場所をやんわりと撫でながら、水越は小さく吐息した。 「――お前は何者だ」  夢でも見ているに違いないと、自我を現実に引き戻そうとする水越の手を弥白の透明な蜜がしとどに濡らした。  甘く香る麝香。その匂いに引き寄せられるかのように、水越の思考を鈍らせていく。 『抱いてはくださらないのですか?』  水越は訝しげに目を細めて、強烈な色香を放つ弥白からそっと体を離した。 (これは、あの祠が見せた幻に違いない……)   今までの花嫁とは何かが違う。その直感は当たっていたようだ。  気怠げに上体を起した弥白は、乱れた着物の裾をゆったりとした動きで整えると薄らと唇を綻ばせた。 その直後、操り人形の糸が切れたかのように床にばたりと倒れ込んだ。ぐったりと力なく伸ばされた指先を掴み、水越は声をかけた。 「弥白っ。おい、しっかりしろっ」  涙の痕が残る頬を軽く掌で数回叩くと、彼は重たそうにその瞼を持ち上げた。  潤んだ瞳が焦点が合わずに空を彷徨い、すぐ近くにあった水越の視線とぶつかって、徐々に鮮明になっていく視界に何度か瞬きを繰り返した。 「あれ……。俺、なんで泣いてる?」  手の甲で乱暴に涙を拭いながら体を起した弥白の体から、抗うことを許さない妖艶な麝香の香りは消えていた。  水越を映す双眸は元来の瞳の色である栗色に戻っていた。 「――ったく。覚えていないのか? 俺が話している途中で「眠い~」とか言い出して寝ただろ。このまま放ってもおけないし、俺はイビキをかくお前につき合ってやってたんだぞ」  呆れたように大袈裟にため息をつきながら、長い前髪を乱暴にかきあげた水越を見上げ、弥白は申し訳なさそうな顔で「ごめん」と謝った。そして焦ったように彼に詰め寄ると、弥白は真剣な顔で問うた。 「俺、イビキかいてたの?――めちゃめちゃ恥ずかしいじゃん」  動揺を隠せずにいる弥白に、水越は苦笑いを浮かべながら言った。 「冗談だよ。ここのところ朝も早いし、疲れたんだろう。――お前、今までの花嫁たちと違うな?」 「え?」 「何となく……そう思った」  水越の言葉を理解できずに首を傾けた弥白は、敷石の上に転がった草履に足を通した。  そんな彼の横顔を見つめる水越の視線に気づいたのか、弥白は明るい栗色の髪を揺らしながら天井を見上げた。 「俺も、そう思う……。なぜだろう、全然怖くないんだよ。もしかしたら死ぬかもしれないのに……。悪い夢でうなされて自分の手首に傷をつけている時の方が何倍も何十倍も怖かった。何かに圧し潰されそうな……そんな恐怖。周りが見えなくなって、心臓がドキドキして、息が出来なくなる」 「それって……死ぬなってことじゃないのか?」  ボソリと呟いた水越の言葉に、弥白はぶらぶらと揺らしていた足の動きを止めた。  眠りにつく前に聞いた彼の持論。もしそれが本当だったとしたら、自分は違う世界で生まれ変われる。  でも、このまま生き続けていくとしたら……。  緊張で渇いていたはずの唇にふと潤いを感じて、自身の指先をそこに運んだ。  しっとりと濡れた唇はどこか甘く、安心感を抱かせると同時に後ろめたさにも苛まれた。  そっと指で唇に触れ、その甘さがどこから来たものなのかを確かめる。しかし、何の手掛かりもなく、小さく息を吐いて静かに手を下した。  その様子を目の端に捉えていた水越もまた、自身の唇に舌を這わせた。  咄嗟についた嘘は、弥白には気付かれていないようだ。  脳髄が痺れるような甘さと、強烈な色香。そして何よりも鮮烈な響きを含んだ愛する者の声。  初めて会った時に弥白に惹かれた理由が分かった気がして、水越は鋭い目をすっと細めた。  薄れかけていた感情が怒濤のごとく体内に渦巻くのを感じ、もう一度押し倒したい衝動に駆られる。  しかし、それを押し留めたのは弥白の表情に見え隠れする灰英への想いだった。 「――黒芭さん?」  急に黙り込んだ水越を訝しげに見つめた弥白の瞳が紅に染まる。微かに浮かんだ笑みに細められた双眸は、水越を試すかのように妖しい光を湛えていた。 (何者なんだ……コイツは)  自身の目に映る幻覚を払拭するかのように、水越は無言のままその場をあとにした。    ***** 「んは……っ。あぁ……っく」  深夜、静まり返った闇を揺らすかのように離れの寝所に響き渡ったのは、艶めかしい弥白の声だった。  畳の上に敷かれた布団の上で、細い体をくねらせながら敷布を掴みよせている。  帯が解け、はだけた着物の上に仰向けになったまま、両膝を立てるようにして脚を開く。  その中心には次々と透明な蜜を溢れさせながらそそり立つペニスがひんやりとした空気に晒されて、ふるりと小刻みに震えていた。 「はぁ……あっ。そこは……いやっ」  淡く色づき、ぷっくりと膨らんだ胸の飾りを突き出す様に背を逸らせた弥白は、恥じらうように細い腰を揺らした。薄闇の中に浮かび上がる白い身体。その所々にまるで太い縄のように絡みつく黒い影。  その影がゆっくりと動くたびに、弥白の声は甘く切なく響いた。  時には乳首をきつく捩じるような痛みを感じ、時には腰から臀部にかけて柔らかな手が愛撫しながら動いていく。   しかし、それは皆現実のものではなかった。  肢体を締め付け、動きを制限された弥白は、見えない何かに犯されていた。  それは酷く冷たく、それでいて火照った体に心地よい。  ぬるりと腹の上をそれが這うだけで、下生えに透明の蜜が糸を引いて滴り落ちた。  ザラリと敷布に皺を寄せながら、弥白の体を這うように動く黒い影。 『――我が花嫁』  耳元で鼓膜を震わせる低い声。耳朶を甘噛みされ、弥白は小さく息を詰めた。  今まで幾度となく繰り返し見てきた夢。その中で優しく極上の快楽を与えてくれる黒い影の存在に、弥白の体は即座に反応していた。 「あなたは……誰? んぁぁ……っ」 『我が名は『黒』――。花嫁よ、我と契れ。蛇神の妻として、この身が果てるまで愛でてやる……』  弥白を見下ろす様に二つの金色の光が輝いた。その光に吸い寄せられるように、弥白は薄い唇をわずかに開いて舌をのぞかせた。  ピンク色の舌に絡みつくように吸い付いたのは熱を持った厚い舌だった。口内の隅々まで余すことなく愛撫するかのように、その舌が這い回る。  クチュクチュと水音を立てながら絡み合う舌と、呑みきれずに溢れ出る唾液。  重ねられた唇の端からつつっと溢れた唾液が顎を伝い、敷布を濡らした。 「あぁ……。蛇神……さま……っ」  掠れた声は快感に震え、自身の上に覆いかぶさるように重なった逞しい背中を掻き抱く。引き締まった筋肉、滑らかな肌、香り立つ雄の匂い。  弥白はこれが夢であると分かっていながら、見えない蛇神にすべてを委ねていた。  自分は花嫁として、彼の子種を授かる。人間の男という概念を捨て、神に選ばれし雌として生きていくのだと悟った。  そう思いながらも脳裏をかすめるのは灰英への想いだった。 (忘れなきゃ……。彼とは結ばれない運命なんだ)  口内で歯列をなぞっていた彼の舌に無意識ではあったが歯を立ててしまった。そのまま引っ込めるかと思いきや、彼は重なりを深め、喉奥にまで舌を差し入れてきた。 「ぐぁ……っ。ごほっ……うぅ……っ」 『我を受け入れながら他の男を想うとは……。神に処女を捧げたものは、その呪縛から永遠に逃れることは出来ん。我を愛し、我を慕い、我と共に生きる……』  露わになった太腿に感じるのは熱く硬く、そして太い彼のペニス。弥白の滑らかな肌にそれを擦りつけるようにしながら更に力を蓄えていく。糸を引きながら離れた唇は首筋から鎖骨、そして胸の突起にたどり着き、硬くしこった突起を何度も吸い上げた。 「あぁ……いいっ。きも……ち、いい!」  心なしか浮かせた腰を逞しい彼の腹に押し当てて喘ぐ弥白の栗色の髪が敷布に散らばった。  自ら足を開き、彼の腰を挟むような格好で貪欲に快楽を貪る彼は、無意識のうちに麝香の香りを纏い、それを寝所に振りまいていた。 『お前は今までの花嫁とは違う……。我と番うために生まれし者。祭りまで待ってなどおれん。今宵、夫婦の契りを交わすぞ』 「え……? そんな……こと、あぁ……ダメ……っ!」 『我にも分からぬ……。ただ、無性にお前が欲しくて堪らない』  息も荒くそう呟いた彼の長い指が、弥白の未開の地をするりと撫でた。  そこは排泄器官であり、生殖を成す場所ではない。それなのに弥白の秘部は、それまで与えられた快感によって薄らと潤み、蛇神の指先がなぞるたびにピチャッと卑猥な水音を立てた。  その音が妙に大きく聞こえ、弥白は恥ずかしさに腕で顔を覆った。 「いや……。そんなところ……汚いっ」 『こんなに求めているのにか? ほら……美味そうに指を食んでおるぞ?』 「んはぁ……っ。指……いやぁ!」  つぷりと音を立てて淡いピンクに色づいた蕾に彼の指先が挿し込まれると、弥白はブルブルと体を震わせた。  その指が徐々に奥に沈められていくにつれ、今までに経験したことのないような甘い痺れが臀部から腰にかけて駆け上がった。 「ふぁ……んっ」  我慢しても漏れてしまう声を押し殺そうと自身の人差し指を噛んだ弥白は、細い腰を揺らして抗った。しかし、その行為は逆に蛇神を煽る形となり、深く差し込まれた指を折り曲げて内部を引っ掻くように動き始めた。 「あ……あぁ……っ。いい……っ」  ヒクヒクと収縮を繰り返す蕾から発せられる水音。そして、解れた薄い襞を分け入るように増やされていく指。  弥白の中でバラバラと動く指先が、腹側のある一点を掠った瞬間、彼の体がうちあげられた魚のように大きく跳ねた。 「いやぁぁぁっ!」  自分の意思とは関係なく彼の指をきつく食い締める蕾、うねるように蠢動する内壁。  自我を失いそうなほど快楽に溺れ、蕩けきった体に蓄積された灼熱が細い隘路を一気に駆け上った。  ここに来るまでの数日間、自慰をしていなかった弥白のペニスが大きく跳ね、大量の精液を腹にまき散らした。  ポタポタと質量のある音と、濃い白濁、そしてまだ若い青い匂いが部屋中に広がった。  一瞬の硬直の後でゆったりと弛緩する。薄い胸を上下に喘がせて「はぁはぁ……」と激しい呼吸を繰り返す弥白を眩しそう見つめた蛇神は綺麗な口元を優雅に綻ばせた。 『いい香りだ……。少しは楽になったか』  一度達した後の蕾はより柔らかく、彼の指に吸い付くようにヒクついていた。まだ小刻みに痙攣を繰り返したままの腿を撫でながら、もう一本指を増やす。 「んあっ!」  絶頂の余韻に浸る体に、さらに追い打ちをかけるかのように広げられた蕾。弥白は顎を上向けて吐息交じりの声を上げた。  処女でありながら男の指を三本、大した苦痛もなく受け入れた弥白の体はより妖艶に薄闇に輝いた。 「奥……もっと、奥……」 『指では我慢できなくなってきたか? 美しく、淫らな花嫁……』  蕾の入口を三本の指が抽挿を繰り返す。口元ばかりの愛撫に焦れた弥白は、また強烈な快感を欲しがって敷布から尻を浮かせ、その場所を彼に見せつけた。  一度は萎えたかのように思えたペニスもまた力を蓄え、ゆるゆると頭を擡げていた。  白濁に濡れた下生えが、障子から差し込む淡い月光に照らされて鈍い光を放った。 「くださ……い。貴方の……もの、に……してっ」  苦しいだけの現実。その中で唯一自分を解き放てる時間。  たとえ夢の中であったとしても、自分を愛し、底なしの快楽を与えてくれる大きな手がここにある。  その手に縋るように弥白は声を震わせた。踵を上げ、足の指で敷布を掴む。恥じらうように背けられた顔は上気していた。 『――我のモノになるか?』 「は、はい……。愛して……くだ、さい」  弥白の言葉に、ふっと笑みを浮かべた蛇神は突き込んでいた三本の指を一気に引き抜いた。 「ふはっ」  その衝撃で弥白のペニスの先端から白濁交じりの蜜が一筋、茎を伝い落ちた。  足元から聞こえる衣擦れの音。それは蛇神が自身の着物を脱ぎ落とし、筋肉を纏った逞しい裸体をひんやりとした寝所の空気に晒した音だった。  大きく開かれたままの弥白の足首を掴み、脛から膝、腿へと舌を這わせていく。その合間に自身のペニスを上下に扱きながら、さらに力を蓄えていく。 「はぁ……は、はっ……んっ」  全身が性感帯にでもなってしまったように、どこに触れられても気持ちがいい。  彼の舌が触れる場所が熱く火照り、腰の奥がむず痒くなってくる。 『愛しい花嫁……』  うっとりと感嘆の声をあげる彼の声さえも、鼓膜に心地よく響く。 『うつ伏せになれ。我のモノを受け入れるのならば、その方が楽であろう……』  掴んでいた足首を離した蛇神の声に従うように、弥白は乱れた敷布の上で寝返りを打った。  綺麗に浮き上がった肩甲骨と、首から腰に掛けてなだらかな線を描く背骨。強請るように腰を突出し、上体を布団に押し付けるようにして尻を高く上げる。  肉付きの薄い臀部を彼に見せたまま、ゆるりと腰を振った。  完全に勃ち上がったモノがユラユラと揺れ、布団に蜜を散らかした。 「蛇神さま……」  羞恥に濡れた声で小さく囁いた弥白に応えるように、蛇神は大きな手で細い腰を掴みよせた。そして割れ目に目を瞠るほど長大なペニスを押し当てると、溢れた蜜を擦りつけるように上下させた。 「あは……っ。お……っきぃ」 『挿れるぞ……。息を吐け……』  潤んだ蕾に蜜をたっぷりと纏わせたペニスをあてがうと、ぐっと押し込むように突き込んだ。  ペニスの表面には無数の刺状の突起が生えていた。 「ぐぁ……っ。う……うぅ……っ」  まだ未開の蕾がゆっくりと長大なペニスを咥えこんでいく。その様は白雪の庭に真っ赤な牡丹が咲いたように艶やかで、何より扇情的な光景だった。  細い肩を震わせながら敷布を掴みよせる弥白は無意識に息を詰めてしまい、処女の蕾は指の愛撫だけではまだ解れきれてはいなかったようだ。きつく締める入口に大きく張り出したカリの部分を沈めると、弥白は背を反らせて声を上げた。  寝所に張り巡らされた蛇神の結界がその甘く切ない声に共鳴し空気が揺れた。  腰を進めてはぎりぎりまで引き抜くという動作を繰り返す。そのたびに薄い粘膜の襞が捲れあがり、大輪の花を咲かせる。 『全部、収めてもよいのだな?』  息を弾ませながら問う蛇神に、頭を布団に押し付けながら頷いた弥白だったが、次の瞬間強烈な痛みと快感が一気に押し寄せ、脳を痺れさせた。 「いやぁぁぁぁぁっ! う……っぐ! か……はぁ、はぁ、はぁ……っ」  経験者ならまだしも、男との交わりを知らない処女。その腸の最奥にあるS字結腸まで一気に突き込んだ彼の先端が内壁を抉ったのだ。 「はう……ぅ……うぅ……はぁ、はぁっ」  内臓を押し上げられるような圧迫感を感じ、うまく呼吸が出来ない。それに加え、腹の奥でドクドクと脈打つ彼のペニスの存在が弥白の意識を混濁させた。  閉じた瞼の裏で鋭い光が激しく点滅している。眩暈を起しそうなほどの衝撃と快楽に、弥白は半開きの唇から涎を垂らした。 『中が熱いな……。お前の中は気持ちいい……。我のモノだという証をたっぷりと教え込んでやる』  ゆるゆると動き始めると、中に収まっているペニスが内膜を擦りあげ、堪らなく甘い痺れが全身を包み込んでいく。  引き抜かれる時は内蔵ごと引き摺られそうな恐怖を感じ、力強く突き込まれる時は硬い先端がいい場所を掠め、最奥の壁を愛撫する。刺状の突起が敏感になった内部を刺激し、じっとしていても快感は続いていく。  蛇の生殖器は半陰茎(ヘミペニス)で左右に一対存在しており、体内に収納された袋状のものが反転によって体外に突出する。  蛇と人間が交わることは構造上不可能だ。しかし、人間と変わらぬ今は本来のモノよりも逞しく、弥白を支配するかのようにみっちりと内壁を塞いでいた。 「いい……気持ちいいっ。もっと激しく……突いてっ」  夢の中でならば卑猥な言葉も愛らしいおねだりに聞こえる。  現実ではあり得ない自分を曝け出し、今だけは快楽に溺れても構わない。  夢から覚めた時、恐ろしいほどの虚無感に苛まれたとしても……。  弥白の細い腰を力任せに掴み、激しく腰を打ち付ける彼。パンパンと皮膚がぶつかり合う破裂音が部屋に響きわたった。 「あぁ……あっ、あっ! 奥……気持ち、いいっ! はぁ……はぁ……っ」  振動で上下するペニスから飛び散る蜜が敷布をしとどに濡らし、何とも言えない妖艶な香りが漂っていた。 『我が子を成せ……。誰の子種も受け入れることは許さん』 「いっぱい……出して。腹の中に……子種、いっぱいくださいっ」  射精を伴わない絶頂が何度も弥白を襲い、全身が痙攣したまま止まらなくなった。  それでも、中では彼のペニスをきつく食い締め、グチュグチュと湿った音を発していた。  頭の中にかかっていた霞がより濃いものに変わっていく。何も考えられない。  この快楽が永遠に続くことだけを願っていた弥白に限界が訪れようとしていた。 「イク……イク……ッ。とまら……ないっ。また、イッちゃう……あぁぁぁっ」 『っく……。なんて身体だ。持って行かれる……っ』  蛇神は漆黒の長い髪を振り乱しながら腰を振り続ける。腰の奥が重怠く、ムズムズとした痺れに変わった時、弥白の最奥が彼の先端をきつく食い締めた。 『出すぞ……。我が子を孕めっ!――っぐあ……あぁぁっ!』 「ひゃぁぁぁぁぁ……んんっ!」  弓なりに背中を反らせた弥白が一際大きな声で啼いた。その瞬間、彼の最奥で灼熱の奔流が迸り、刺に刺激された内壁が熱に焼かれ激しく蠢動する。  その熱に酔うかのように、ガクンと体を大きく跳ねさせた弥白が布団に崩れ落ちた。  細い身体に折り重なるようにして倒れ込んだ蛇神もまた、肩を上下させて荒い息を繰り返した。  人間のそれとは比べ物にならないほど長い射精。弥白の最奥にたっぷりと注ぎ込まれた蛇の精子の生命力は強く、二~三年経っても体内で生き続けるという。  その精子を体内に受け入れた弥白の体はしっとりと汗ばみ、ほのかに淡い光を放った。  頬を寄せた弥白の背中の異変に気付いた蛇神は、繋がりを解くことなく彼のしなやかな背中を見つめた。  上気してピンク色に染まった肌に薄らと浮かびあがったのは、紅の双眸をもつ月白(げっぱく)の蛇。  細い肩に頭を擡げ、背中から腰に巻きつくようにうねる様は、最愛の番であった白蛇――玄白(はるあき)そのもので、彼の背中にも神の印ともいうべき刺青が施されていた。  月の光を思わせる青を纏い、真実を見極める紅の瞳を持つ美しい白蛇。 『まさか……。なぜ、お前が……っ』  すでに意識のない弥白の背中にそっと触れ、玄白の肌の感触を思い出す。  最愛の番を亡くし、悲しみと苦しみ、そして虚無感に苛まれ続けたこの数百年。愛らしく、時に妖艶な表情を見せる彼を弥白の中に見たような気がして、蛇神は縋りつくように唇を寄せた。  まだ中に収められていたモノが熱を孕み、再び力を取り戻していく。  薄い粘膜に突き刺さるように突起した刺が、弥白の未熟な内部を抉った。 「――っは」  きゅっと眉間に寄せられた皺。意識がなくても、その痛みと悦楽は感じ取っているようだ。 『ハル……。お前なのか……? 応えてくれ……ハル』  鋭さを秘めた金色の瞳から一筋の涙が零れた。それが弥白の背中に落ちた瞬間、背中に浮かび上がっていた白蛇の刺青は跡形もなく消えた。  汗ばんだ白い肌に何度もキスを繰り返しながら、蛇神は声にならない声で囁いた。 『また幻を見せて惑わせる……。忘れられるはずがないだろう……。苦しくて気が狂いそうだ……。お前のもとに……行かせてくれ。これ以上……罪は犯したくない』  真っ赤に腫れた後孔から、長大なペニスをゆっくりと引き抜くと、ぽっかりと口を開けたままの蕾からトプリと音を立てて白濁が溢れ出した。  ぐったりと力なく横たわる弥白を抱きしめるように重なった彼は、微かに肩を震わせて泣いた。  月明かりに照らされた障子が、寝所の畳に二人の影を映し出す。  まだ青い藺草(いぐさ)の香りを残す畳に揺れたのは、重なり合う大きな二匹の蛇の姿だった。

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