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【5】
意識を失った弥白を離れの寝所に寝かせて、周囲に強力な結界を施した灰英は、血が滲んだ白衣を脱ぎ捨てると、新たに着替えを済ませた。
宵祭りということで、宮司である灰英の仕事はまだ山ほど残っている。しかし、弥白と繋がった後の気怠さと蛇神を裏切ったことの罪悪感に、すぐに動き出せるほどの気力は残っていなかった。
自宅のリビングのソファに座り、ぐったりと体を預けて天井を見上げていると、こめかみにツキンとした痛みが走った。
時計の針は止まることを知らない。目を閉じてどれほどの時間が経っただろう。
灰英は重い瞼を持ち上げると、リビングの窓に差し込む光が傾いていることに気付き、小さくため息をついた。
休んでいれば治まると思っていたこめかみの痛みは先程よりも強くなり、灰英は眉間に皺を寄せて顔を歪めた。
『――灰英』
頭の奥で低い声が響く。出来ることならば逃げ出したい。しかし、それが出来ない自分が恨めしかった。
蛇神の眷属として契りを交わしたこの体は、その声に抗えない。それまで落ち着いていたはずの心臓が激しく高鳴り、次第に息苦しさも感じてくる。
白衣の合わせをぐっと掴み、灰英は額に汗を滲ませながらソファから滑り落ちるように床に膝をついた。
弥白と繋がったことはすでに気付かれている。それを追及されないことの方が逆に恐ろしい。
灰英の体が熱を帯び、背中の刺青がジクジクと疼き始めた。
「蛇神様……」
体内に蓄積された熱を吐き出す様に、その名を口にした灰英の前髪の奥に見え隠れしていたのは、金交じりの青い瞳だった。
水や気象を司る蛇神。その信仰は古く、人間と共に幾多の時代を歩んできた。
もとは人間であった灰英がその力を身に付けたのは、御神体である蛇神と体を繋げた時――。
男でありながら同じ性器を持つ男神に後孔を貫かれ、底知れぬ快楽を与えられた。そして、その血を口にした時、人間としての命を失った。
そう――灰英もまた、この神社の一柱の神として存在していたのだ。
神同士の争いほど壮絶で残虐で哀れなものはない。灰英も、この村の鎮守として君臨する蛇神を脅かす他の神々との諍いを何度か目の当たりにしてきたが、彼の脅威を知っているからこそ、自身が今置かれている状況を直視出来なかった。
『我のもとに来い……』
怒気を孕んだ声が頭の中で反響する。頭痛にも似た痛みに耐えながら、その声に操られるかのように立ち上がり、ふらつく体を何とか立て直すと廊下へと出た。
壁に手を付きながら、少しでも気を抜いたら膝から落ちてしまいそうな体を支える。
そんな灰英の様子に気付いたのは、外から戻ってきた水越だった。
「灰英?――お前、まさか」
彼の問いかけに応えることなく、本殿へと向かう廊下を進んでいく。
そう気温は高くない。それなのに、灰英の額からはあり得ないほどの汗が滴り落ちていた。
見るに見かねた水越は灰英の背に手をまわすと、その体を支えた。
「触るな……っ」
ふらつき、肩で息を繰り返す灰英のどこにそんな力があるのだろうと思うほど、水越の手を大きく振り払った。
「――やはり、か」
水越はすっと目を細めると鋭い眼差しを灰英に向けた。
「お前……自身の力を他者に注いだな」
「うるさいっ」
「古くからの言い伝えでは、神が生身の人間と交わることは禁忌とされている。森羅万象の秩序を乱し、世の掟を狂わせる。お前は蛇神の眷属――いわば神なんだぞ」
灰英の後を追うように背後から声をあげる水越を肩越しに振り返り睨みつけた彼は、吐き捨てるように言った。
「――狂えばいい。弥白を手に入れるためなら何でもする。たとえ蛇神を敵に回してもなっ」
「灰英……っ」
「俺は……弥白を愛している。何がいけない? 神が……人間を愛してはいけないのかっ?」
いつもは穏やかな彼が見せた激情。その勢いに圧倒され、水越は口を塞いだ。
「俺の体はどうなってもいい……。弥白は生きなきゃいけない……」
胃から込み上げる熱いものが食道を駆け上がる。思わず手で口元を抑えたが、その指の間から溢れるように零れたのは真っ赤な血だった。
白木の廊下に点々と落ちる血を白足袋で引き擦りながら、灰英は酷い眩暈に苦しめられながら本殿へと姿を消した。
「――神の力を注がれた人間がどうなるか。お前だって知らないわけではあるまい」
あとに残された水越は、それ以上動くことなく灰英の背中を見送ると、自嘲気味に薄い唇を歪めた。
運命を狂わせるのは時代や他人じゃない。自分自身が定められたレールを切り替えた時だ。
弱く儚いひとの命。それをいとも簡単に我がものにしてしまったこと。
自然の摂理に反し、世の秩序を乱したのは神自身――。そして、その命は呆気なく散り去った。
どれだけ償っても赦されることのない大罪。
「灰英。お前もその罪に苦しむがいい……」
*****
白衣を血に染め、やっとの思いで洞窟にたどり着いた灰英を待ち受けていたのは、無数の蛇たちだった。石混じりの砂地を這い、足元に近づいた彼らは威嚇するように牙を剥き、長く太い身体をくねらせていた。
本来であれば灰英の従者であるはずの蛇。それは明らかに、蛇神への反逆者とみなしている証拠だった。
岩が剥き出しになった闇の中、細く照らす蝋燭の光だけを頼りに奥へと進んでいく。
そこには岩の隙間からしみ出した清水が流れる小さな小川があり、その袂には白木で作られた立派な神殿が設けられていた。村に災いをもたらした黒蛇は、蛇石に力を封じられ、空っぽになった大きな体を眠らせているのがこの神殿だ。
蛇水神社の御神体と言うべき神殿は、どんよりと重苦しい湿った空気の中でも威風堂々とその姿を美しく保ったまま、何百年という時を洞窟の奥深くで佇んでいる。
灰英はその神殿の前で頽れるように膝をつくと、深々と頭を下げた。
周囲に敷かれた白い玉砂利がザラリと音を立てた。
「――蛇神様」
息も絶え絶えにそう口にした灰英の声に反応するかのように、周囲の冷たい空気が動いた。
神殿の正面に設けられた、格子状に組まれた観音開きの扉が軋んだ音を立てて開くと、灰英の周りを取り囲んでいた蛇たちが一斉に岩場へと逃げていく。
ごぅっと低く風がうねる音が聞こえ、そこから発せられる猛烈な気で全身が小刻みに震えた。
底知れぬ畏怖を抱かせる冷気に包まれた灰英は、鉄の匂いのする唾をゴクリと呑み込んだ。
この場所に来るのは初めてではない。しかし、何度来てもここに漂う独特の気に慣れることはなかった。
『――随分と辛そうだな』
扉の奥は底知れぬ闇が広がっていた。その奥から地を揺るがすような低い声が聞こえ、灰英の肩がピクリと跳ねた。
目を凝らしても見ることの出来ない大蛇の体。しかし、そこに鎮座する闇を揺るがす様に何かが動いたような気がした。灰英の先祖である蛇神守が鎮めた力は、蛇神が持つ全てではなかった。水や気象を操る力は失えど、自身と相通じる霊力を持つ灰英を介して意思を伝えること、そして……その姿を人の形に変えることは出来た。
大きく開かれた扉の奥にゆらりと揺らめく人影に気付いた灰英は、その身を強張らせた。
自身とそう身長は変わらないが、がっしりとした筋肉で覆われたしなやかな体。しかし、彼の手で施される愛撫には抗うことが出来ない。それを知ってしまった今、瀕死の状態でありながらも彼を求めてしまう自分がいた。
身に付けた黒い狩衣が擦れる音が聞こえる。ギシリ……と床を踏みしめるたびに彼の気配を近くに感じて、灰英は知らずの内に血が滲むほど唇を強く噛みしめていた。
『よくも逃げずにここまで来たな。逃げる機会は与えてやったつもりだったのだが……。我が授けた力――それを人間に注いだ報い。無様だな……』
フンッと鼻で笑った青年の息を呑むほどの相貌が薄闇に浮かび上がる。
艶のある漆黒の髪は腰まであり、肌は白く透明だ。長い前髪の奥に光るのは二つの金色の瞳。その目をすっと細めて薄い唇を綻ばせた。
『――いつかの我を見ているようだ』
重みのある言葉。それは自らが知っていなければ口にすることが出来ない苦しみを孕んでいた。
「え……?」
『灰英。お前が犯した罪は我への反逆とみなしても過言ではないぞ……。嫁入り前の花嫁を寝取るとは……な』
「貴方から逃げられるわけがないでしょう……。俺の命はあなたによって生かされている」
血の滲んだ唇を皮肉げに歪めてそう告げた灰英は、くっと力強く顔を上げて闇を背に佇む主を見上げた。
漆黒の髪が岩場を流れる微かな風にそよぎ、彼の頬を掠めた。
『分かっていれば話は早い。さぁ……どうやって罪を償う?』
まるで反応を楽しむかのように煽る蛇神に、灰英は口元にこびりついた血を手の甲で拭いながら言った。
「献上前の花嫁を犯し、処女を奪った……。蛇神守の末裔――そして、貴方の眷属としてあるまじき行為。弁解の余地などないことは百も承知だ。自分で命を絶つことは出来ないが、貴方ならば俺を殺せる。もとは貰った命だ。貴方の好きにすればいい……。覚悟は出来ている」
灰英の覚悟は、弥白を助ける一心でしかなかった。
彼は何も悪くない。衝動的に彼の色香に当てられ、欲望を制御できなかった自身の愚かさが原因なのだから。
神でありながら人間と繋がり、自分の力を注いでしまった……。神の禁忌を犯したことからは逃れられない。
ハナから助かろうとは思っていなかった。蛇神を欺き、花嫁に抱いていた恋心を隠し続けていた自分にいつか下ると思っていた天罰。それが今になったというだけの話だ。
湿った岩場の空気がより重いものへと変わっていく。岩場から落ちる滴の音がやけに大きく響き、灰英は激しく打ち続ける鼓動を何とか静めようと細く息を吐き出した。
ザラリ……と衣擦れの音がして、彼がゆっくりと神殿の階段を下りた。
彼が身じろいだだけでも周囲の空気は敏感に反応し、その脅威に張り詰める。
俯いたままの灰英の視線の先に白足袋が見えた時、たっぷりとした黒い狩衣の袴をわずかに持ち上げて、彼は白木の階段に腰かけた。
むせ返りそうな甘い香りに混じり、煙草の匂いが漂う。
恐る恐る顔を上げながら上目づかいで彼を見上げると、大きく脚を広げて薄い唇に煙草を挟んだまま見下ろす彼と視線がぶつかった。
『――俺を敵に回しても、弥白が欲しいか?』
長い髪に覆われた左耳にリングピアスが光る。
「黒芭……」
『言ったろ? 弥白は今までの花嫁とは違うって……。その理由が分かったんだよ――まだ決定打とまではいかないがな』
「どういうこと……ですか?」
ゆったりとした動きで煙草をふかしながら煙を吐き出しているのは、灰英の大学時代の先輩でありフリーライターの水越黒芭だった。村人や花嫁に怪しまれることなく、水神家で灰英と共に暮らしていたのは、蛇水神社の御神体である黒い蛇神――その名は黒芭。
力を分け与えた眷属である灰英と行動を共にすることで、日常に支障がない生活が出来ることに気付いた黒芭は、昔のように村を散策し、人々と触れ合っていた。だから村の情報は逐一、彼の耳に入ってきていた。
今は昔のように、神がすぐ隣で煙草をふかしながら話を聞いているとは誰も思わないし、想像する者もいない。
『以前の俺であれば、確実にお前を殺していただろうな……。弥白に惚れていると分かった時点で。だが――これほど有能で体の相性がいいお前を失うのは惜しい。――前にも言ったはずだ。弥白を手に入れても、お前は絶対に手放さない……とな』
「でもっ! 俺は……弥白の処女を……っ」
神への献上品は処女でなければならない。なぜならば、誰にも穢されていないその体こそが黒芭の力の糧となるのだから。
それ故に、わざわざ処女である者を探し花嫁として献上してきたという経緯がある。
短くなった煙草を掌でぐしゃりと握り潰し、ふぅっと細く煙を吐いた黒芭は取り乱す風でもなく、余裕ありげに口元を優雅に綻ばせた。
『――弥白は人間じゃない。それならば、お前の罪はなかったことになる』
徐々に目を大きく見開いた灰英を面白そうに覗き込んだ黒芭は、彼の顎を指先で持ち上げると形のいい唇をそっと重ねた。
クチュリ……。即座に入り込んできた厚い舌が灰英の舌を絡め取った。たっぷりと流し込まれる唾液――それが灰英の弱った体を癒していく。眷属にとって主の力は何よりも偉大で尊い。
弥白に注いでしまった力が嘘のように体に漲ってくる。
この体を開き、快楽を与え、主従以上の関係をもった黒芭のキスは、灰英にとって身も心も委ねられる唯一の拠り所となっていた。
『弥白はお前の力を奪い、目覚めの時を待っている……。お前でなければならなかった理由――それは』
唇を触れ合わせたまま低い声で囁いた黒芭は、ふと動きを止めて、何かを感じたのか長い睫毛を震わせた。
彼が纏う気が一層恐ろしいものへと変わっていく。その気配に気づいた灰英は動くことが出来なかった。
黒芭は金色に光る瞳をすっと細めてから、掠れた低い声で灰英に問うた。
『――弥白は今、どこにいる?』
その鋭さに一瞬答えることを躊躇した灰英だったが、記憶を辿るように返答した。
「離れの寝所で休ませています……」
『結界はお前が?』
「ええ……。厳重に」
キスの余韻を残す間もなく灰英から離れた黒芭は、足早に白木の階段を駆け上がると、姿は見えないが神殿の周囲を取り囲むようにして二人のやり取りを固唾を呑んで見守っていた従者たちに向かって鋭い声を上げた。
息苦しくなるほどに、彼が発する怒気を孕んだ猛烈な気が洞窟内に充満する。
『――弥白の寝所を整えておけ。湯浴みの用意も忘れるなっ』
彼の声によって新たな生命を吹き込まれるかのように、神殿の周囲に潜んでいた蛇たちが人の姿に変わり、その場に膝をついて恭しく頭を下げた。
『明日の婚礼の準備を滞りなく済ませろ。この神殿に花嫁を迎える……』
白い装束に身を包んだ大勢の青年たちが、黒芭と灰英に向けて「御意」と声をあげる。それを視線の端に捉えながら、黒芭は神殿の中に足を踏み入れた。
豪奢な黒い狩衣を捌きながら振り返った彼は金色の瞳を鋭く光らせて、まだその場で動けずにいる灰英に言った。
『弥白の気配が消えた……』
「まさかっ」
『血の匂いがする……。灰英、急げ!』
その言葉に弾かれるように立ち上がった灰英は、青い目を大きく見開くとその姿を灰色の大蛇に変えた。
うねるように洞窟を岩場を這い、入り口に掲げられた注連縄を揺らしながら薄闇に包まれた外に飛び出すと、咆哮をあげて村へと真っ直ぐに下った。そのあとを追うように漆黒の大蛇の影が蛇石の上を乗り越えた。
蛇石を囲う紙垂が捲れあがるほどの突風が吹き抜けた。
砂埃を巻き上げて絡み合うように地を這う二匹の長く大きな影。
最愛の男、最愛の花嫁――。
二人の蛇神が宵祭りの夜に地を揺らし、いにしえから守ってきた地を駈ける。
行先は一つ……。共に惹かれ合い、共に結ばれることを願う男のもとへ。
*****
湯殿で起きたことは夢じゃない。憧れの灰英と想いを通わせ、体を繋げた弥白はぼんやりとしたままの視界の中で数名の見知らぬ男が自分を取り囲んでいることに気づいた。
咄嗟に感じたのは、底知れぬ恐怖だった。
「――おい。こいつパイパンだぜ!」
「綺麗に剃られてるなぁ……。神様に捧げられる体は清く美しく……かっ!」
頭上から降り注ぐ下卑た笑いを、弥白は両手を振り上げて払い除けようとした。しかし、その手はきつく縛り上げられたまま、何者かの膝で押さえつけられていた。
もやもやした意識がパッと明るく鮮やかなものになり、焦点が合わずにいた栗色の双眸が写し出した光景に弥白は凍りついた。
そこは今まで弥白が眠っていた寝所ではなかった。
明らかに外にいると分かる空気と、湿った土の匂い。背中に感じる痛みは、細かな砂交じりの石。
緊張と恐怖で吹き出した汗に、先ほどから纏わりつくのは乾いた藁。
暗闇に慣れた目は数人の男たちの顔をはっきりと認識した。
「イヤ……。誰……っ」
「あーあ。さっさとしないから睡眠薬が切れちまっただろ! まあ、その方が声も出さねぇ人形抱いてるより、断然滾るがな」
「正幸さん! ホントに犯っちまっていいんですか?」
「ああ、構わない。だが……こいつは明日、蛇神様に献上される生け贄だ。蛇神様は贅沢にも処女しか食わねえ。だが――。蛇神守の一族としての権限、幼馴染みの誼 みで、その処女をいただくのは俺だってこと」
弥白を見下ろしながら舌なめずりをしていた男たちを掻き分けるように、後ろから姿を現した正幸に弥白は大きく目を見開いた。
昨日の早朝、沐浴に向かうところを待ち伏せされ、危うく犯されかけたことを思い出し、腿を乱暴に撫でた彼の手の感触が甦ると、弥白は全身を強ばらせ鳥肌を立てた。
「こんな女みてぇな男、見たことねぇな!」
「色っぽいだろ? 昔から狙ってたんだ。どうせ明日までの命。その前に俺たちで極上の天国を見せてやろうぜ」
「正幸……っ! こんなことをして許されると思っているのか! 蛇神様のバチが当たるぞっ!」
恐怖に張り付く喉から絞り出すようにして声を上げた弥白だったが、彼らの前にその脅し文句はまったく威力を持たなかった。
「ハッ! お前、ホントに伝説なんてものを信じているのか? 蛇神なんて昔の村人が作り上げた架空の存在。今が西暦何年か分かってるだろ? 日本って国が出来る前の話なんて、誰が知ってんだよ! バチだろうが祟りだろうが、俺には関係ない! どーせ、蛇神バカの灰英に刷り込まれたんだろ? 可哀想にな……」
仲間が差し出した煙草を唇に咥え、慣れた手つきで火をつけると美味そうに吸い込んで、酒と混じりあった煙を弥白の顔に吐き出した。
「ゴホッ!――おぇ……ゴホッ」
直接煙を吸い込んだことで、弥白は派手に咳き込んだ。白い滑らかな腹が波打ち、男たちはゴクリと音を立てて唾を呑み込んだ。
「この村もそう長くはない。親父がリゾート開発企業と手を結んで買収に乗り出したからな。今どきコンビニもないような村に誰が住むっていうんだよ。札束をちらつかせれば、喜んで村を出ていく連中ばかりだ。ま、中には頭の硬い年寄りもいるが、ちょっと痛い目を見れば素直に出ていくだろうよ。村の存続よりも自分の命の方が大事だからな」
「そんなこと……っ。灰英がさせない! 彼はあの神社を守り、この村を……守る!」
涙目のまま叫んだ弥白に、正幸は哀れみの視線を向けると、吸いかけの煙草を指先で揉み消して朽ち果てた壁板に投げつけた。
「――そんなに灰英が好きか?」
「そんなんじゃないっ!」
「じゃあ、何が違うか説明しろ。小さい頃からアイツの尻ばかり追いかけて、隙あらば自分のものにしようかと色目を使ってきたんだろ? バレバレなんだよ。この淫乱処女っ! 何かにつけて俺や親父の邪魔ばかりしやがって……。アイツら親子はこの村を手に入れたいがために、実の弟である俺の親父をコケにしてきた。偽善者はアイツらだ!」
「違うっ! おじさんたちはそんな事思ってない! 村に災害をもたらす蛇神様を鎮めてきた蛇神守だ!」
灰英と前宮司であった彼の父親の苦労は知っていた。家族同然のようにあの家に出入りしていた弥白は、それを目の当たりにする度に心を痛め、悲しげな灰英の顔を見るのが嫌だった。
同じ水神の血を引いた正幸たちとの諍い。父親同士の言い争いを幼い頃から見てきた灰英にとっては、弥白の何倍も傷ついてきたのだろうと容易に察することが出来た。
「弥白……。俺もなアイツとおんなじ水神家の血が流れてるんだよ。灰英が許されて、俺が許されない訳がない。代々継がれてきた蛇神守が蛇神を裏切り、この村を捨てる。蛇神は俺たちの血に抗うことなんて出来ないんだよっ! いずれ灰英もお前と同じところに送ってやる。あの世で好きなだけセックスすればいい……。ああ、くれぐれも蛇神様にはバレないようになっ」
周囲の仲間たちから漏れる笑い声。その中で薄い唇をイヤらしく歪めた正幸が弥白の腹を掌で撫でた。
「やだ……っ! 触るなっ」
彼の手を拒むように体をくねらせた弥白だったが、正幸は肌の感触を楽しむかのように執拗に撫で回した。
「相変わらず感度がいいな……。おい、あのクスリ、まだ残ってただろ?」
「正幸さん、アレはヤバいんじゃ……」
「どーせ死体は見つからない。使ったって、足がつくわけじゃねぇ」
正幸の仲間がポケットからしぶしぶ取り出したのは赤いカプセルだった。
それを弥白の目の前にちらつかせながら、正幸は鋭い視線を向けた。
「これは裏で取引されてる強力な催淫剤。合法と謳っているが、そのルートを知る者は少ない。闇でしか手に入らないシロモノだよ。日本じゃ、所持バレただけで、即逮捕される違法ドラッグだ。これを使えば処女でも百戦錬磨の娼婦並に快楽を得られるぜ? チ◯コが欲しくてたまらなくなる」
恐怖で引き攣る弥白の両頬を手で乱暴にはさみ、自然と開いてしまった口にそのカプセルを放り込んだ。
舌の上でジワリと溶けていくカプセル。ザラリとした舌触りと共に、綿菓子のような甘さが口内に広がっていく。
「ほら、さっさと飲み込めよ」
正幸は傍らに置かれていた飲みかけのビールを口に含むと、弥白の口を塞ぐようにしてそれを流し込んだ。
生温いビールほど不味いものはない。それが正幸の口移しで飲まされたとなれば最悪の極みだ。
急に流れ込んだ炭酸で鼻の奥がピリリと痛んだ。それよりも、舌に留まらせておいたカプセルがビールと共に弥白の体内に入ってしまったことが気がかりだった。
幼い頃から父親の権力と金を思うがままに振りかざし、自由奔放に生きてきた正幸。今も違法ドラッグにまで手を出しているということを目の当たりにし、弥白は初めてこの男に殺意を覚えた。
水神の一族というだけで何でも許されるというのは大間違いだ。彼らが犯してきた悪行の数々、その尻拭いをしてきたのは灰英の家族なのだ。
「――死ねばいい。お前なんか……生きている価値はない」
顔を背けてぼそりと吐き捨てるように呟いた弥白の言葉を、正幸は聞き逃すことはなかった。
「あぁ? お前、今なんて言った? 俺に死ねって言ったのか?」
「お前らみたいなクズ……みんな死ねばいいっ」
「黙って言わせときゃあっ!」
正幸の隣にいた男が鬼のような形相で弥白を睨みつけると、彼の柔らかな栗色の髪を乱暴に掴みあげた。
「ここで楽にしてやってもいいんだぞ? あぁ?」
凄みをきかせる男の腕を掴んで制したのは、意外にも正幸の方だった。
「まあまあ、落ち着けって。そろそろクスリが効いてくる頃だ。くだらねぇことも言えなくなるくらい可愛い声で啼くからよ。お前にもヤラせてやるから、そう先走んなっ」
「正幸さん……っ」
「こいつは昔からそう。正義感を振りかざしてはみるが、内心はビビッて手も足も出せねぇ。お前の価値なんて、所詮俺たちの肉便器になる程度なんだよ。あぁ……肉便器って名前を付けてもらえるだけありがたいと思えよ。気持ちいいことも知らねぇまま蛇神に食われちまうなんて、可哀そうだと同情してやってるんだぜ?」
正幸の下卑た笑い声が耳元で響く。まるでエコーがかかったように頭の中に直接入り込んでくる。
瞼が重い。それまで抗っていた手足が先端から侵食するように痺れ初め、意識が朦朧としていく。
「え……あぁ。から……だ、変……」
呂律も回らず、わずかに開いたままの唇からは唾液が一筋流れ落ちた。
頭の中は冴え冴えとしていくのに、体は内部から熱せらせるように火照っていく。縛られている手首の縄が擦れるだけも腰の奥が甘く疼く。
「んあ……っ。はぁ、はぁ……熱い。から……だ、アツ……いっ」
心臓が異常なまでに高鳴り、肺も灼熱を吸い込んだかのように熱くて上手く息が出来ない。
断続的に吐き出される呼気は熱に浮かされたかのように激しい。
体中に熱が籠っていく。その熱をどうにかしたくて弥白は細い腰をくねらせて、焦点の合わない目で正幸に懇願した。
「やだ……これ、怖い! なんとか……してぇ」
「熱くてたまんないだろ? 今に、無数の虫に体内を食い散らかされているような感覚になる。ムズムズして、気持ちよくなる……」
「虫っ! いやぁぁ……っ。はぁ、はぁ……はぁはぁ!」
「ほら、もう勃起してやがる。尻の具合はどうかな?」
節のある太い指が、擦り合わせていた腿の内側に滑り込む。その感触に、弥白は本人の意思とはまるで関係のない声が漏れた。
「あぁぁ……っ!」
体毛のないつるりとした下肢にペニスの先端から透明の蜜を滴らせて顎を上向けた彼は、小刻みに体を痙攣させてアラレのない声を上げた。その声はまるで歓喜に打ち震える女性のようで、聞くに堪え切れないものだった。
「おいおい……。まだ突っ込んでもいないに、そんな期待するような声出すなよ」
正幸は不躾に彼の腿を撫でまわし、その間に潜む蕾へと指を伸ばした。
肉付きの薄い臀部を乱暴に割り開き、その奥で慎ましく鎮座している蕾の周囲を円を描くように愛撫した。
「あぁ……はぅっ。や……っ。やだぁ……っ」
弥白の体は正幸を拒んでいる。それは彼の全身の鳥肌が物語っていた。しかし、唇から洩れてしまう喘ぎ声や、正幸が触りやすい様に腰を浮かせ、それまで閉じていた両脚を大きく広げている様からは、どう見ても彼を求めているようにしか見えなかった。
太い指がクチュクチュと音を立てながら蕾に侵入する。その瞬間、弥白は腿を激しく痙攣させて絶頂した。
「ふ……あぁぁぁぁ!」
昼間、灰英の太く長大な楔を受け入れたその場所は、処女の様相を見せながらも貪欲に正幸の指を食み、奥へと引きずり込もうと蠢動する。
ヒクヒクと収縮を繰り返す蕾の奥から、トプリ……と濃厚な白濁が糸を引きながら溢れ出した。
それに気づいた正幸は、弥白の両足首を乱暴に掴んで大きく広げると、後孔から溢れた白濁を凝視した。
「――お前、処女じゃないなっ!」
「ちが……っ。違うっ!」
「へぇ……。お前こそ、俺たちにどうこう言える立場じゃなかったってことか? 処女と偽って蛇神様を欺くとは……。灰英も灰英だ。こんなビッチを花嫁に選ぶとは……。アイツこそクソだなっ」
弥白の中に出されていた大量の精子を掻き出す様に、正幸の指が出入りを繰り返す。
尻の下に丸まった着物の上に液溜りが出来ていく。その冷たさに、弥白は正幸に気付かれてしまったという現実を受け入れざるを得なかった。
「まさかとは思うけど――。これ、灰英のじゃないよな?」
弥白は涙を流しながら「違う……」と何度も首を横に振った。
「灰英とセックスしたのか? お前の処女はアイツに奪われたのか?」
「違う……! 灰英……じゃ、ないっ。違う――!」
壊れた人形のように首を振りながら泣きじゃくる弥白に、正幸は口角を片方だけ上げてニヤリと笑った。
「これでアイツを貶めるネタが出来たってわけだ……。それに、処女じゃなけりゃ、もう何をしても構わないってことだよな? 弥白……」
一重の鋭い目が弥白を捉える。
その目が幾重にも重なり、底知れぬ恐怖を感じた。自分を見つめる蛇よりも恐ろしい人間の目。
憎悪、後悔、嫉妬、欲望、殺意、怨恨……。この男からは負の感情しか読み取れない。
人間が心の内に抱く闇の感情。そればかりが溢れ出していた。
「はっ、は……っ。はぁ……は……っ」
過呼吸のようになり、うまく酸素を取り込むことが出来ない。
足元でジーンズのフェスナーを下す音に気付いた時にはもう、正幸の硬いペニスの先端が蕾に押し当てられていた。
「触るな……。俺に……さ、わるな……っ」
低く呻くように言った口を酒臭い唇が塞いだ。
それを合図に、周囲にいた男たちの手が一斉に弥白の体を弄った。
「いい具合に潤んでやがる。灰英も時にいい仕事してくれるなぁ……」
大きく張り出したカリに溢れ出した灰英の精液を擦りつけるようにして、正幸は蕾の薄い粘膜を押し広げてその熱棒を一気に捩じり込んだ。
「い……いやぁぁぁぁっ!」
バチンッ!
弥白の頭の中で何かが弾け飛んだ。大きな音と共に視覚を奪われていく。瞼の裏で輝くのは眩いほどの光の点滅と、その先に広がる混沌の闇。
同時に体の自由が利かなくなっていくのが分かる。まったく力が入らない……。
グチュグチュと卑猥な水音と、正幸の荒い息遣いがやけに大きく聞こえはするが、先程味わったような快感の波は全く訪れようとはしなかった。
まるで『無』にでもなってしまったかのように、何の感情も感覚もない身体――。
弥白は倒れ込むように、その深い闇に体を投じた。
*****
「――隣村の鎮守である獅子神様が、水と自然豊かなこの村をたいそう気に入っているそうな。こんな貧しい村じゃ、先は知れてる……。いっそ、村ごと獅子神様に献上しちまった方がいいんじゃないかと思うとる」
何気ない村人の会話。それを通りすがりに耳にして玄白 は足を止めた。
山の間を縫うように流れる大きな川。活火山の麓であるこの村の河原には花こう岩の巨岩が所狭しと転がっている。山の頂上付近にある源流から次第に幅を成し、綺麗な水を湛えるその光景は純白の蛇のようだと村人は言う。
玄白は時々その河原へ足を運び、幼い頃から慣れ親しんだ笛を奏でていた。
キラキラと月夜に光る白い岩に腰かけ、最愛の伴侶である黒芭を想い、紡がれているものありながら、そのメロディは憂いを秘めていた。
その帰り道に偶然通りかかった古い家。手にした笛を握りしめ、玄白が耳を澄ましたそこは蛇神守が住む家だった。蛇神守は現在、この家の兄弟が継いでいる。兄は玄白たちが住まう社を守り、弟は村を統べていた。
この村の鎮守である自分たちを守るべき者が、なぜ唐突にこんな話を持ち出してくるのか不思議で仕方がなかった。
玄白は気配を消して息を顰めた。すると、自分の意思とは関係なくその男の心の声が聞こえてきた。
『もう報酬は貰っちまってるんだ。領土を欲しがってるお役人だって言えば反対されるかもしれないが、鎮守である獅子神の名を出せば村の衆も納得するに決まっている』
玄白は驚き、その美しい紅の瞳を大きく見開いた。
木戸の隙間から覗き見た男の目――その男には闇が宿っていた。何人もの男女を犯し、逆らう者は誰かれ構わず殺してきた。
そんな男が自分たちの守人だと、なぜ今まで気付かなかったのだろう。
黒芭はまだ気づいていない。なぜならば、人間であった自分と契りを交わした時に、その力を失ってしまったから……。
神々の間では御法度とされていた人間との婚姻。黒芭は八百万の神の反対を押し切って、人間であった玄白を娶った。自らの力を与え、玄白は真実を見抜く紅の瞳を手に入れた。
それから間もなくして、黒芭は他の神々から異端者として扱われ、神の世界の底辺に落ちた。
しかし、人間界ではこのことは知られていない。彼は全ての神を敵に回しても玄白との絆を優先させた。そんなこともあり、玄白は黒芭に口に出せない後ろめたさをずっと抱えたままでいた。
それ故に、彼から貰った力を使うことを憚られたが、嫌でも耳に入ってしまう人間の本心に玄白は息苦しさを感じていた。だからこうして、時折社を抜け出しては黒芭と離れ、独りでその心を静めていたのだ。
村人を――いや、蛇神守を何より信頼している黒芭にこんな話を持ちかけたところで、信じてもらえるはずはない。逆に玄白が叱られることは目に見えていた。
この村が役人の手に渡ったら……。ここに住まう民はどう生きていけばいいのだろう。
隣村の年貢の取り立ては厳しく、女子供も容赦ないと聞く。
悪い噂ばかりの役人に重労働を強いられ、穏やかな自然を壊されてしまうことになったら、この村の鎮守である黒芭の地位はより危ういものになる。神が何より恐れていること――それは信仰を失った人間の心が闇に呑みこまれてしまう事。
玄白は思案し、女性のように美しい顔を曇らせた。
(どうすればいい……。このままでは彼の口車に乗せられてしまう)
唇を噛みしめたまま、手にした笛を胸に押し当てた時だった。
「――誰だ! そこにいるのはっ」
木戸の隙間から覗き見ていた玄白の姿に気付いた男が足早に近づいてきた。逃げようとするが、その恐ろしさに足がすくんで動けない。
勢いよく開かれた木戸の向こう側に立っていたのは蛇神守だった。
「おや? 玄白様じゃないですか? こんな夜更けに何の御用ですかね?」
彼の目を恐る恐る見上げる。そこには恐ろしいほどの闇が渦巻いていた。
「あ……。いえ、何でもありません。私はただ……ここを通っただけで」
「お一人で……ですか? 黒芭様はご一緒では?」
「いえ……」
一瞬もぶれることなく玄白を見つめる男の目から逃れようと、目をそらし思うように動かない足を前に進めた時だった。
不意に二の腕を掴まれ、男の胸に倒れ込むようにして囲われた。
「――聞いていたんでしょ? 今の話……」
耳元でザラリとした嫌な声が響く。それと同時に銀色の長い髪を乱暴に掻き上げられ、小ぶりな耳朶を甘噛みされた。
「ひぃっ!」
あまりの恐怖に全身が粟立ち、膝がガクガクと震えた。男は執拗に玄白の首筋に顔を埋め、鼻息を荒くしていく。
「離れなさい……。これは神への冒涜ですよ」
「冒涜? そう言えば神様は何をしても赦されるってことですかい? 黙って人の家の前で立ち聞きすることも……」
「それはっ」
「俺ぁ、知ってるんですぜ。あんたが元は人間だったってこと。うちの爺さんから耳が痛くなるほど聞かされてきたからなぁ……。人間だったってことぁ、そういうこともしてたってことだろう? なぁ?」
代々続いている蛇神守の血族。この村の鎮守である玄白や黒芭のことは代が変わるごとに語り継がれていく。
それが蛇神守の務めであり、後世に繋ぐ唯一の手立てだった。
だから、この男が知らないはずがない。玄白はもともと自分らと何の変わりのない人間だったことを。
「そういうこと……とは?」
「分かってるくせに……。黒芭様とも楽しくやってるんでしょう? 蛇のアレは人間と比べて具合がいいんですかい?」
下卑た笑いを浮かべながら着物の襟元を乱す男の手を振り払いながら、玄白は精一杯の力で抗った。しかし、華奢な体を押えこんだ男の体格は大きく、到底叶う相手ではなかった。
「無礼者っ! この手を離しなさいっ」
強い口調で声を上げた玄白を面白そうに見下ろした男は、家の中にいた数人の仲間を呼んだ。
「おいっ! 玄白様が夜伽の相手をご所望だ! 黒芭様だけでは満足出来ないらしいぞ。蛇神守としてこの村の安泰を願うのは当然だ。せっかくいらした玄白様を持て成さなけりゃ御先祖様に怒られるってもんだ」
静かな闇を揺るがす男の声に、仲間たちも鼻息荒く玄白を舐めるように見つめた。
その陰を含んだ視線は玄白の体にねっとりと絡みつき、身じろぐことも出来なくさせた。
人間の心に潜む闇が次第に大きくなっていくのを感じた玄白は、黒芭には申し訳ないと思いながら自らの舌に歯を宛がった。
「――おっと。ここで死なれちゃ、玄白様のいい声が聞こえなくなっちまう」
男の指が強引に唇を割り、ピンク色の舌をぐっと押さえつけた。
「あ゛ぁ……っ」
「こんなところじゃ愉しめねぇ。おい、納屋に行くぞっ」
羽交い絞めにされたまま連れ去られた玄白の手から滑り落ちた笛は、男たちに踏みつけられその形を失った。
初めて黒芭と出会った時、この笛の音色に導かれたと言ってくれた。
運命の番――蛇神である彼の口からそう言われたことが何よりも嬉しかった。
共に永久を生き、子宝に恵まれ、この村で幸せに暮らそう――。
力強い声でそう誓いを立てた黒芭の端正な顔が溢れた涙に滲んだ。だんだんと歪んでいく彼の顔が滴と共に着物を濡らしていく。
「いや……っ。放してっ」
叫び疲れ、声にならない声が納屋に響く。非情にも男たちの手は玄白の体を弄り、美しい肌に爪痕を立てていった。
血が滲み、月白の肌を幾筋もの朱が横切っていく。
嫌なのに、与えられる快楽に自然と漏れてしまう声を呪った。
玄白の姿を映していた月はいつしか暗雲に閉ざされ、周囲は闇に包まれた。
大きく脚を開き、男の楔を淫らに受け入れる体。快感に抗うことの出来ない淫らな白い体が男の茎を深い場所で咥えこんだまま離さない。
(こんなんじゃない……。私は黒芭のもの……)
何度もその名を口にするが、男たちの舌に絡め取られ発することが出来ない。
最愛の伴侶、そして周囲の反対を押し切って人間である自身を神の世界へと迎えてくれた偉大なる男。
彼の腕の中に抱かれて、愛されていることを知った。
この状況で自分が今、出来ること――。
隣村の役人に穢されることなく、この自然を守り、民を守ること。
力を失った彼の代わりに命を掛けてこの村を守る……。
他人にこの土地を荒らされるくらいならば、いっそ自らの手で壊してしまえばいい。でも、その力は自分にはない。
(どうすればいい……?)
男たちに犯されながら玄白は必死に考えた。
黒芭に上位神としての力と威厳を取り戻させるには……。
湿った黒土に汚れ、独特の匂いを放つ精液に塗れた体を横たえたまま、玄白は目を閉じてその時を待った。
不躾な男たちの手が離れ、微かに着物を正す音が聞こえた。
「――やっぱり神様の体は上等だな。白蛇様と繋がった俺たちには御利益があるに違いねぇ」
「さっさと帰るぞ。誰かに見られたら面倒な事になる」
「なあに、黒芭様に満足出来ねぇ玄白様が村の男を誘ったと言えばいい。見かけによらず淫乱な神様だってな」
「そいつはいいなっ!」
高らかに笑いながら納屋を出ていく男たちの足音が遠ざかり、玄白は悪夢から目を覚ました。
黒芭しか触れることを許さなかったしなやかな白い身体は汗と泥と精に塗れていた。
吐き気を催すほどの悪臭を放つ体を痛みをこらえながら傾けると、積まれた藁の下に転がった懐剣に指を伸ばした。
黒漆に描かれた月白の蛇。黒芭が護身用として婚姻の際に玄白に渡したものだ。
気怠いなか、わずかに残った力で鞘を引き抜くと、玄白は自身の首筋にその刃を押し当てた。
「黒芭……。貴方に出逢わなければ……よかった。神としてその名を……その力を取り戻して。そして……私のことを思うのならばこの村を壊して。それが村を守るために私が出来る最後の手立て……。貴方に邪神としての罪を背負わせる私を許してとは言わない。でも……もし、生まれ変わることを許されるのならば……今一度、貴方と結ばれたい……。永久に……貴方の腕の中で……」
渾身の力を込めて押し当てた刃を真横に引いた玄白の白い首筋から鮮血が吹き出した。
その血は乱れた白い着物を朱に染めながら、土の上を這うように広がっていく。
力なくだらりと落ちた手から離れた刀は、その力を失うように塵となって藁クズの中に散った。
月のない闇夜。一柱の神の命が消えた――。
美しい容姿と、どこまでも純粋で清らかな心を持った白蛇。しかし、愛する者への罪悪感を抱えたまま彼は死を選んだ。
この村を守るために。そして――最愛の伴侶の力を取り戻すために。
血に汚れた頬に一筋の涙が伝った。その時、彼の真実を見極める紅の瞳が眩い光を放ちながら西の空に浮かんで消えた。
流れゆく時代をこの目で見極めるために……。玄白は自身の想いをその瞳に封じ込めた。
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