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第2話 卒業と廃業

 2年前の夏、その母親が亡くなった。富樫は葬儀の後に下宿生を集めて、話し始めた。その時には既に、下宿生は輝を含めて4人きりしかいなかった。 「この下宿は、もともと母の介護のために始めたのは、知ってるな?」  輝は頷く。他の3人もだ。入居の時に聞かされるから、下宿生は全員知っているはずのことだった。  富樫は以前、輝の通う大学の野球部の顧問をしていた。元は将来を嘱望された高校球児で、有名な強豪校に誘われて15歳で親元を離れて以来、野球に明け暮れる日々を過ごしていた。だがプロに誘われるほどには至らず、育成者の道に進んだ。大学野球の指導者になって間もなく父親が亡くなり、その後長らく郷里で1人で暮らしていた母親が倒れたのは10年前のことだ。その母親を呼び寄せて、最初の2年ほどは仕事と介護を両立していたけれど、やはり無理があって介護に専念するために大学を辞めた。  それでも部員たちのサポートがしたいという気持ちも強くて、なんとか介護と両立できる方法をと考えた結果が、地方から来た部員のための下宿屋業だった。  狭い2人部屋が4つ、風呂とトイレは共同、女っ気と言えば寝たきりのおばあさんがいるだけの、中年の独身男性が1人で切り盛りしている下宿だけれど、大学の寮費より安い下宿代で2食つき、門限などの生活ルールも緩いということもあって、一定の需要はあった。 「そのおふくろも死んだ。それから野球部の廃部も決定した。と言っても、もう野球部員はここにはいないけど。」  かつての野球部は強豪だったが、輝が入学した時にはそんな栄光は見る影もなくなっていた。部員も年々減っており、今ここにいる4人は輝を含めて全員野球とは縁のない面々だった。 「つまりな、下宿を続ける意味がなくなったんだ。」  輝はそれを意外な宣告だとも思わなかった。4つの2人部屋は、下宿生が4人になってからは個室として使えるようになっていた。そうして使われなくなったベッドも、2台あった洗濯機のうちの1台も、大量にあった食器も、徐々に処分されていった。その時点の下宿生は大学4年が2人、3年が輝ともう1人。その下の学年からは受け入れを停止していた。 「君たちが全員卒業したら、もう、ここはおしまい。卒業までは面倒見るけど、その先の住まいは自分たちで確保してほしい。この建物は取り壊して、土地も処分するからね。」  その覚悟もとうにできていた。でも、気になることがあった。 「富樫さんはどうするんですか。まさか結婚でも?」当時の4年生が尋ねたのがそれだ。 「ないない。」富樫は笑った。「逆だよ。独居老人コースまっしぐらだ。でも、そのぶん、身軽で気も楽だよ。俺1人の暮らしならなんとでもなる。」  その「おしまいの日」は、本来は昨日だった。つまり、輝ともう1人の卒業の時。ところが、富樫にとって計画外のことが起きてしまった。  卒業するはずの学生が、大学院に進学することになったのだ。それが輝だった。 「まいったなあ。」その数か月前、輝が院試に受かったと聞いた時、富樫は頭を掻いた。「博士までやる気か?」 「いえ、修士まで。」 「それならあと2年か。2年ねえ、うーん。」富樫は困り果てた様子で中空を見た。「おまえらのどっちか、留年するかもしれない覚悟はしてたんだよ。だから1年。1年の延長は、一応考えに入れてた。でも、2年となると。」

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