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第3話 初めての男
「お金の問題ですか? 僕1人の下宿代なんて微々たる額ですもんね。」
富樫は苦笑する。「輝に心配されるとはな。その点は大丈夫だよ。」
「だったら、お願いします。卒業するまでは面倒見るって言ってましたよね。」
富樫の顔色が変わる。「まさか、それが目的の計画的進学か?」
「そうだと言ったら、どうします?」輝は富樫を見てニヤリと笑った。
「おまえなあ、いい加減、親離れしてくれよ。俺なんか15で自立したんだぞ。」
「富樫さんは親じゃないでしょ。」
「親みたいなもんさ。新入生の時から見てるんだ。」
「もう22です。」
「ほら、実の子でもおかしくない年だ。」
輝はつまらなさそうに唇を尖らせた。それこそ子供じみた拗ね方で、富樫はつい笑ってしまう。そんな富樫に反撃しようと、輝は言った。「富樫さんて、何歳なんですか? 何度聞いても教えてくれないけど。」
「ダブルスコアでも効かないね。」富樫は飄々とそう言い、具体的な答えは誤魔化した。「それにしても、サボってばかりで留年を心配してた輝が、大学院か。」更には話題を変えてしまう。
「4年生は頑張ったんですよ、これでも。」
「そうだったよな、毎日毎日遅くまで研究室残って。何日も泊まりこんでた時もあったよな。」
「夕食代をだいぶ無駄にしました。」
「俺のほうは輝が食べなかった分まで食べてたから、この1年で太っちゃったよ。」富樫はお腹を撫でてみせる。言うほどには太っていない。痩せてもいないけれど。「でも、そうだな。輝があれだけ頑張ってたんだから、ここもあと2年、頑張るとするか。」
「ありがとうございます。路頭に迷わなくて済みます。」
富樫は気にするなと言いたそうに、顔の前で手を振った。その手を下ろしたかと思うと、言った。「けどな、知ってのとおり、新入生は来ないし、俺と2人だぞ?」
「楽しそう。」輝が笑うと、富樫も笑った。
富樫との2人きりの生活が楽しみなのは本心だった。それが今日から始まるのだ。
いつからだろう。富樫に特別な想いを寄せるようになったのは。少なくとも一目惚れということはない。いかつい顔で、体も大柄な中年男。野球部のコーチと聞いて納得した。ちょっとでも規則を破ろうものなら、頭ごなしに怒鳴られるのではないかと怯えていたほどだった。
だが、富樫は至って温厚な性格で、大声を出すことも滅多になかった。料理にしても掃除にしても器用にこなし、体調が悪い学生がいれば母親の介護と同様、献身的に看病した。輝もそんな風に優しく看病されたことがある。額で体温を確かめる大きな手にホッとして、その手がずっとそこにあってほしいと思った。恋に落ちたとしたら、あの瞬間かもしれない。
輝がそれまでに好きになった相手も、同性だった。高校の同級生に、アルバイト先の先輩社員。同級生は眺めるだけで終わってしまったが、バイト先の先輩とはつきあうこところまでこぎつけた。先輩は手練れのバイセクシャルで、輝の好意を察したかと思うとすぐにデートに誘い、ファーストキスを奪った。その先に進むことを望んだのは輝のほうだ。初めての恋人に夢中で、振られないために必死だった。
「俺、タチしかできねえよ?」と先輩は言った。タチという単語すら知らずに戸惑う輝を見て、先輩は笑った。「おまえのケツに、俺のちんこを挿れんの。できるか?」
「……できます。」そう答えるしかなかった。好きだったから。好かれていると思っていたから。
「後ろ向いて。あと、声は出すな。うちの壁、薄いんだよ。」そんな指示も疑わずに従った。
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