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第4話 ダブルスコア

 その指示が、輝が男だということを消し去るためだと気付いたのは、先輩が結婚すると聞いた時だ。先輩の部屋でしか会ってくれなかった。輝がその部屋に忘れ物をしたらひどく不機嫌になった。うっかり関係がバレると困るからと苗字でしか呼ばせてもらえなかった。それもこれも、女性と二股をかけられていて、そして、その女性のほうが本命だったから。そう気づくと、そもそも彼がバイだというのも疑わしかった。結婚を前にしての、一時的な性的冒険。その相手として遊ばれただけ。そう考えるのが一番筋の通ったストーリーだった。  バイト先は家の近くで、どこへ行くにもその前を通る。そんな環境から逃げるように、遠方の大学に進んだ。家族からは猛反対された。なんとか説得して学費だけは出してもらえることになったが、仕送りはしないと宣言され、だからとにかく安い下宿を探して、富樫のところに行きついた。  今となっては思い出したくもない先輩は6歳上だった。それでも随分と大人に見えた。富樫はそれよりずっと年上で、輝のダブルスコアでも効かないとなれば、要するに44歳以上ということになる。そんな男に恋をしても不毛だと自分に言い聞かせた。  けれど、「君たちの卒業をもって下宿屋はおしまい」と聞いた時、ガッカリした以上にチャンスだと思ってしまった。どうにかして卒業を引き延ばせば、彼を独占できるのではないかと。2人きりだったら、時間をかければ、もしかしたらと。一生添い遂げられるなんて夢は見ないにせよ、少しだけならと。そんな期待をしてしまった。 「懲りないなあ、僕も。」輝はそんな独り言を言った。 「何の話?」背後から富樫の声がして、輝は驚いて振り返った。「お茶淹れたからどうぞ。」マグカップをひとつ、輝に手渡す。 「ありがとうございます。」 「いや、礼を言うのはこっちだ。買い物も洗濯も全部やってもらっちゃって。2人暮らしになって早々、悪かったな。まさかこのタイミングで腰を痛めるとは。」 「昨日、張り切り過ぎたんですよ、卒業祝いの垂れ幕まで作って。」  毎年下宿生が卒業を迎えた日には、手製の料理で祝賀会を開いてやっていた富樫だった。輝は大学院に進むが、大学はいったん卒業するのだからと、昨夜はもう1人の卒業生と一緒に、3人でささやかなパーティーをした。彼は今朝、故郷に戻って行った。4月からは新天地での生活が始まるはずだ。 「最後だと思っていたからなあ。」と富樫が呟いた。 「すみませんね、居残って。」 「……いや、こうなってみれば、輝がいてくれてよかったと思ってるよ。」 「本当ですか?」 「おふくろが死んで、下宿屋たたんで、学生も誰もいない新しい場所でいきなり1人になるってのは、淋しかっただろうと思ってね。計画した時には、どうせならすっぱり全部やめて1人で再スタートだ、なんて、かっこつけて思っていたんだけれど。……実際そうなったらと思うとね。」  輝と富樫はゆっくりとティータイムを楽しんだ。出会った頃の騒々しい下宿とは雲泥の差だ。 「2人なんだし、これからは食事の支度でも掃除でも、普通に分担しましょうよ。」 「下宿代もらってる以上、そういうわけにはいかないよ。」 「本当は食費分ぐらいにしかならないでしょ、あの金額じゃ。」 「そうでもない。野菜なんかは田舎の友人から送ってもらっているから、安上がりなんだよ。それにね、輝は勉強が本分なんだから、そんなことは気にするな。」 「はいはい。」輝は苦笑した。 「口うるさいオヤジだと思ってるんだろ?」 「思ってませんよ。」

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