2 / 3

第2話

あれから、周りの空気が変わった。 「ざまぁみろ」 「ライラック様も、これで終わりね」 「私達もようやく安心だわ」 何処を歩いても、何処に居ても聞こえる。私に対する笑い声。 「はっ、はは……ここまで恨まれていたのか。私は」 あの日。 ビオラ・ベルベットに勝負を持ちかけた私は、呆気なく負けてしまった。 今までフェンシングで負けたことなどなかったこの私が、あんな奴に。何の才能もない元平民に……何の釈明の余地すらなく。完膚なきまでに負けてしまった。 『僕の勝ちです、ライラック・ベルナール殿。約束は守ってもらいますよ』 「クソッ!!クソッ!!」 怒りと共に湧き上がるのは、どうしてあんな賭けをしてしまったのかという後悔。 別にビオラ・ベルベットがベルナール家に出入りするくらいは大したことではないのだ。顔さえ合わせなければいいのだから。 だが!! 使用人共に対し何も出来ないということが、何より苦痛で仕方ない。 しかも。私が何の手出しができないことをいいことに、アイツ等は余計仕事をしなくなってしまった。 無能な奴等はさらに無能になっただけでなく。汚らしい口で、この私に対する今までの鬱憤を吐き散らして来る毎日。 「この私が……あんな低俗共にバカにされるなどっ!」 これが毎日続くなど考えたくもない。 「しかし。もう……どうすることも出来ん」 こんな日々が永遠に続くのなら、いっそのことここから逃げてしまいたい。 「……独り……でか?」 私には無理だ。 考えただけで嫌になる。 「独りでなど……生きていけない」 考えれば考えるほど力が抜けていく身体は、柔らかなベット上へ預けられる。 どれだけ手を伸ばしても、絶対に届かない高い天井。 どれだけ見つめても、先など見えない真っ暗な夜空。 どれだけ耳を澄ましても聞こえない、私じゃない誰かの声。 元から孤独だったはずなのに、どうして今はこんなにも寂しく感じてしまうのか。 「っ……くそっ、くそぉ……」 みっともなく涙が勝手に溢れてくる。 こんなところ誰にも見られたくないはずなのに、誰かに抱きしめてほしいと思う私がいる。 「は、ははっ。本当にみっともないな……」 止まらない涙を隠すように、目元を自分の腕で隠す。 その時。温かい手のひらが、私の頬に添えられた。 「そんなことはありませんよ。ライラック様」 「っ!?……ナズナ・スターチス」 一体いつ部屋に入って来たのか、ナズナ・スターチスはベットで泣く私の頬に手を添えたまま、優しく微笑んでいた。 「俺は、貴方をみっともないなんて思ったことありません。俺にとってライラック様は、いつでも凛々しく。誰にも流されない強さを持った。憧れの人です」 夜に輝くブルーの瞳には、嘘偽りなんてない。 「お、まえは……なんで」 「安心してください。俺だけは絶対に貴方の側を離れません。この命尽きるまで、俺は貴方の物です!」 「……いや、だがお前は」 そうだ。ナズナ・スターチスが私にここまで懐いている理由は、欲しい物があるからだ。 その為にコイツはただ我慢しているだけ。 「……今、言え」 「え?」 「君が私にここまで尽くすのには、欲しい物があるからだろ?あの時は聞きそびれてしまったが、今ここで言うがいい。すぐにでも用意してやろう」 コイツだけは私の事を悪く言わなかった。嫌な顔一つしなかった。見捨てることなどしなかった。 なら、感謝くらいはしてやらんとな。 「俺が欲しいのは……」 覚悟を決めたように生唾を飲み込んだナズナ・スターチスの目付きが変わった。 それは、いつものご主人に甘えてくる子犬というより。お腹を空かせた獣の様。 「え、お、オイ……」 ぎらついたブルーの瞳が、私の目の前まで近づいてくる。 男二人分の重さが乗ったベットは、ギシリと音をたてた。 「っ……」 何故だか身の危険を感じた私は、思わず上体を起こして後ずさりをしようとするが。ナズナ・スターチスは「行かないで」と言わんばかりに私の腕を掴んで離さない。 その手は、とても熱い。 「俺が欲しいのは……貴方です。ライラック様」 「……は?」 頭が一瞬思考停止した。 「貴方をください。ライラック様」 「は、はぁあ!!??」 今、コイツは何て言った? 「私が欲しい?」大概の奴等には嫌われるほどの性格の悪いこの私を!? 「な、な、何を言ってる貴様!?気でも狂ったか!?」 「狂ってません!!俺はずっと前からライラック様が好きでした!!だからずっと尽くしてきたんです!好きだから!」 「いやいやいや!!私は男だぞ!?」 「関係ありません!」 私の腕を掴む手に、力が入る。 コイツはーー本気だ。 「うぅ……」 「ライラック様……」 欲しい物をやると言ってしまったからには、今さら断るわけにもいかない。 「わ、分かった。今日から私は……君のものだ」 「本当ですか!!」 「私が君を好きになるかは別だがな」 「いいんです。絶対好きにさせてみせますから」 「っ……」 一体どこからそんな自信が来るのかと呆れる反面。 好かれていないと分かっていながら、それでも私を諦めるつもりはないと言っているナズナ・スターチスに、何故か私の胸は今までにないくらい早く、大きく、鼓動を鳴らしていた。 こんな気持ち、私は知らない。 一体これは……なんだ? 「ライラック様。顔、真っ赤です」 ナズナ・スターチスに言われて、急いで頬に触れると。まるで高熱がでた時のように熱かった。 この私が、コイツに照れているとでもいうのか!? 「あ、いや、こ、これはだな……そう!!昨日から少し熱っぽくてだな!!」 明らかにその嘘は無理がある。 というか、私はこんなにも馬鹿みたいに言い訳が下手だったか? 今までなら、もっとうまく誤魔化せていたはず。 「あぁ~~……えっとだなぁ」 「熱があるなら大変ですね」 まさかの信じてるパターン!? 「ならその熱、俺に移してください」 そんなわけなかった。 「えっ、ちょっ!?んんっーー!!」 掴まれた腕から体重をかけられ、再びベットへ寝転がされた私は、抵抗をする暇もなく。唇を奪われる。 キスは初めてじゃない。寧ろ慣れていると言っていい程、女と何度もしてきた行為だ。 それなのに。ナズナ・スターチスとキスをしている私の唇は、小さく震えていた。 らしくもなく、緊張しているということだ。 「ふっ、んんっ」 先ほどまで優しかった口づけが、徐々に激しさを増していく。 「まっ、んっ!」 強引に口の中へ入り込んできては、粘ついた唾液で私の舌に絡みついてくる彼の熱い舌先。 ぴちゃぴちゃと生々しい水音が部屋に響いて、嫌でも耳の中でずっと木霊してしまう。 恥ずかしくて、気持ち良くて、たまらないーー。 酒にでも酔った気分だ。 「好きですライラック様。貴方が欲しい。今すぐにでも食べてしまいたい」 そう言いながら、何度も何度も私の唇に絡みついては全然離そうとしないナズナ・スターチス。 食べてしまいたいとか言いながら、今現在進行形で私はコイツに食われている気がするのだが。 「ぁっ、はっ、ちょっと、落ち着け」 もうどちらのものかも分からない唾液で濡れてしまった口元を両手で塞ぐ。 流石にこれ以上は息が持たなかった。 「す、すみません。念願のライラック様にキス出来て、つい興奮してしまいました……」 「……見た目の割にガッツくタイプなのだな。君は」 「ライラック様ですよ。俺がガッツくのは」 「っ……」 一言一言想いを伝えられるたび、胸がきゅんと鳴ってしまう。乙女か私は。 しかし不思議だ。 コイツを見ていると、コイツに触れられていると、心が落ち着く。 さっきまであんなにざわついていたのに。 「ライラック様……俺、そろそろ限界です」 「っ……わ、分かった。良いだろう。その身を私に預けっ」 「抱いていいですか」 「は!?わ、私が抱かれる側なのか!?」 「駄目でしょうか?俺、ずっと貴方を抱きたいって思っていたので……」 自分が抱かれるなど考えもしなかった。 いや、男とすること自体考えたことも無かったが。 何故だか先ほどから良いように持っていかれている様な気がするのだが、コイツの目を見ていると何故だか許してしまいたくなってしまう。 それに……キスも嫌じゃなかった。 ならば。 「す、好きにしろ」 断る必要はない。 「有難うございます!!」 「い、いいか?私は別に抱かれたいなど思っていないからな?仕方なくだ!君の我が儘を聞いてやっているだけだ!」 「はい!ライラック様のお優しさに感謝しております!」 ここまで素直に喜ばれると、流石の私も言葉が詰まる。 「い、いいから早くしろ。いいか?君が下手くそならすぐに止めるからな!」 「はい。優しく……優しく貴方を抱きます」 「優しく」という言葉とは裏腹に、欲望で染まったぎらついた眼差しが私だけをジッと見つめている。 「愛しております。ライラック様」 やはり私は、決断を早まってしまったかもしれない。 だって私は、コイツのせいでこんなにも満たされてしまった。心地良さを知ってしまった。 こんな気持ちを知ってしまったら。もうきっと戻れない。 だから。 「絶対、私を手放すなよ……」 自分がこんなにも寂しがり屋だったなんて、こんなことが無ければきっと永遠に知ることは無かっただろうな。

ともだちにシェアしよう!