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#1-8

「ちょっと? (とおる)くん、起きてます?」 はっと瞬きをすると、ほとんど白いままのスケッチブックと鉛筆を握った自分の右手。 その向こうに佐々井が座り、両手の人差し指を立てて頬にあてたまま、こちらを覗き込むように少し身を乗り出していた。 俺が上の空でも授業は進んでいて、今は隣同士ペアになってデッサンの演習中だった。 ポーズは自由、交互に行う、まずは俺が佐々井を描く番。という状況の把握はできていたが、何せ心ここにあらず状態で、いつの間にか手が止まっていたらしい。 「俺の渾身の乙女ポーズ、真面目に描いてよねっ、亨くんのバカッ」 下の名前で呼ぶな、鬱陶しい。そのポーズもわざとらしく膨らませた頬も全てが鬱陶しい。そのまま指が貫通してしまえ。 と、口にするのも面倒だったので舌打ちひとつにまとめ、俺は右手とスケッチブックに意識を戻した。 見ているだけでイラッとくるような佐々井の座り姿をガタガタの線で写しとりながら、それでも俺の瞼の裏には、瞬きするたびにあのときの達規の顔が浮かぶ気がした。 達規は確かに俺を見ていた。視線を合わせて唇の端を吊り上げた。 気づいていたのだろうか。 いつから。 まさかヤッてる最中から? 新学期が始まって達規と同じクラスになったとき、俺はあの記憶をなかったものとして接することに決めた。 理由は単に面倒だったからだ。拗れさせる必要はどこにもないし、そもそもあまり深く考えたくもない。関わらなければ済む話だと思った。 しかし、初めてまともに言葉を交わした、ほんの何日か前の放課後。 あれから絡むことが急激に増えて、俺の脳裡には時々、あれが浮かんできてしまうのだ。勝手に。 達規はどうなのだろう。 達規から俺の姿が見えたとしても、開いていた引き戸の隙間は片手の幅程度が精々だ。 顔見知りでもない相手の顔を、それで判別できるだろうか。 恐らく、誰かに見られたことに気づいていたとしても、特定はできていないんじゃないか? というのが、今のところの俺の見解だ。 そうでなければ、もし俺が奴の立場なら、そんな相手とは関わりを持ちたくない。わざわざ自分から接触しようだなんて絶対に思わない。 「はい、終了ー。次はモデル交代して」 そこまで考えて、教師の声にはたと手を止める。ざわついている教室内。 白い画面上に出来上がった、佐々井を写したデッサンは、お世辞にも上手いとは言い難いものだった。 「よっしゃ、水島も何かカワイイポーズしろ。かわいく描いてやるからよ」 「かわいいって何だよアホか。普通でいいんだよ、普通で」 佐々井のアホな要求を流して、適当に脚を組む。 ふと横に目をやると、同じように隣の女子と向かい合って座り、机に頬杖をつく達規の姿があった。 へらへら笑うその横顔から目を逸らし、埃っぽい空気を一度大きく吸い込んだ。

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