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#1-9
「水島ぁ、はい。ノート返す」
美術室からの移動のあとで、達規はまた俺の席にやって来た。
「は? ノート?」
「うん、君の英語のノート」
言われて気づく。
そういえばさっき、こいつが昼を食いながらぱらぱらと勝手に見ていたが、それっきり忘れていた。そのまま持ってたのかよ。
「お前マジやばい、中二レベルの和訳間違えんなよ」
「うっせーな、わかってんだよボケ、さっさと返せクソ」
「センセイに向かって何だその口の利き方はぁ!」
何がセンセイだよ、と思いながら受け取ったノートを何気なく開いた。
今日の授業は進みが遅く、昨日俺が必死で予習した範囲の半分ほどしか進まなかった。
授業の内容は自分でノートに写したが、後半の方まで何やら覚えのない書き込みがあることに気づく。
「……おい、何だよこれ」
「ん? 要らなかった?」
いや、と思わず言い淀む。
そこにあったのは俺の和訳の間違いを修正する、見覚えのない筆跡だった。
ただチェックするだけなら、間違いにバツをつけて正解を書くだけ、の方が簡単なはずだ。
だがそうではなく、間違っている箇所にだけ線を引いて「この単語の意味が違う」だとか「主語はこれ!」だとか、矢印で細かく書き込んである。それをヒントに見直せば自分で答えが出せるようになっている。
この方が俺自身の勉強になるのは明らかだ。
昼休みと今の移動教室後の数分間しかなかったはずなのに、いつの間にこんなマメなことしてやがったのか。何なんだこいつ。
「赤ペン先生かよ……」
「ふはっ! 懐かしー」
達規が破顔する。
キツネ目がきゅっと細くなって、八重歯が見えた。よく笑う奴だなと思った。
「また赤ペン先生してほしかったら見せろよ。特別にやってやっから」
そう言うだけ言って俺に背を向けると、片手をひらひら揺らしながら、達規はあっさりと自分の席に戻っていった。
予鈴が鳴り響く。
ノートの上の、意外と小さくて几帳面な字だけが、俺の手元に静かに残された。
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