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#6-9
美術室の引き戸に手をかける。
こちらに向けて十センチほど開いた世界の口。その隙間から覗く向こう側の光景は、古い写真のように褪せて薄らいだ色をしている。
揺れる達規の髪の色だけが、その中にあってやたら鮮明だった。
カッターシャツの切り抜いたような白さ。がたがたと揺れる机の、今にも壊れてしまいそうな苦悶じみた音。
それから、荒い呼吸に混じる掠れた声と。
粘度の高い水音が微かに。
上履きが脱げて、達規の爪先は床から浮いている。後ろに立つ男の手で磔にされたように、机に乗り上げている。
浅く酸素を取り込む唇が魚みたいにはくはく動いた。小さい顔、その頬の輪郭。
知っている声が知らない色で知らない名前を呼ぶ。
「…………さん」
そこで拒絶反応みたいに瞼が開いた。
見慣れた自室の天井は、カーテン越しに差し込む、まだ明けたばかりの空の色で薄明るくなっていた。
手足の先が痺れたように重く、感覚が遠い。掛け布団は辛うじて腹にだけ乗っている。
ゆっくり瞬くと時計の秒針の音が小さく頭蓋骨に響いた。
喉を真綿で締めつけられているような鈍い息苦しさを感じて、鼻から大きく空気を吸い込む。肺が膨らむのと同時に、背中が浮き上がる感覚がした。
ぼやける視界で確かめた壁の時計はまだ五時前。
今まで見てきた悪夢の中で、およそ最悪の類だと思った。せっかくほとんど忘れかけていたというのに。
いや、さすがに忘れることはできないまでも、ふとした拍子に思い出してしまうことはなくなっていた。
目の前にいる達規と、記憶にこびりついたあの姿を、どこか別物のように思うことができていたのに。
結びついてしまった。昨日の胸の引っかかりの理由だって、わかってしまった。気づく前には戻れない。
手のひらにじっとり嫌な汗が滲んでいた。シーツになすりつけるが、湿った感触が消えない。ぎゅっと目を瞑る。瞼の暗幕に白がちらつく。
保科。
ほしな、って。
あのとき呼んでた名前じゃねえか。
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