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#7-3

昼休み後の眠気が襲う時間帯、俺は教師が読み上げる子守唄のような古文を聞きながら、達規をぼんやり眺めていた。 ホームルームの態度はクソだったが、授業中は私語ひとつせずに前を向いている。ただノートを取っている様子はあまり見られなかった。 髪の根本が黒くなっている。茶色い部分との対比で、ずいぶん濃い色に見えた。ああそれが地毛なのか、と当たり前のことを思う。 入学式の時点ですでに茶髪だったはずだ。いつから染めてんだろ。あれハゲねえのかな。傷まねえのかな。いちいち美容院行って染めてるんだろうか。めんどそう。 とか上の空で考えていたら。 その茶髪頭がいきなり振り向いた。 さすがに肩が跳ねたりするほど驚きはしなかったが、ちょっと目を瞠ったのはたぶん、バレたらしい。 差し出された手にはプリント。ぼーっとしすぎて、前から配られているのに気づかなかったようだ。 達規は目を細めてにや、と笑いながら「寝てたっしょ」と囁いた。 寝てはいないが、似たようなものだ。俺は黙って頷いた。 放課後になり、部活へ向かうべく荷物を鞄に詰めていると、すぐそこの戸口から一人の女子が顔を出した。 かなり襟足短めのショートカットに切れ長の二重。小柄な男子と見紛う雰囲気もあるが、目元は俺でもわかるほどしっかりと化粧がされていて、肌は抜けるように白い。 「あれ、席替えした?」と誰にともなく言いながら、教室の中をくるりと見回し、すぐに目当ての人物を見つけたらしい。 迷いなく教室内へ踏み込むと、俺の目の前、つまり達規の席の横で立ち止まり、机に両手をついた。 「悠斗、今日暇?」 淡い色の唇が聞き慣れない名前を呼ぶ。 それが達規の下の名前だということが頭ではわかっても、服を後ろ前に着たときのようなむず痒い違和感が耳を掠めた。 呼ばれた達規は、椅子に座ったまま相手を見上げ「あんまヒマくない」と答える。 「嘘。いつも暇じゃん」 「うっせ。要件」 「映画館、カップル割引の日なの」 「ヤダ」 「付き合ってよ」 「ポップコーン。キャラメル」 「君に奢ったら割引の意味なくなる」 至近距離でノーモーションのキャッチボールみたいな会話だった。やや食い気味なテンポ感は、卓球のラリーの方が近いかもしれない。 盗み聞きする気はないが、耳に入ってくる会話を無意識に追っていると、鞄を肩にかけた佐々井が歩いてきた。 「水島ぁ、部活行こうぜー。じゃーな達規」 「おー」 ごく自然に佐々井が声をかけると、達規は振り返ってひらっと手を振った。 釣られたようにこっちを向くショートカット女子と目が合う。すぐに逸らされ、それきり俺は佐々井と連れ立って教室を出た。

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