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#9-15

立ち聞きするつもりは全くなかった。 すでに打ち上げは終わっているのに嘘を吐いたことだけが気になりはしたが、追及するようなことではないし、とにかく俺の用事はもう済んでいるということだけ達規に伝わればよかった。 しかし。 次に聞こえてしまった言葉が、頭の中を一瞬で白くスパークさせる。 「だって俺、言ったじゃん。つーか、保科さんだって――」 覚えのある名前。僅かに声を荒げた達規の、眉間に皺を寄せた顔。 考えるより先に、体が動いてしまった。 足を前に踏み出す。大きく三歩で、達規が顔を上げる。 「だから、やだって、……あ」 俺に気づくと、口を開けたまま、瞬きの間だけ固まった。その一瞬を逃さずに、達規が何か考えたり言ったりする隙も与えずに、左手を伸ばす。 「えっ」 数センチだけ耳から離されたスマホを、躊躇なくその手から抜き取る。試合で相手からボールを奪うよりずっと簡単だった。 画面に視線を落とし、通話終了のアイコンをタップする。間際、通話口から向こうの声が聞こえた気がしたが、構いはしない。 ツー、ツー、と電子音だけを微かに漏らす端末を達規に突き返す。 目と口を丸くして一連を見ていた達規は、そこではっと我に返って、俺の顔とスマホの画面を交互に見た。 「おっ……、ま、え、勝手に何して」 「保科って奴、お前の何なの」 当然の抗議を遮れば、目を瞠って再び硬直した。中途半端な形に開いたままの薄い唇が震える。 俺はといえば、ただただ無性に腹が立っていた。一年前の美術室、七夕祭りのあとの花火、いつかの頬の痣、さっきの電話の嘘。全部むかついてたまらなかった。 俺は何も知らない。 たぶんこいつは聞いたって言わない。 でも知りたかった。その感情のままに、今度は口が動く。 「お前が家に帰りたくねーのと、今の電話、関係ねえの?」 我ながら不躾な言葉だった。お前のことを教えろと、知りたいと思っている自分ばかりを押しつけた、ずけずけと踏み込むような言い方だと思った。 思ったが、撤回するつもりはなく、そして達規は、迷うそぶりを見せた。 は、と短く息を吸って、何か言おうとして口を開き、すぐに飲み込んで、少しだけ目を泳がせた。 土足で踏み込もうとしている俺を前に、そのドアを開けるか否か、迷っているように見えた。 時間にして数秒の逡巡の後、もう一度達規は俺と視線を合わせてから、顔を伏せて「はあ……」と大きく息を吐いた。 「わかったよ。喋るよ、喋る。……っていうか」 どこか強張っていた空気は緩み、雑踏の音が耳に入ってきて初めて、目の前のキツネ野郎の顔と声以外の情報がシャットダウンされていたのに気づく。 全然楽しい話じゃねえけど、と達規は言った。 スマホをポケットに突っ込み、あいた右手で頭を掻きながら、何だか叱られた子供のような顔をして。 「……聞いて、くれる?」

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