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#10 dog

「うちも昔、犬飼ってたんよ」 達規の話はそんな言葉で始まった。 七夕祭りの夜に花火を見た公園、同じベンチ。 「でっかいゴールデンレトリバー。うちの母親が結婚する前から飼ってたやつで。俺、生まれたときからずーっと、そいつと一緒に寝てたのね」 上着もないので座っていると少し肌寒い。 俺よりも寒がりな達規は自販機でコーンポタージュの缶を買い、カーディガンの袖越しに両手でくるんで握っていた。 「でも俺が小学四年生のときに死んじゃってさあ。歳だったんだけど。そしたら俺、夜寝れんくなっちゃったのね」 白い街灯の下、淡々と落とされる言葉は他人事じみて、ページの抜けた本を朗読しているみたいだった。 「そんで一緒に寝てくれるようになったのが、保科さんです」 「……いや、全然わかんねえ」 おしまい。と言わんばかりに言葉を切った達規に、思わず遠慮なく突っ込んでしまう。 「だよねぇ」とおどけるように短く笑った達規は、自分でも何をどう話したらいいのかよくわからない、そんな顔だった。 笑みを引っ込めて、うーん、と唸りだす達規の横顔。あんまり見ると急かしているようだから、あえて目を逸らして正面を向いた。 黄色くなったイチョウの木々のシルエットが夜空に浮かび上がっている。 秋は夜、という言葉がふと浮かんだけれど、違うな、それは夏か。秋は夕暮れだ。心底どうでもいいことを考えながら、達規の話の続きを待った。 手の中のコンポタの缶をくるくると何度かひっくり返しながら、やがて達規は静かに口を開いた。 「最初はね、ただの優しいお兄ちゃんだったんよ」 さっきまでよりも少し、秋風に近くなった温度の、表情の読めない声だった。 「俺が夜一人で寝れないの知って、じゃあ泊まりにおいで、って。一緒に夜更かししてもいいし、一緒の布団で寝てもいいし、って」 それが五年生のとき、と達規は呟く。 それから何度も、多いときには週に五日ほども、幼い達規は僅かに歳上の友人のところに泊まっていたのだという。 「で、俺が中学生になったら、身体触られたりとか、するようになって」 自分の手元に視線を落とす達規の横顔からは、感情がすとんと抜けているように見えた。 「泊まりにいくのやめようって思ったけど――まあ、逃げらんないうちにさあ、そういうことになっちゃったわけ」 何でもないことのような口調で続ける達規の、いつもは表情豊かなその顔を見ていると、自分で言わせておきながら俺は、罪悪感に似たものが胸に滲むのを感じた。 「で、それからもう、ずっと。今まで。ずるずると」

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