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#10-3
達規はまた他人事のように言いながら、地面につけていた足を伸ばして浮かす。ばた足のようにふらふらとローファーを揺らして、ざり、と再び土の上に着地する。
「親どっちも、あんま家にいなくて。でもメシとかは準備してあるし、食うとき一人ってだけで。俺としては、別に不便はなかったんだけどさ」
平坦な調子で続く言葉を聞きながら、達規の生活を想像しようとして、上手くできなかった。
家に帰れば母親がメシを出してくれて、土日は父親が居間でゴロゴロしていて、祖父も姉貴も弟もいて。普通よりむしろ賑やかな家で、うるせえなあと思いながら俺は育ったから。
それが当たり前だと疑ったこともなかったから。
「だから、褒められたりした記憶もあんまないんだけど、唯一……テストで百点取ったり、通信簿がオール五だったりするとさ」
そこで達規は少しだけ、自嘲と懐古と寂しさを混ぜて水道水で薄めたみたいに笑った。
「父さんも母さんも全然勉強できなかったのに、すごいね、って。それだけは、ちょっと褒めてくれたから」
俺はなんだかそれを聞いて、気道を絞めつけられたような気持ちになる。桜が散るさまや、夕日が沈む瞬間や、夜の真っ暗な海、そういうものを見たときのような、たまらない気持ち。
達規は「や、話、逸れたな」と呟いて、くしゃっと髪をかきあげた。その手が耳元へと滑って、シルバーのピアスを弄ぶ。
「そう、だから。親に褒められたりとかしないで育ってきたから、人に認められるとか必要とされるとか、そういうのに飢えちゃってるんだって。俺は」
「なんで伝聞形なんだよ」
「俺の専属カウンセラーもどきがそう言ってたからさあ」
カウンセラーもどき。何だそれ。
わからないことが多すぎて、もう何をどう受け止めればいいのかも判断できない。
冗談めかした言葉でも、こいつのことだから全部本当なのだろうとは思った。
「最初言われたときは、いや別に飢えてねーし、って思ったけど。あながち間違ってねーのかもしんないね」
だからかなあ、と独り言じみた呟きが、公園の夜に溶けていく。
それきり達規はしばらく口を噤んだ。
カーディガンの袖に隠れていた両手を突き出して、黄色い缶の表面を爪でかりかり引っ掻いている。
ベンチから少し離れたところを、仕事帰りらしいサラリーマンが足早に過ぎていった。
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