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#10-10

達規の言葉は雨粒のように、何の衒いもない軌道で俺たちのあいだに落ちた。輪郭を確かめながら俺は意味を考える。 口を開いても何も言えないまま、短くいくつも息を吸う。 そして俺が言葉を見つけられないうちに、達規の、喉を震わせるだけの小さな笑い声が空気を揺らした。 「そんな顔すんなって。ちょっと困らせたくなっただけだよ」 きゅっと細くなった目に映る俺は、たぶん、自分の無力に打ちひしがれる子供みたいな顔をしていただろう。 もう寝よ、と言って達規は掛布団を引っ張り上げると、福助ごと深く潜り込んでしまった。 「泊めてくれてありがとうね」 電気を消した暗がりの中で、何もない天井を虚ろに眺める。 普段ならベッドに入った途端に意識が落ちるくらい、寝付きの良さには自信があるが。 ちゃんとそこにいるか不安になるほど達規は静かだった。寝息のひとつも聞こえない。眠ってはいないのかもしれない。 時計の秒針の音に邪魔されながら、達規の話を頭の中でなぞる。育児放棄。ゴールデンレトリバー。電話。保科。だんだん自分の記憶とごちゃ混ぜになる。美術室。華丸ちとせのギター。花火。 俺は一体、何をどうしたいんだ? エスオーエスを出されたわけでもないくせに。 アラームは七時にしっかりと鳴った。 いつもよりも寝覚めが悪い。 少しのあいだ覚醒できずにいた俺より早く、達規は起き上がって律儀に布団を畳んでいた。 「福助ぇ、こいつ起きねーぞ。起こしたげて」 間近で声がしたと思ったら、腹の上にドスッと遠慮のない重みが乗った。ぐえ、と呻いて目を開けると福助の顔面。ざらついた舌で頬を舐められる。 その向こうで達規が笑っていた。わざわざ福助を抱き上げて、俺の腹に乗せたらしい。ぶかぶかのスウェット、少し寝癖のついた前髪。 「おはよ、水島」 「……おー」 九時から部活だ。朝練以外のまともな練習は実に三日ぶり。 達規と俺は並んでメシを食って、八時過ぎ、一緒にうちを出た。 歩いて帰ると言うから、昨夜と同じようにチャリの後ろに乗せて、わかりやすい大きな通りまで連れて行く。 「歩いたら結構かかるんじゃねえの、大丈夫か?」 「んー、大丈夫」 朝メシいっぱい食わせてもらったし、と腹をさする。ありがとね、じゃーね、部活がんば。いつものどこか力の抜けたような声で言って、達規はひらひらと右手を振る。左手はスラックスのポケット。朝日の下、達規の髪はほとんど金色に煌めいて見えた。 地面についていた片足をペダルに乗せ、大きく踏み込む。細いふたつの車輪がアスファルトを噛んで、身体にひんやりした空気の抵抗を受ける。 達規のことを考えて眠れなかった頭が、達規と反対の方向に運ばれていく。 チャリはすぐに慣性を味方につけて加速した。

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