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#11-8
教室に入るのにこんな勇気を要したのは初めての経験だった。
ざわつく廊下、普段なら開いているのに、今日に限って閉まった引き戸の前。俺はしばし足を止めていた。
あのおかしな夢のせいで完全に寝不足だ。そしてその元凶とも言うべき達規がこの戸の向こうにいるかもしれない。
その一点だけで、引き戸に手をかけ教室へ踏み入ろうとする俺の身体は躊躇を見せる。
しかしいつまでも突っ立っているわけにもいかない。ひとつ大きく息を吸い、重い腕を持ち上げたところで、
「何してんの?」
横から声がした。
昨夜から、いや二日前から、嫌になるほど脳内をぐるぐるしていた声だった。
錆びついたような首をぎこちなく九十度捻る。朝陽を浴びた茶髪頭がそこに立っていた。
「おはよ」
「……はよ」
「どしたん、そんなとこで固まって」
二日ぶりに会う達規は、子供のような顔で不思議そうに俺を見て、小首を傾げる。熱でふらふらだったときのような覚束なさは感じられなかった。
真っ直ぐ面を合わせることができず、俺は「なんでもねえ」と吐き捨てながら勢いよく教室の戸を引く。
俺のあとに続くようにして教室に入った達規は、机の上に雑に鞄を置くと横向きに椅子に座った。
荷物をごそごそやっている横顔をそっと盗み見る。
顔色は悪くない、むしろまだ少し赤いような気もするが、一昨日の帰り際ほどではなさそうだ。
無意識のうちにじっと見つめていたら、気づいた達規がこっちを向いて目が合ったので、慌てて顔を背け、誤魔化すように口を開く。
「……もう大丈夫なんかよ」
「カンペキ大丈夫。熱も三十七度まで下がったし」
へらっと笑いながら達規は答えた。
それはまだ熱があると言うんじゃないのかと思ったが、元気そうなのは確かだから何も言わないことにした。きっと一日も早く家から脱出したかったに違いない。
しかし、マスクもしないで本当に大丈夫なのか、薬とかちゃんと飲んだのか? つーか休んでる間、ちゃんとメシ食えたのか? なんかちょっとやつれてねえか?
気になることは山ほどあるが、言葉にできないまま何となく黙り込んでしまう。
目をあちこち泳がせる俺をどう思ったのか、達規は急に俺の机に肘をつき、ずい、と間近で顔を覗き込んできた。
「怒ってる?」
吊り目が少し丸くアーモンド型に開いて、探るような上目遣い。
拗ねたように唇を尖らせているが、その視線と声はどこか不安げだ。薄っすら赤みの差した頬。
気まずさとかいろいろなものが綯い交ぜになって、見慣れたはずの達規の顔が、直視できない。
「……別に、怒ってない」
「ほんと?」
「本当」
間近に寄せられた顔から逸らす目はどうしたって不自然ではあったが、耐えられなかった。俯き気味にそっぽを向いて短いセンテンスで答える。
素っ気なかったかもしれない。
動揺のあまり頭がうまく働かなくてこれが精一杯だった。
それでも達規は一応は納得したらしく、「そっか」とほんの微かに表情を綻ばせた。
ちら、と様子を伺った瞬間にその変化をまともに捉えてしまった俺の視界が、一瞬ぶわっと白く飛ぶ。達規以外。
そんな俺の視神経の異常については露知らず、達規は他の奴に話しかけられ顔を上げた。もう大丈夫なのか、おう、みたいな会話が左右の耳のあいだを素通りしていく中、俺はその横顔から目が離せない。
なんか、達規が。
めちゃくちゃ可愛く見える。何だこれ。
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