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#12-4
信号待ちをしているあいだ、何気なく車道を挟んだ目の前のビルを見上げてみた。
ビルといっても四階か五階建て程度の小さな雑居ビルだ。一階は古着屋、二階はローカルチェーンのコーヒーショップ。
入ったこともなければ気にしたこともなく、見上げたのは本当に偶然だった。
コーヒーショップはほとんどガラス張りになっていて、窓際は外に向かって座る形のカウンター席になっている。夏は暑そうだな、などとぼんやり思いながら、そこに座る何人かの影を眺めていた。
向かって右から視線を移動させていって、一番左の座席だった。
店内の照明でやや逆光になっているが、今の俺には見間違えようもない。
達規がそこに座っていた。
退屈そうに頬杖をつき、少し俯いて座っている。
土曜日だから当たり前だが、私服だ。白っぽいシャツに厚そうなベージュのジャケット、カウンターテーブルの下は黒い細身のパンツ。
こっちに気づいている様子はなく、手元のスマホを眺めているらしい。時間潰しか、誰かとの待ち合わせか。少なくともコーヒーが飲みたくてそこにいるのだ、という雰囲気には見えなかった。
声をかけたい気持ちが湧き上がり、しかしすぐに自ら却下する。
休日に外で顔を合わせるなんて達規は嫌がるに違いない。以前ならそうでもなかったかもしれないが。そう考えて一人、暗い気分になる。
見なかったことにしてさっさと帰ろう。こんなときに限って、信号はなかなか変わらない。
数メートル高い場所にいる達規の姿は見ないようにしていたが、視界の端で人影が動く気配に、つい目をやってしまった。
店の制服である黒いシャツに身を包んだ店員が一人、達規の横に立ち、テーブルの上にカップを置いた。
それだけなら何の変哲もないことだが、店員は親しげな笑顔を浮かべ、達規に何事かを話しかけたようだった。頬杖をついていた達規は僅かに顔を上げ、目を合わせて応じている。
当然ながら、会話の内容はわからない。しかしそのやりとりは単なる客と店員の雑談というには明らかに長く、そして店員が片手を上げて達規の頭を撫でたとき、俺の頭の中では一本の線が繋がってしまった。
――保科。
ほとんど名前しか知らない、幻のような男が、突然目の前に現れたのだと悟った。
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