131 / 142
#14-5
「悠斗に必要なのは君じゃない」
「お前が決めんな」
「君こそ何も知らないくせに」
冷徹そのものだった保科の声に、初めて小さな波が立った。
「悠斗のことも、……何も、知らないくせに」
達規が保科の顔を見上げる。造り物じみた無表情が崩れ始めたのを、戸惑いと迷いを浮かべて見つめている。
俺の耳元で鳴っていたノイズが、徐々に薄らいでいくのを感じた。
確かにこいつは俺の知らない達規を知っているんだろう。俺よりずっと達規のことを理解しているんだろう。今までと、今、そうだとしても。
これからには関係のないことだ。
俺は大きく息を吸う。
「思い上がってんじゃねえぞ。達規が、じゃなくて、お前が達規を必要なだけなんじゃねえのか」
達規が弾かれたようにこっちを向くのがわかったが、俺は保科から目を逸らさない。
睨み合った氷のような瞳の奥に、炎が燃えているのがようやく見えた。
その正体は、俺への敵意と、達規への執着。
悪魔か何かにも思えた保科が、俺の中でただの人間になった瞬間だった。
「お前は達規に何もできない」
ゆっくりと一歩前に足を踏み出すと、保科の顔色が変わった。
掴んだままの達規の腕を引く。俺から隠そうとでもするかのように。しかし達規は、今度はよろめかなかった。大きく目を見開いて俺を見つめている。
そのままこっち見とけ、と思った。
そんな奴に、そんな顔、させられんな。
「達規の未来はお前のもんにはならない」
迷いなく距離を詰めていく。保科の唇から白い息がひとつ、浅く吐き出される。
もう一歩近づいて手を伸ばせば達規に届く。
ついさっき自分で口にした言葉が脳裏に響いた。
選ぶのは、達規だ。
足を止める。
「こいつはこれから俺と恋愛すんだよ。邪魔すんな」
そう言った次の数秒間は、夜風が突然強く吹き抜けたかのようだった。
達規は保科の手を振り払うと、顔をくしゃくしゃに歪めて駆けてきた。僅か二メートル程の距離は一瞬にしてゼロになり、でも、それはスローモーションのように見えた。
伸ばされた達規の手が、じっとりと汗ばんだ俺の手を掴む。外気に曝されて冷えるのを感じる間もなく、勢いのままに引きずられて、俺たちはその場から走り出した。
つい数分前にチャリで抜けてきたロータリーを脇目も振らず突っ切る。
保科は追っては来なかった。その場に立ち尽くして、目で追うことすらしなかった。
達規に手を引かれる形で、閑静な住宅街を走り抜ける。路地をいくつか過ぎて。
驚くほど人影がなかった。祭りの日にも同じように走ったのを思い出す。
あのときは女子たちから逃げて、二人きりになって。そうだ、かき氷屋を探し歩いて、それから花火を見たのだ。達規は白いTシャツを着ていた。そんなどうでもいいことばかり浮かぶ。
ほんの四ヶ月前のことなのに、あれからずいぶん遠くまで来たような気がする。
「達規」
立ち止まる気配がないので名前を呼んだ。
「おい、どこまで行くんだよ」
するとようやく達規は足を止めた。歩道のない細い十字路の真ん中。小さな街灯がひとつ、心許なくその場を照らしている。
ともだちにシェアしよう!