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#14-6

達規はしばらくの間、こっちに背を向けたまま、息を弾ませていた。俺の手だけはしっかりと握って。 上下する肩はどこか強張り、少し俯いている。 お互いに呼吸が整ってきたのを見計らって、その手を引いてみる。抵抗なく振り向いた達規の顔を見て、 「え」 ぎょっとした。 達規の目には分厚い涙の膜が張っていて、今にも大粒の雫となって零れ落ちそうだった。というよりも、一頻り零れたあとだったらしい。よく見れば頬にいくつか伝い落ちた跡が残っている。 「なに、どうした、なんで泣いてんだよ」 俺、なんか嫌なこと言ったか。それともそんなに怖かったのか。もっと早く連れて逃げてやればよかったか。あ、あいつに掴まれた腕、痛かったのか? 俺が完全に動揺して、おろおろとそんなことを口走っている間、達規は潤んだ目でじっと俺を見ていた。 唇だけは何か言いたげに開いていたが、言葉が発せられることはなく、やがて閉じられる。 とりあえずジャージの袖口で頬を拭ってやり、恐る恐る手を握り返すと、縋るように指を絡められた。いわゆる恋人繋ぎ状態になって、脳内がさらに混乱状態に陥る。 走った直後だというのに、達規の手は冷たかった。俺の手から少しずつ体温が移っていくのがわかる。 茶色い前髪を指で払ってやると、一重瞼が大きく瞬いた。 街灯の淡い光をうつして輝いている達規の瞳は、磨きあげたガラス玉に夜を透かしたようで、吸い込まれそうだ。目が離せなくなる。 薄い唇が微かに震えて、空気を揺らした。 「水島、ちゅーして」 小さく紡がれた言葉に、一拍遅れて心臓が跳ねる。 「……ここで?」 思わず聞いてしまった。人気がないとはいえ、外で、しかも住宅地のど真ん中だ。誰に見られてもおかしくない、こんなとこで。マジか。だが達規は表情を変えずに頷いて「はやく」と追い討ちをかけてきた。 見上げてくる潤んだ瞳と、きゅっと結ばれた唇。絡んだ指に力が込められる。 それでも尚、躊躇していると、キツネの目が不満げに少しだけ細くなった。 「俺と、するんじゃねーのかよ、……れんあい」 尻窄みに言われて、なんというか、胸の奥に風船を突っ込んで思い切り膨らまされたような、たまらない気持ちになって。 どうにでもなれ、みたいな気にもなって。 俺のよりもひとまわり華奢な手を握り直す。 急いで周囲を見回して、人影がないのを確認すると、達規に向き直り密かに唾を飲んだ。 達規はずっと俺の目を見つめていて、隣に座るだけで照れまくっていたのは何だったのかと言いたくなる。居心地が悪いが、嫌ではなかった。 背を屈めて身長差を埋める。無意識のうちに呼吸を止めてしまう。 そうっと顔を近づけ、傾けたところで達規が目を閉じた。 なだらかな丘陵を描く、白い瞼がとてもきれいに見えて。 触れた唇は柔らかかった。 誂えたかのようにぴったりと重なった。 鼓動の音も寒さも消えて、全部の感覚が達規の存在に集中する。 数秒間合わせるだけのキス、たったそれだけで、達規をすごく近くに感じた。ゼロ距離どころか、文字通り、座標ごと重なったみたいに。 繋がっていたところが解けると、数センチ空いた隙間にひんやりとした夜が通る。 ほとんど同時に目を開けた。達規の煌めいた瞳を見返すのがやけに気恥ずかしくて、頬が引き攣った。 「……水島」 「ん?」 「水島ぁ」 「なんだよ」 達規がふふ、と息を漏らす。 満ち足りたように笑ってくれる。 それを見て、今度はなんでか俺が泣きたくなる。 握り合った手はいつの間にか同じ温度で溶けていた。

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