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腰を抜かしかけた悠斗は後ずさり、壁に背を預けたまま唖然として保科を見た。 過去に受けた様々な仕打ちがフラッシュバックする。殴られたのは一度だけだが、それ以外のあらゆるやり方で痛みも恐怖も与えられてきたのだ。 忘れたつもりだったが、簡単に消えるものではなかった。 ドアが閉まる、がちゃんという音が無慈悲に響く。薄暗い玄関の壁際にゆっくりと詰め寄られる。悠斗は動こうとしない身体を小さく震わせていた。 強張った顔へ、嘲笑うかのように保科の手が伸びて、 「嘘だよ。何もしないから。はい」 大きな手が悠斗の茶色い髪を梳く。 心底愉しげな笑い声と共に、保科は悠斗へ箱を差し出した。 「みっつ入ってるけど、ぜんぶ悠斗が食べてね。あの子にあげたりしちゃダメだからね」 二十センチ近く高い位置にある保科の顔を、悠斗は茫然と見上げた。 ほとんど反射反応的に両手を出して箱を受け取る。目の前の男が何を考えているのかさっぱりわからなかった。 「……なんでみっつも……」 「いちごとチョコとモンブラン」 好きでしょ、と事も無げに言って、保科は悠斗の髪をくしゃくしゃにした。両手が塞がった悠斗には防ぎようがなく、顔を顰めて背けることで気持ちばかりの拒絶をする。 「ねえ、あとラインのブロック外してよ。寂しいから」 「……嫌に決まってない?」 「変なの送ったりしないって。悠斗があの子と一緒にいるタイミング見計らって浮気疑われるような紛らわしいの送ったりしないって」 「ぜってー外さねー」 「もうヤッた?」 「マジ帰って!」 受け取ったばかりの箱を床に置き、悠斗は保科の身体を押し返した。さしたる抵抗もなく、保科は押されるままにあっさり退く。 「ヤッたかどうかだけ教えてよ」 「黙秘ッ」 ドアの外へと保科を押し出し、歯を剥き出して威嚇する。今度は躊躇なくドアノブを引いた。 「悠斗」 間際、名前を呼ばれる。 「誕生日おめでと」 そう言って微笑んだ姿を置き去りに、外側から軽く押され、ドアが閉まった。 保科の言葉通り、箱の中には三種類のケーキがひとつずつ鎮座していた。そのうちのひとつを乗せた皿を前に、悠斗は腕組みをして一人唸っていた。 雪原のような生クリームに、つやつや輝く真っ赤な苺。魅力的なビジュアルではあるが、口にするのが怖くて踏ん切りがつかずにいる。 しかし悠斗は知っていた。 保科和明という人間が何よりも嫌いなもの、それは食べ物を粗末にする行為だ。 女子に押しつけられたバレンタインのチョコレートを捨てようとしてしこたま説教されたことがある。悠斗が中学二年のときだ。 「だって手作りなんか怖ぇじゃん、何入ってるかわからんし、そんなに言うなら保科さんが食べてよ」と言ったら「万が一、毒でも入ってたら俺が救急車呼んであげるよ。それ以外は何か入ってたところで死にはしない」と返された。 「じゃあ保科さんは貰ったもん全部食ってるんかよ、毎年死ぬほど貰ってんじゃん、潔癖のくせに知らない女の手作り食えるんかよ」 「手作りっぽいのは受け取らない。今回は受け取った悠斗が悪い。黙って食べな」 結局その場で完食するまで許してもらえず、食べたあとは「不要なものを受け取らないための保科流護身術(両手を後ろに回す、上部の開いた鞄を持たない、等)」を教わった。チョコは美味かった。 そんな保科のことだ、ケーキに何かを仕込むとか、そういう類のことはしないだろう。 悠斗は腹を括り、意を決して生クリームにプラスチックのスプーンを差し込んだ。 結果として、ケーキは勿論、箱や一緒に入っていた紙ナプキンにも、変わったところはひとつもなかった。 拍子抜けした気持ちで箱の中を見遣る。 チョコレートケーキとモンブランがすんと澄まして並んでいるが、それらに何かが仕込まれているとも考えにくい。 ずっと音信不通状態の保科が、わざわざ自分を祝うためだけにケーキを買ったり届けに来たりするとは思い難かった。そのこと自体が嫌がらせと思えば納得できなくはないが、どうにも釈然としない。 悠斗は首を捻りつつ、残ったふたつを箱ごと冷蔵庫へと仕舞った。両親に勝手に食われないよう、上段の隅のほうへ。ケーキには何の罪もない。

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