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第5話

(……やってしまった………) -目が覚めた時、そこに夏樹の姿はなかった。 ただ、部屋の中に残る甘い香りが、先程の情事が夢じゃないと教えてくれる。 (………Ωの残り香……?) ぼんやりとそう考えた時。 僕はベッドから慌てて飛び起きると、脱ぎ散らかした服を拾い集め急いで着替え、閉まっていた窓を開け放つ。 -昔ならいざ知らず、今は国の認可なしに、Ωの許可なく発情中のΩを“番”にする又は襲うと処罰の対象になる。 何故なら女性の晩婚化、少子化(特に女の子の出生率が極端に少なくなった)が進んだ今、Ωは子孫を残す大事な種族だから。 だから、Ωは国により、管理されている。 そしてΩはαとの間に子供を産まなければならない。 何故ならαとΩとの間に産まれてくる子供はαである確率が高いから。 優秀な子供を産む為に。 昔とは違ってΩの地位は格段に向上したといっているが、実情はあまり変わっていない。 昔は繁殖する為だけの存在だったが、今は優秀な子孫を残す為だけの存在。 だから、βとΩは結ばれる事はない。 βとΩの間に産まれる子供はβだから。 だから、βとΩが出会う事がないように国がΩを管理する。 僕と夏樹の事がバレたら、処罰される。 僕はもちろん……夏樹も。 何故、Ωである夏樹がαと偽っていたのか分からないけど、Ωなら発情期の時期は抑制剤を飲まなければならないはずだし、それ以前にΩなら“番”避けの首輪をしなければならない。 それを破ると、罰則される。 (…それは避けたい) 窓を開けた途端、冷たい風が火照っていた僕の頬を冷まし部屋の中の香りも消してしまう。 部屋の中の香りが薄れた事に安堵の吐息を吐いていると、ノックの音もないままにいきなり部屋の戸が開く。 「…兄貴……っ」 「…人の部屋に入る時はノックしろっていつも言っているだろ」 間に合った事に安堵しつつ、それを表情には出さないように気をつけながら振り返る。 そこには訝しげな顔をして、ドアノブを掴んだまま突っ立っている弟がいた。 僕より背が高く、イケメンな弟-真哉は部屋の中を見回し犬のように鼻をクンクンと動かしている。 (何か感付いたか………?) 相変わらず感のいいヤツ………そう思いながらも声が上擦らないように、平静を装い口を開く。 「……何、どうかした?」 「………何か、甘い香りがする」 ギクッ!! 「…あ、外からじゃないか……?」 (…無理があるか……?) 内心、冷や汗をかきながら、さり気なく外を眺めて呟く。 「違う。外からじゃない…部屋の中………」 ギク、ギクッ!! 真哉の切れ長の眼が、僕を探るように見詰めてくる。 真哉に見詰められて、僕はぎこちなく眼を逸らす。 「……あ、そしたら、香水……かな…?さっき、香水の瓶、落としちゃって………」 (…わざとらしかったか……?) 真哉は鼻を動かし、顎に手を当てて何事か考えている。 「……そ、それより、何か用事じゃなかったのか?」 慌てて話題を変えた。 「…あ!そうだ、兄貴も母さんに何とか言ってくれよ。早く“番”を選べって煩くて。さっきも騙されてあの施設に連れて行かれてさ、写真を見せられて…俺、まだ中学生だぜ、“番”を決めるなんて早いよ」 僕に母親への文句を話している内に、騙された時の怒りがぶり返してきたのか。 脹れっ面をして唇を尖らせ、母親に対する抗議を機関銃のように僕に訴える。 そうしていると昔、僕の後をついて回っていた頃の幼かった真哉を懐かしく思い出してしまう。 最近は僕よりも背が伸びて、男らしく大人びてきて…僕を追い抜いて、僕の知らない真哉になってしまったみたいで…やっぱりαなんだなと思い、寂しく思っていただけに、こうやって昔の…僕の知っている真哉を見るとホッとする。 -両親は父親も母親もβ。 β同時の間から産まれる子供はβ。 それが通説。 真哉が産まれた当時、僕は2歳だったので憶えてないけど、親戚一同は大騒ぎだったらしい。 最初は検査の間違いじゃないかと、何度も調べ直し。 次に浮気か…もしかして取り違えかもしれないとDNAを調べ。 最後に。 稀に…本当に珍しい事らしいけど、β同士でもαやΩが産まれる事もあると教えられ、やっと納得。 それが分かると、今度は一族(というほど立派なものでもないけど)始まって以来のαの誕生に親戚一同、大喜び。 ただし。 祖父を除いて。 Ωと違いαは国の保護対象にはならないから、各家庭で育てる。 とはいえ、僕の家は普通の平凡なβ家庭。 αが産まれる家は、上流階級が一般的だ。 両親はαである真哉にαとして肩身の狭い思いをしないように精一杯の事をしていたが、それには限界があり、他のα家庭と比べると格差があるのは否めない。 あれほど喜んでいた親戚も口は出してくるが、金は出さない。 そのくせ真哉が将来αとして成功したら、うま味にありつこうと思っている事が丸わかり。 それなのに性格がひねくれる事もなく他のαよりも、素直に、優しく、格好よく、真っ直ぐに育ってくれていると思う。 誰に紹介しても恥ずかしくない、自慢の弟だ。 それなのに祖父は、未だに真哉に会おうとしない。 いくらαが嫌いだとはいえ、あんまりだ。 真哉は祖父の恋人であるΩを奪って捨てたαとは違うし…第一実の孫なのに。 両親達も真哉に対する祖父の態度を改めさせようと色々手を尽くしたらしいが、上手くいかなかったみたいで、今では諦めている。 でも、僕は諦めない。 僕は真哉はもちろん、祖父の事も好きだから。 だから、何とかして祖父の恋人だったΩの事を知りたいけど………。 「………兄貴?」 真哉の訝しげな声で、我に返る。 「……あ、何?」 「…何?じゃないよ、聞いてなかったの?」 「聞いてた、聞いてた…許してやれよ、母さん達も心配なんだろ…ほら、人気のΩは早い内から“番”相手のαが決まるらしいから」 「でもさー、抵抗あるんだよね、写真と釣り書きを見てこれと思うΩと見合い。そしてαが気に入ったら“番”になるんだろ?…Ωの意志は関係なく」 -やっぱり、真哉はいい男に育っている。 (普通のαは、Ωの気持ちなんか気にしないのに) 「…ん~…Ωの気持ち関係なく…でもないんじゃないか。いちよう“番”になるか、ならないかは最終的にΩが決めるんだし…」 「でも、“番”になる事は拒否できても、自分を選んだαの事までは拒否できないんだぞ」 「じゃ、“番”は選ばないのか…それとも…もしかして好きな人がいるのか?」 真哉も中学3年生だし、そういう相手がいたとしても不思議じゃない。 「…い、いないよ!!」 否定する真哉の顔は、ゆで蛸みたいに真っ赤だ。 (…これはいるな…好きな人…) 「…ち、違うよ、もしも今、焦って“番”を作ったとして、本当の『運命の番』と出会ってしまったら、どうすんだって思って…」 僕の沈黙をどうとったのか、真哉は顔を耳まで赤くして否定する。 (………『運命の番』………) 『…『運命の番』、信じているんだ?』 『……あ、馬鹿にしているだろ』 僕の言葉に切れ長の眼でじっとりと軽く睨まれ、慌てて否定する。 「いや、してない、してない」 「嘘だ……絶対、馬鹿にした」 両方の頬をぷくーっと膨らまして…αとは思えない脹れっ面だ。 兄である僕だけに見せる弟の顔と思えば可愛いが……………。 (他人には見せられないな) 「…してないって…ただ、ロマンチストだなと思っただけだって」 真哉に近付き、膨れている頬を指でつつく。 「…でも、皆、信じている人って、けっこういるんだぜ………願望かもしれないけどさ………」 (知っている、僕の周りにもけっこういるし…夏樹も真剣に信じていたみたいだから……その相手がβである僕っていうのが笑えるけど………) 夏樹を思い出して、クスリと笑う。 「………あ、今、笑ったでしょ」 「笑ってないよ…っていうか、真哉の事を笑ったんじゃないから」 「………怪しい……でも、本当に都市伝説なのかな…『運命の番』って………」 -真哉が呟いた最後のひと言が、何故か僕の耳に残って消えなかった。

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