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第7話 節分祭と色欲の鬼④
それから数時間後――。
俺は事務所のソファに座る志童の手に、じっと顔を寄せていた。
あのあと警察が駆けつけて男は逮捕され、俺たちも事情を聞かれた。
バイト中に持ち場を離れたことは、事情も事情だからということで注意だけで済んだけれど……。
やっぱり、志童に怪我をさせたことは重かった。
俺は人に怪我をさせたくなくてあの男を追いかけたが、その実、功を焦っていたのかもしれない。
包帯の巻かれた手を握ったまま動けずにいると、志童が励ますように言ってきた。
「もう元気出してよー。よかったじゃん、一般の人が怪我せずに済んだんだからさ」
「何言ってる、お前が怪我したんだから同じだ……」
同じどころか、大切な相手だからこそ俺はつらい。
志童の指は骨にこそ異常はなかったものの、数日は病院通いと不自由な生活が続きそうだ。
「てーんしん!」
志童が額をすりつけてくる。
「俺としてはそんな顔するより、褒めてほしんだけど。だってほら、俺カッコよく登場して天心のこと守ったんだから」
「カッコよく? よく言うよ」
あの時の志童はカッコいいどころか、泣きそうな顔をしていた。
それを思い出すと、ちょっとだけ俺は笑いたくなってしまった。
「……あ、笑った」
口角を緩める俺を見て、志童が嬉しそうに笑う。
それから唇の先にキスをした。
「あ、お前どさくさに紛れて……!」
「好きだよ天心。天心のためならなんでもする」
「それがこの指かよ」
俺なんかのために両手とも怪我してるんだから、本当にこいつはバカだと思う。
「今夜からどうやってメシ食うつもりなんだ」
「それは天心に食べさせてもらう」
「風呂とか着替えは? あと歯磨きとか」
「それもお願いします」
「めちゃくちゃ世話が焼けるじゃねーか」
文句を言いながらも、俺は当然の責任としてこいつの面倒を見るつもりでいた。
「まあ、お医者さんも1週間くらいの辛抱だって言ってたしね。それまでお願いします」
「そうだったな」
1週間で完治とまではいかないが、生活には支障がなくなるだろうと医者は言っていた。
病院で聞いた話を頭の中で反芻していると、志童がまた甘えた声でささやく。
「あああと、毎日ちゅーしてください」
「それ、手は関係ないだろ」
「いーじゃん、おまけ的な」
そう言われると、怪我させた負い目もあって俺は拒否できそうになかった。
志童はちゃんとそれを分かっていて、また唇を押しつけてくる。
「……っ、おい!」
包帯を巻いた手が首の後ろに回ってきて、俺は慌てた。
さすがにその手は払いのけられない。
今度は深く唇が合わさった。
甘く、優しく吸われると、胸の奥が疼く。
「……お前、まさかこのために怪我したんじゃないだろうな」
顔が火照るのを感じながら、俺は志童を睨んでみせた。
「だったらどうする?」
「えっ……」
「さっきも言ったけど、俺、天心のためならなんでもするよ? 指くらい切り落としても構わなかった」
いつもの冗談めかした空気をまとっているけれど、志童が本気な気がして俺は少し怖くなる。
俺にとってもこいつは大切なやつなんだ、無茶はしないでほしい。
そんな胸のうちは打ち明けられず、しばらくの沈黙。
それからまた志童が口を開いた。
「天心、えっちしよう?」
「なんで……今の話の流れでそうなるんだ」
言い返す声が震える。
「俺の手はこんなだから、上に乗ってください」
「だから、なんで……」
志童の腕がぎこちなく腰に回ってきて、俺はソファの上でこいつのひざに乗せられた。
向かい合い、甘い吐息が触れ合う。
「だってこれ、めっちゃチャンスだなと思って」
ずるいだろ。こんなふうに甘えられたら、俺だってつい許してしまいたくなる。
(今夜くらい、いいのかな……)
俺は胸の昂ぶりを覚えながら、志童のくせのある髪に指を通した。
その瞬間。
(……えっ!?)
指先にピリリと電流が走り、何かが俺の中へ流れ込んでくるのを感じた。
「これっ……」
「どうしたの? 天心」
「マズい」
「マズいって何が?」
心配そうに俺を見る志童の瞳に、俺は思わず欲情した。
(そうだった、こいつのこと忘れてた……)
昼間見た色欲の鬼である。
いま志童の中に巣くっていて、甘い触れ合いの中、俺にも感染してしまっている。
「うわー、しくじった……!」
体全体が熱くなり、心許せる相手と触れ合いたいという欲望に満たされた。
「志童……!」
「……っ、なに!?」
志童の逞しい上半身をまさぐって、俺はTシャツのすそから手を入れる。
「あっ……」
固い腹筋としなやかに脈打つへそ周り、それからその下に集まっている熱。
それを手のひらに感じ、もっと深く堪能したいと思った。
志童は驚いた顔で、自分のひざにまたがる俺を見つめている。
「天心っ、あの……」
「なーに驚いてんだよ、したいんだろお前が」
羞恥心の糸がぷつりと切れた気がした。
「したい、です……はい……」
「よし、今すぐ脱がせてやる」
真っ赤な顔で頷く志童を見ていると、やけに楽しい気分になってきた。
(なんかふっ切れたな)
色欲の鬼のせいで、俺はどうしようもないことに目覚めてしまった気がする。
これはハマると怖いやつだ。
でも、なんだかんだで好き同士ならアリなのかもしれない。
え、本当にアリなのか? 俺あとで大変なことになるんじゃないのか!?
頭の隅で不安を覚えつつも、俺は志童のTシャツをはぎ取った。
それから自分も上を脱ぎ、素肌で触れ合いながらキスをする。
「……んっ、天心。天心がそんなに積極的だと、俺どうしていいか分かんなくなる……」
「イヤなのかよ?」
「まさか、大好きだよ!」
翌朝、俺は節分の大切さを、自らの体で思い知ることになるんだが……。
この夜に限ってはそう悪いものではなかったと、恥ずかしながら付け加えておく。
<節分祭と色欲の鬼 終わり>
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