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第8話 桜とキス

「じゃあさ、今度の日曜はお花見に行こうよ!」 電話でそう誘った時、天心は気乗りしない声で「え~っ」と返してきた。 「わざわざ人が多いところに、それも男2人で行って? 俺にはそれの何が楽しんだかわかんねえ」 「行けば絶対に楽しいよ! 桜きれいだし」 「どこ?」 「この前通ったお堀沿いの桜並木。桜の名所だって言ってたじゃん」 俺、佐脇志童は、少し前に車窓から見た桜並木を思い浮かべる。 あの時はまだ花の蕾も見当たらなかったが、今朝のローカルニュースでは週末が見頃だと言っていた。 電話の向こうから天心の、また気だるげな声が聞こえてくる。 「古い桜の木とか絶対何かいるんだよ。この前通った時も、車の中からなのにビシバシ感じた」 「妖怪とか幽霊とか? いたらやっつければいいじゃん、天心が」 「なんで俺が退治しなきゃなんねーんだよ! どこからも除霊代は出ないのに」 それからも天心はブーブー言い続けたけれど、俺は絶対行くと言って聞かなかった。 だって桜の季節は年に1度きり。それも1、2週間だけだ。 好きな相手と見られる機会を、逃すのはもったいない。 * そして日曜。 約束の場所に行くと、あれだけブーブー言っていた天心はちゃんと来ていた。 桜並木から少し離れたバス亭のベンチで、腕組みして項垂れている。 相変わらずの細いシルエット。 明るい栗色に染めた髪が、桜を散らす春風に吹かれていた。 「天心?」 近づいていくと、彼が居眠りしていることがわかる。 白く繊細な頬に、長いまつげの影がくっきりと落ちていた。 「ちょっともー! こんな場所で寝てたら危ないよ」 そばにひざを突いて言うと、天心はようやくまぶたを持ち上げる。 「こんな美人さんが眠りこけてたら、よからぬことを考える人もいるから。この辺、酔っ払いも多そうだし……」 道を挟んだ向こうの広場には、まだ昼過ぎだけれど酒盛りをしている人たちが大勢いた。 花見シーズンならではの光景だ。 「酔っ払いなんか返り討ちにしてやるよ」 天心はブーツのかかとを地面に叩きつけ、ベンチから立ち上がる。 明るい色の髪が、太陽を反射して大きく揺れた。 「返り討ち、ねえ……」 威勢のいいことを言っているけれど、天心には案外隙があって。 時々妖怪や、妖怪に憑かれた人間との戦いで、ピンチに陥っていることがある。 隙があるっていうより、自らの危険を省みないっていう方が正確かな。 だから俺は心配で、何かあれば天心について回っている。 そういう俺の気持ちを、この人はあんまり分かってくれていない。 「ふあ~、眠い!」 天心は細い腕を天に突き出し、気だるそうに伸びをした。 「で、どうする、この辺ブラブラ散歩でもするか?」 「あのね、俺お弁当作ってきたから! どっか座れるところ探そう」 持ってきたお弁当を掲げてみせると、眠そうだった天心の目がぱっと見開かれる。 「マジで、志童が?」 「うん、がんばった! 玉子焼きに、唐揚げに……えびフライは失敗したけど」 「志童って料理とかするのか」 「えっ、そこから!?」 ほめてもらおうと思ったのに、思っていたのと違う反応だった。 「高校の時も俺、天心にお弁当作ってあげたじゃん! 遊園地行った時」 「そうだっけか」 「覚えてないの!? ひどい」 「だって、何年前だよ」 「5年くらい前?」 桜並木を歩きつつ、指折り数えて考える。 「普通に忘れる」 「えー……」 「いや、今ちょっと思い出した」 「本当かなあ?」 少しひどいなとは思うけど、気まずそうにしている天心も可愛いから、許すことにした。 それから少し歩いたところで、大きな桜の木の下に、座るスペースを見つけられた。 「あそこにしよう!」 「お、いいな」 俺たちはそこにレジャーシートを広げる。 座って見上げると、青い空と、黒い桜の枝のコントラストがきれいだ。 「のどかだねえ。天気がよくて、桜がきれいで、時間はたっぷりある」 「それに弁当もある」 天心がそう言って、弁当の包みを目で示した。 「食べる?」 「食べさせたいんだろ?」 「うん、今度こそ胃袋つかませてもらうから!」 包みをほどき、唐揚げの入った重箱を天心に差し出す。 「この唐揚げは絶対美味しいと思う! 昨日からタレに漬け込んで下味つけたんだ」 これを食べて、天心の中での俺の評価が上がるといいけど。 そして今度こそ、お弁当のこと覚えておいてほしい。 願いを込めてお箸を差し出した。 けれども天心はそれを受け取る前に、指でつまんで唐揚げをかじる。 「……どう?」 「んー」 「んーじゃ分かんないよ」 口の中のものを呑み込んでから、彼は目を上げ俺の顔を見た。 「普通に美味い」 「やった!」 「もっとください」 そう言われて俺は有頂天になる。 「どうしよ? ちゅーしてくれたらあげよっかな~」 「黙って寄越せ」 重箱ごと奪い取った天心が、それを抱えて食べ始めた。 (なんていうか、思惑通りなんだけど!) 俺も当然、天心がちゅーしてくれるなんて思ってなくて。 たくさん食べてくれたらそれで本望だ。 自分の作った料理が、好きな相手の胃袋の中に消えていくというのは心が躍る。 「おにぎりもあるよ。あ、天心の分のお手ふきとお茶も置いとくね? やー、今日はいい日だな♪」 「つーかお前、はしゃぐから尻尾出てる。それで桜の花びら掃くなよ」 「え、無意識に……」 「だろうけどさ」 物心ついた時から犬神に憑かれている俺は、感情が高ぶると犬神の特徴が見た目に出てしまう。 とはいえそれは、霊感がある人にしか見えないらしいけど。 天心が隣に移動してきて、俺の尻尾をお尻で隠してくれた。 (……あ) レジャーシートの上でお尻の横が触れ合って、そのことに少しドキリとする。 横目で見ると天心は何も言わずに、ただもぐもぐと唐揚げを食べていた。 口は悪いけれど、こういうところは本当にやさしい。 胸の中が、ぽかぽかと温かくなった。 それから弁当を食べ終わると、天心は俺の肩によりかかりウトウトとし始める。 「あれ、天心まだ眠いの?」 そういえば、待ち合わせの時も居眠りしていた。 「寝てないんだ、肩貸せ」 「え、寝てない?」 本格的に寝るモードに入っている天心を肩越しに見、俺はあることに気づく。 「そういえば天心、この前電話で……!」 「そうだよ。ここが今日平和なのは、俺の旺盛なるボランティア精神のおかげだから」 天心は昨日の夜、ここに妖怪か、霊か何かを鎮めに来ていたに違いない。 そういうのが出るのは大抵夜だから、手こずると徹夜になる。 「わざわざ来て、除霊してたの!? 今日のお花見のために」 「だってお前が行くって聞かなかったし」 目を閉じたままの天心が、ため息交じりに言った。 「でもさ、なんでそこまで……」 「なんでって、分かるだろ」 「俺とのお花見デートを邪魔されたくなかったとか、そういう?」 肩越しの人は、目を閉じたまま答えない。 肯定も否定もしない時は肯定なんだ。俺には分かってる。 「あーもう! 好き!」 こっちに寄りかかっている天心の両肩をつかみ、ひざの上に押し倒した。 仰向けになった彼は、俺の顔を見てパチパチとまばたきをする。 「好きだよ、天心……」 「知ってる」 「ねえ、やっぱりキスしようよ」 ささやくように言うと、彼の唇の端に困ったような笑みが浮かんだ。 「いいから寝させろ」 「寝たらキスするから」 そう言ってみると、天心は俺のひざの上でそのまま目を閉じてしまった。 (それはキスしてほしいって意味ですか?) 聞いてもどうせ否定するから、心の中だけでつぶやく。 それから俺は天心の頭をそっと抱え、覆い被さるようにしてキスをした。 やわらかな唇がかすかに震える。 それでまだ彼が、起きているってことが分かった。 抵抗はない。そのことに励まされ、もう少し深く唇を合わせる。 濡れた唇の内側に吸い付くと、同じようにして返された。 そのくせ天心は、咎めるように言ってくる。 「その辺にしとけ。人がいる」 「やだ、もっと」 この厳かなキスを、見ている人がいるのかどうかは分からない。 けど、そんなことはどうだっていい。 今日は天気がよくて、桜がきれいで……。 恋人の唇が愛おしくて、離れられない。 桜よりずっと桜色の唇に、俺は何度も、ひそやかなキスを施した――。

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