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第4話
◇
帰ってきた瞬間に飛び付いた。甘みの強い酒の匂いがした。
「よせ…」
弱い力でフォランを突き離す。溜息を吐いて寝室に向かってしまう。シャワーを浴びられるような状況ではなかった。深く思い詰めた様子で、強姦魔が自宅にいることなど忘れている。酒の匂いが軌道を引きながら、ベッドで留まる。
「飯は?」
「要らない」
寝室に自身を追ってきたのが強姦魔であることに何の頓着も示さない。むしろ慣れてしまった同居人といったふうな態度でさえあった。仰向けになり、すぐ傍に狩人がいることよりもずっと深刻なことを考えているらしかった。
「ねぇ」
覆い被さり視界を塞ぐ。暴れるでもなく、顰めっ面がさらに険しくなった。
「酔っ払いを犯して、楽しいのか」
「酔っ払いの自覚はある?気を付けろよ。アンタの為じゃなくて、あのかわいい妹のために言ってんだけど」
酒を飲むと真っ白くなってしまうらしかった。頬を撫でる。背をずらしてベルフレイシェは逃げた。
「シャーリィ……すまない…」
フォランを前にしてひとり何か懺悔や反省の世界に入り込んでしまっている獲物の身体に触れた。
「やめろ…愚か者め……」
「強姦魔に何を言ってるんだか。このままレイプするけど、いいよな?」
敢えて物騒な言葉を使ってみたが、事実そうだった。しかしベルフレイシェは蔑んだ目を向けただけで何も言わない。乾いた唇は動かない。ジャケットの釦を外し、さらにウエストコートの釦も全て外した。ネクタイに手を掛けても何の反応もない。目の前にいるのはフォランであるはずだが、フォランではないものを焦点の合わない瞳で見ていた。躊躇しながら目元が眇められ、長い睫毛が伏せる。冷たく静かな美しさに何をしようとしていたかを忘れた。ネクタイの手触りを確かめることしかしていなかった。頭を振って、ネクタイを解き、ホワイトシャツをスラックスから引き抜くと釦も外していく。現れた黒のタンクトップ越しに脇腹をなぞった。肋骨の感触で遊んでからタンクトップを捲る。
「ぅ、ん…」
両手の親指で薄い色をした粘膜を捕らえる。押し込み、擦り付けた。親指の腹に当たる小さな肉粒の感覚に面白くなって長いこと胸の突起を虐める。人差し指の腹と磨り潰すと、ベルフレイシェは身を捩った。
「ぁっ…ァ、ッん、」
指を噛む。その手を歯から放させる。指が抜かれてしまうと唇を噛んだ。乾燥し、ひび割れた粘膜は白く薄く引っ張られる。
「口寂しい?もっと太くて固いのあるんだけど、そっちはどう?」
すでにベルフレイシェの中に入ることを待ち焦がれた屹立を布越しに撫で、見せつける。空色の双眸に光が戻るとフォランを突き飛ばした。素肌を晒した格好で頭を抱える身を縮め、凍えているのか震えた。
「単純な人だな。別にいいよ、オレも無駄口叩かないようにするし。あのお兄さんはこんな卑しいこと言いそうにないもんな?」
「やめてくれ!やめてくれ…!違うんだ…っ」
「違う?何の話をしてるんだろうな、オレたちは?」
頭を押さえ、震える腕を掴む。やめる気は無かった。口にしたことを後悔していた。ショーケースを2人で眺める姿に、身体が熱くなった。凍えて震えるのならこの熱を分けてやりたいほどだった。誰の何を覧にいったのか。まるで根本を覆しかねない空気感だった。
「やめろ…何も言うな……!」
膨れた肉粒に齧りつく。悲鳴が上がった。なめらかな皮膚に歯が当たり、粘膜を舌で舐め回し、腫れてもまだ小さい凝りを甘く噛む。抵抗される腕を力で捩伏せると、悦びに頭が痛くなった。
「じゃぁ黙らせろよ?この綺麗な唇でさ」
顔を近付けると、ふと抵抗が強くなる。
「や……っだ、ぁッ」
「あの男なら許したわけだ?妹の婚約者なら?」
「……俺とお前は…ッそういう関係じゃない………っ彼とも、だ…ッ」
顔を真っ赤にしてベルフレイシェは息を切らした。愕然と目を見開き、澄清の瞳には水の膜が張っている。
「自分で言って悲しくなっちゃった?そりゃそうだよな、可愛くて仕方ない妹の婚約者なんだもんな。最低な兄貴だよ、アンタはさ」
妹が聞いていたら膝蹴りは喰らうかも知れない。
「違うっ!」
「違うんだ?ふぅん。喋る時顔赤くして?威圧的なアンタのその魅力的な目がきょろきょろ泳ぐの、すげぇ可愛かったよ…すぐに分かった、あぁアンタあの男好きなんだなってさ。まっさかシャーリィの未来の旦那だなんてな?」
妹ではなく、兄の脚が腹に入ろうとしたが、その前に膝を掴んだ。
「あの男にはコクった?まぁあんなに露骨じゃ気付かれてるんじゃないか?諦めとけよ、虚しいだけだ……でも案外あの人、楽しんでたりしてな?」
「よ、せ……、黙れ!そんなんじゃない!」
「口では否定するんだな?あ、そろそろ時間じゃないの?」
時計を見遣る。フォランは突然黙り、晒された素肌をただひたすら撫で回す。スラックスのファスナーに手を掛けた。空色の目もまた時計を向いた。
「やめ…っ」
上体を起こし反抗するが片手で容易にベッドへ突き飛ばす。萎えたものを取り出す。まだ勃ち上がりもしていないが、形も色味もその質感も美しいと思った。
「今日は電話しない?」
「なんで……それ…っ」
噛み付いてむしゃぶりつきたくなるほどの妖しさに流され、薄いピンクの茎を舐めた。感じているのか寒いのか震えは止まらない。
「ぅ……っ」
裏側の筋を舐め上げた。少しずつだが固さを持っている。フォランの真横で布が振動した。機械的な音と共にスラックスのポケットが唸る。
「出ないの?」
首を持ち上げるベルフレイシェに、陰茎を口腔に収めながら歯を見せた。潤んだ目元が歪む。甲に傷を付けたままの手がスラックスのポケットに入っていく。
「ああ…出るのが遅くなって、すまない…」
息苦しそうにゆっくり話していた。眉根を寄せ、目元の潤みが増している。唇を噛み締める。
「いいや…寝てない。ああ、……うん、酔ってるだけだから…」
フォランは光る眦から目を逸らした。歯を立てないよう唇を窄め、舌を茎に絡める。経験はないが見たことはある。生まれ育った施設で、白衣の男女が空き部屋でやっていた。その後も、虚構の映像の中で。口の中の構造に大した男女の差は無いだろう。
「……っ、ああ、それなら良かった……うん、ああ。きっとシャーリィも喜ぶ、っさ…ぁ。酔ってるんだ、聞き取りづらかったら…すま、ない…」
舌の裏と表面で舐り、内膜で包む。括れの周りを舌先でなぞる。
「なぁ、俺は……シャーリィが大切な、…んだ。で、も…会、社も…っぁ、ぁンっ」
胸の辺りを彷徨う手を取り、半分ほど勃った自身の性器を握らせる。上からフォランも手を重ねた。派手な喘ぎ声を上げ、端末からは声が聞こえていたが、ベルフレイシェは暫く唇を噛んでいた。くちゅくちゅ、にちゅにちゅと音を立て、もう片方の手に握られた端末を引っ手繰 ってこの音を聞かせてやりたかった。あの儚げな、かすみ草に似た男はこの冷淡な美男子をどう思うだろう。あの穏やかで優しげな男はどうこの美男子を軽蔑する?賤む?貶す?興奮が手に乗った。この美男子は傷付くのか。ひとり泣くのか。妹の婚約者相手に肩身の狭い思いをするのか。誰よりも何よりも優しくしたくなった。同時に血塗れにするほど殴りつけてやりたくなった。
「君に、なら…っ任せられッ…は、ぁ……大丈夫だ、風邪じゃない……ぁ、ぁぅ、うん。ぁァ、ああ…」
フォランの手の動きに委ねていた手は先端部を強く握り込んで耐えていた。まるで食べ頃の果実然とした頂が苦しがりカルデラは蜜が玉になっていた。下肢が痙攣している。フォランの手に逆らい快感を止め痛みを選び、噛み締め歪む形の良い薄い唇から吐息が漏れる。その様を認めると寒気がした。胸から伝播していく得体の知れない熱に末端が冷え、身震いする。
「また、明日……違ったな…っぁ、明後日…ああ、妹と過ごすよっ…ぅん、ああ、養生すっン、うん、おや、す…み…ッ」
終わりを告げる挨拶をしたくせ、まだ端末は光を発し彼の艶やかな黒髪と小さな耳を照らしていた。訪れた静寂。まだ着信している。ベルフレイシェは大きく光を放つ目で天井ばかりを見つめていた。そして機械音に混じり、おやすみなさいませ、と一言が微かにフォランにも聞き取れた。長い睫毛が目瞬いて、おそらく2人が宝石店で眺めていたどれよりも触れられない、絶美な雫が落ちていく。それが手に入れたら壊れてしまうと知っている。自らの心臓部を抉り取りたくなる衝動に駆られてしまい、せめてこの肉体に触れていなければ、破裂しそうだった。
「満足か…?これで…っ」
「とっても。よっぽどのバカじゃなきゃ気付くでしょ。安心しなよ、自分の声聞いてオナニーに耽るやばい兄貴くらいにしか思ってないだろうし?強姦魔を前にしてるなんて思わないさ」
顔をくしゃくしゃにして泣いていた。ゆっくりと起き上がり、フォランを睨む。下瞼から雫を落とす姿に見惚れた。
「抱け……!好きにしろ……!好きに…っ」
言ってから瓦解する。顔を両手で覆い、慟哭する。嗚咽を漏らした。
「言われなくても。まだ自分の身体を自分のものとでも思ってたわけだ?おめでたいな」
細い肩を掴んで抱き寄せる。どうせまた突っ撥ねられると思っていたが、拳で胸を叩かれた。ひどく弱いものに思えて、強く抱き締める。胸に爪を立て、嗚咽していた。
シャールファシーの訪問のチャイムで目が覚める。リビングのソファは寝心地が良かった。シャールファシーを出迎えなければとは思ったが、鍵の解かれ音がしたが、フォランが勝手に嵌めたチェーンによってドアが開かないらしかった。慌ててドアに駆け寄ってチェーンを外す。兄の休みを把握しているのか会社に居る時と同じようなフリルだらけのスカートにリボンで下ろした髪を留めている。シャールファシーは上半身裸のフォランを渋い目で見た。
「お兄様はまだ寝てるよ」
昨夜は激しかったからね、と冗談を続けそうになったが慌てて飲み込んだ。結局ベルフレイシェを全裸に剥いた後は寝室に放置してしまった。
「たまの休日なのだから、仕方がありませんわ。貴方も無理矢理起こすことなどないように」
シャールファシーは内側から鍵を掛ける。
「本当に君の未来のダーリンはお兄様に電話掛けてくるんだな」
カウンターキッチンに向かう妹はくるりと振り向く。フリルスカートがふわりと咲いた。長閑な印象を受けたが、反対に彼女の表情は曇っている。なんだよ、と首を傾げた。
「その…気に病んでいるのならごめんあそばせ。兄様も貴方という人がいながら…誤解なさらないでくださいませな。そう浮ついた人ではありませんのよ!なんなら今すぐにでもやめさせますわ。あの男!これ以上兄様を苦しめるならあたくし、クサイメシヲクウことも視野に入れておりましてよ…」
「それは全く気にしてなかった。やめとけ、やめとけ。君がお兄様のためなら苦しめるようにお兄様もそうなんだよきっと。自分には何の鎖も巻かれてないだなんて思わないことだ」
腑に落ちないようではあったが、そうですわね、と聞き分けの良さを知っている。
「フォランお兄ちゃんはきっと立派な兄だったかな。兄さんもあたしにとっちゃ自慢の兄なんだケドさ…もっとそういうのじゃ、なくて」
「あ~、湿っぽい話じゃねぇけど、オレの妹、死んだんだわ。だからなんつーか、失って気付いたもんだから、現在進行形で君のいう立派な兄貴ってのはやってやれなかった」
この妹に暗い顔をさせたくなかった。努めて明るく話す。フォランの実妹とはあまり似ていない。
「その、なんて言ったら分からないケド…」
「フォランお兄ちゃんって呼び続けてくれたらいいや。人は妹を以って兄となるに在らず、だぞ」
「うん?うん…」
カウンターキッチンに入って食器を片付けるシャールファシーに満足する。家事を手伝いながら、途中で寝室に寄った。俯せで眠っている全裸の美男子の傍に寄る。寝相はいいが寝返りのたびに掛け布団が乱れ、肩から腰までが大きく露わになり、自然に起きるだろうと暗幕を開けていたレースカーテンに透ける日光を浴びていた。寝顔を見ていると、その場で跪いてしまいそうになる。手がその柔肌を求め、艶のある黒髪、節くれだった指、凛とした声、刺々しい言葉、顰めっ面を求めてしまう。無理矢理起こすなと釘を刺されているため、触ることも話しかけることもせず寝室を立ち去る。扉の真ん前に妹が立っていた。驚いたような顔をしている。
「お兄様、素っ裸だからね」
両頬を押さえた妹の背中を押してリビングへ引き返す。ごめん、とかそうだよね、を重ねている。
「気が利かなかった。あたし…その…兄さんとフォランお兄ちゃんがちゃんと落ち着くまで、あんまりここ、寄らないことに、する。ハウスキーパーさん来るけど……昼だから」
ベルフレイシェと落ち着くまでとはどういうことか。揶揄ってみたかったが、妹は気落ちしていた。
「シャーリィ?」
「いつかはね、ホントはもっと早くが望ましかったんだろうケドさ、いつかは、兄さんと離れなきゃいけないの、分かってるんだ。いい機会かもね。フォランお兄ちゃんが、フォランお兄ちゃんで良かった」
シャールファシーはカウンターキッチンに戻り、底の深いフライパンで何か煮ている。トマトの匂いがした。この部屋もあの声もこの声も居心地がいい。
「気にするなよ。お兄様も気にしてないって。もちろんオレも」
「…ありがと」
フライパンの蓋を取り、湯気がシャールファシーを曇らせる。
殺された妹がふいに重なった。背丈は同じくらいだった。
「他に何か手伝えることねぇの」
「じゃあお皿持って、座って待ってて」
食器棚から小皿を数枚重ね、フォランに手渡す。
――フォリー、先行って待ってて
「分かった」
カールした銀髪の毛先が鮮明に脳裏に浮かぶ。思い出すな!と命令されている。だが好奇心が落ちるところまで落ちろと記憶を再生していく。両手を繋いだ銀の腕輪の感触も覚えている。
「フォランお兄ちゃん?気分良くない?顔色悪いし…小皿はいいから座ってて。歩ける?」
「大丈夫。悪い。ソファ借りるわ」
いつの間にか目の前にいるシャールファシーに小皿を返す。
――作られた命に心なんて無かったんだ!良心の欠片もないクズ!ゴミクズ!
ソファに横になり目を瞑る。意識は保ったままだった。カウンターキッチンから聞こえる水がシンクを叩く音に落ち着いた。少し熱いくらいの感触に目が開く。額の上に暖かなタオルが乗せられている。
「悪ぃな」
「兄さんはさ、なんていうか、幸せの量みたいなのは決まってて、誰かが幸せだと誰かが不幸になるとか痛い目に遭うとか思ってるワケ」
カウンターキッチンに戻りながら妹は言った。
「そのくせ自分は何でもかんでも喜んで捨てるワケ。単純な人。そのルールでいったら今頃世の中の誰かの具合が良くなったかもね」
「君のお兄様だといいけどな」
誘導加熱調理器の一律した音楽が止む。同時に寝室の扉が開いた。
「兄様」
満面の笑みを浮かべ、シャールファシーは態度を一変させた。
「シャーリィ。すまないな。こんな時間まで寝てしまって…」
「たまの休みですもの。口煩く言いません!」
ゆとりのある服装で妹を見ると、肩に手を置いて笑い、浴室に消えて行く。フォランには見向きもしなかった。額に温かいタオルを置きソファに寝ていたが起き上がった。
「悪ぃけど、ちょっと出るわ」
唇を尖らせ首を傾げ、訝しみを隠さず向けられる。あまり余裕の無い頭で必死に言い訳を考える。
「じゃあフォランお兄ちゃんの分は保温庫に入れておくから」
だが聡い妹は何も問わなかった。そういうところまで違うのだ。長いエレベーターを降り、この辺りのマンション群一帯に広く伸びた立体遊歩道を歩く。乾燥した空気が鼻の奥に沁みた。強化ガラスの嵌め込まれた手摺には鳩が停まっている。一羽のカラスがやってきて、鳩を退ける。艶やかな若いカラスだった。テーブルロール1つを追ったつもりだった。逃げられない。立体遊歩道を降りる階段近くの植え込みにあるベンチに座った。鳩が足元に寄ってくる。目を固く閉じた。下を通る車道の騒音は大きいが、静寂だった。
――どうしてそんな風なの?どんな思いであなたを優れた人間にしてあげたと思ってる!
沈黙はいけない。鳩を一羽一羽眺める。青空を仰ぐ。下を走る車を目で追う。どこに行こうか。どこに行っても逃れられずに付いてくる。
――大体あなた、本当にわたしの子なの?
ベンチを発つ。行くあてはない。あの家しか、この地に目的は無い気さえした。よくも今まで頭から抜けていた。否、頭にはあったのだ。だがどうにかなる気でいた。街を歩く。この地に落ち着く。響きは良かった。妹とは上手くいっている。恋人とは。恋人。恋人などいただろうか。いるのは全裸を晒し肉を貪れる相手だけだ。獲物だ。餌だ。パラボレー平和記念公園に辿り着く。クジラのオブジェがあった。イルカのオブジェはパラボレー中央臨海公園で、サメのオブジェがパラボレー北海浜公園だとパンフレットには載っていた。内陸部にはオオワシのオブジェがあるパラボレーセントラルパークだの、アライグマのオブジェがあるパラボレー自然公園だの、ふれあい公園、慰霊公園などなどがあると記されていた。旅行に強い関心のある観光客はオブジェ全てを巡るらしかったがフォランはイルカのオブジェで十分だった。パラボレー平和記念公園にはよく肥えたネコが点在している。犬を連れた人も多かった。尾の長いサルを連れた人もいる。他州では「自由の街パラボレー」と謳われているが、ただ尾の長いサルがリードに繋がれているのを見ただけで初めて感じた。アコースティックギターの練習を聴いたり、踊っている人を眺めて時間を潰す。いつまで。分からない。ただ帰るところはない。あるにはある。だが。海を望めるベンチに腰掛け、潮風に吹かれ、潮騒を聞く。
――何が生まれた命よ!作り物のくせに!
青空が淡いピンクへ変わっていく。前を通りがかったビーグル犬に興味を抱かれた。鳩がエサを乞う。フォランはベンチに倒れ、空を見ていた。
帰るよ。振り返った。走り寄る小さな子供の手を握る男。弾き語りのアコースティックギターの音は消えていた。帰らなければ。だがどこへ。もしあの妹が心配していたら?しているだろうか。兄にしか興味が無いだろう。兄には招かれざる客なのだから。
――フォリー
銀のカールした毛先が肩で跳ねていた。青い海。晴れた空。海浜公園でハトたちが一斉に羽ばたく。麦藁帽子に、青空をそのまま着たようなロングワンピース。シャッターを切る音がした。その音が、あの娘を切り裂くように。
雷に撃たれたように気が変わった。座面に弾かれベンチから立ち上がる。2人の兄妹が住むマンションへ爪先を向け、足を前に出す。親子連れを追い越し、男女2人組を追い抜く。既に街灯が点いた歩道を走り抜け、夜の装いへ移行しているショッピングストリートを急ぐ。立体遊歩道への階段を駆け上がり、タイル張りのマラソンコースにもなっている長い高架を渡れば、高層のマンション群の中からさらに兄妹のいるマンションが、フロアが、ベランダが見えた。エレベーターに乗り込み、引き上げられる感覚に眩暈がした。開いている最中のドアの隙間に手を突っ込んで、抜け出ると、部屋のノブを捻った。焦燥に追われていた。鍵が掛けられていないため、容易に開いて、転びかけた。
「鍵は掛けておけ」
リビングから声がした。言われた通りに内側から鍵を掛ける。すぐさまリビングに行ってその声の主の顔が見たかった。
「ただいま」
「勘違いするな。ここはお前の家じゃない…」
シャールファシーはすでに帰っていた。だがベルフレイシェがソファに座っている。タブレット機器をいじっていたがガラステーブルの上に置いてしまった。何か話があるようで、ほんの一瞬空色の双眸と視線が合った。しかし顔ごと逸らされ、美しさ横顔を見る。互いに無言でいた。浅い息遣いから緊張が伝わる。
「ベルフィ」
「やめろ!そんな風に呼ぶな!」
求めていた声が破裂する。怒りに立ち上がり、きつく睨まれる。
「強姦魔だ、お前は…!ただの……強姦魔で、俺は……っ、さっさと済ませて、すぐさま帰れ…」
「いいのか」
近付けば後退る。
「お前の用は、ソレなんだろう…」
膝が震えている。
「そうだよ」
狼狽えている顔も溜息を吐くほど美しかった。吊り気味の目元が微かに動く。長い睫毛の奥に見える空色に首を締められる思いがした。
「卑劣な男だな!」
「妹の婚約者に横恋慕してる人に言われたくないな」
「分かっている……分かっているさ…魔憑きの断罪人め!罰しろ俺を…!」
足音を立てベルフレイシェを捕まえる。身が竦んでいた。足は逃げようとしていた。触れた瞬間から身体中が震えている。唇を奪おうとして、躱される。
「そんなんじゃ、ないだろ…」
強張っている顔を掴んで、はっきりと薄い唇を塞いだ。エレベーターに乗った時に似た、しかし不快な目眩とも違う浮遊感に襲われる。もっと深く。もっと強く。何故物理的に触れ合うことしか出来ないのだろう。不思議にさえ思い、惜しくなる。角度を変えて柔らかくも薄いなりの固さに酔う。退こうとする腰を強く抱き寄せる。ベルフレイシェの肘が強く胸を押した。一度離し、大きく表情を歪めた隙に、再び唇を奪う。無防備に開いた口腔に舌が入り込む。ちりっと舌先に痛みが走る。だが離さないかった。噛んだ本人の口腔におそらく舌先から流れる唾液とは違う体液を塗り込んだ。奥に引きこもる舌を無理矢理絡め、唇で甘く扱いた。上顎や舌の付け根も舐め回す。ベルフレイシェの両肩が上がり、上半身だけでも逃げようと必死になっている。
「っ…は、っぁ……ぅん…」
血液混じりの唾液が混ざり合う。2人の唇に長く留まり、冷たさを残して流れ落ちる。胸を押したり叩いたりしている拳が激しくなる。ベルフレイシェの腰を抱き寄せていた腕に力がかかった。そこでやっと唇を離す。舌先と舌先を糸が繋いだ。膝が崩れている身体をソファに預ける。背凭れに身を預け、大きく傾いていた。力が入らないらしかった。唇とその端が濡れて光る。フォランの口内には鉄錆の風味と独特の甘みが広がっていた。
「は…っぅん、」
「罰してあげる」
酸素不足とキスの余韻にまだ訳の分かっていない様子だった。淡々とベルフレイシェを抱き上げ寝室に連れて行く。ベッドにゆっくりと寝かせる。気遣いは虚しく、上体を起こした。
「ここで…か…」
「どうせアンタ、気絶するだろ」
「…っ、」
戸惑いを見せ、シーツを撫でた。
「リビングでそのまま犯したほうが強姦っぽい?でもごめんな、罰だから」
肩を掴んでベッドへ寝かせ直す。股座の布がわずかに膨らんでいたが、気付かないふりをして上半身を裸に剥いた。フォランも脱いだ。
「ベルフィ」
「その名で、呼ぶな……」
「恋人みたいだから?ベッドで。2人裸でさ」
「黙れ…!強姦魔の卑劣漢……!」
黙るよ。呟いて鼻の頭にキスした。そのまま、頬と首筋に口付ける。
「前からは、よせ…」
黙れと言われているため、返事代わりにキスした。だがそこには承諾も拒否もない。鎖骨から臍までを唇でゆっくり辿る。シーツを握り白くなっている手の甲に手を重ねる。
「な、んでだ……」
胸の突起に唾液をまぶす。舌先で転がした。左右を丹念に、噛まれた恨みを晴らすようでありながら、そこに何か大切な物が埋まっているかのように慎重にくすぐる。
「ぅ……っぁ、ぁ」
フォランの口唇が囀る。冷たく白い拳を上から重なる掌が温めた。疼く熱へと変わっていく。
「ぁ…ぅう…ンく、」
ベルフレイシェ自身が否定し、拒否していることを、ベルフレイシェ自身が叶えてしまっている。フォランは堪らず、唇を啄む。
「キ、ス…やめ……ろ…」
空いた手が口元を拭う。了承に額に唇を当てる。
「な…んと、か言え…!」
膨らみの増した脚の間を布の上から掌で包み、揉む。形を確かめ擦り、布を押して形を浮かばせる。
「…っァ、んン…フォラぁンん」
「はい?」
体温を分け合ってしまった拳が掌の下から脱け出ようとしていたがフォランはそれを許さなかった。
「あの後ヌいてないよな?」
手は止めず、布とその下の固い肉芯を揉み続ける。ふと浮かんだ疑問を口にした。目が覚めた直後。シャワールーム。妹が帰った後。昂ぶった性を治める時間はそれなりにあったはずだ。
「…そんなこと、答えられるわけ……っぅん、」
下着ごと履いているものを脱がせ、淫らに先端を張らせた雄を露わにした。あまり色事に関心がないのかベルフレイシェは直視を避けていた。
「禁欲主義者?それとも…」
あまり力任せに扱いたくなかった、白く美しい陰茎を扱く。直ぐにでも射精させたかった。
「あっ、そんなや、めッぅあ、ンんっ」
「魔憑きの断罪人に、正直に言えよ?どうして自分でヌかなかった?」
耳に息を吹きかける。どこもかしこも真っ赤に染まっていた。重ねている拳を広げるとされるがままになっている指に指を絡め、その手は互いに抱擁した。
「ほら、これは罰なんだからな」
「ぁっあ…ぅん、ぁ、っンぁあ、――で……っ破廉恥な妄想をッしてしまう、からぁあ、あああ、あっ…」
腰を揺らし、ベルフレイシェは果てた。少し濃い白濁が噴き上がり、締まった腹を汚した。
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