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バレンタインデー特別番外編「幸せな誤算」14

あの声には聞き覚えがある。 というか……あり過ぎる。 ……ちょ。何それ、どーゆーことだよ。 自分の後ろを歩いていたのは、さっき衝立の向こうから出てきた男のはずだ。 今回の招待企画のもう一組の当選者。 ……っておい。あいつらなのかよ! 「失礼ですが、ご婦人用はあちらですよ」 聞こえなかったと思ったのか、男が重ねて声を掛けてくる。祥悟はポケットから取り出したサングラスを掛けて俯いたまま 「あ。間違えました。ごめんなさい」 小さな声で答えて、そそくさとドアから離れようとした。 「ちょ。その……声」 背後の男がツカツカと近づいてきて、顔を覗き込まれる。祥悟は早々に諦めて、くいっと顔をあげた。 「お久しぶり、暁くん。元気にしてた?」 暁はギョッとした顔で間抜けに口を開けたまま、こちらを見ている。 「なにその反応。化け物でも出たみたいにさ。失礼なんじゃねーの?」 後ろ姿を見ながら、何となく妙な既視感に襲われていたのだ。 でも、まさか……と思っていた。 そんな偶然、あるはずがないと。 自分の前を歩く、細身だがちょっと女にしては長身な姿。まるで昔の映画から抜け出してきた女優のような、クラシカルモダンなスーツをビシッと着こなし、歩く姿も恐ろしく洗練されていて美しい。 一歩踏み出す毎に、身体にぴったりフィットしたスカートの下で、くりっくりっと動く小さくて魅惑的な尻。 暁は思わずそれに見とれながら、洗面所まで来た。 目の前の女性は、なんの戸惑いもなく、紳士用のトイレのドアを開けようとする。 ……いやいや。そっちじゃねーし。 なんとなく正体の分からない違和感を覚えながら、暁は咄嗟に声を掛けていた。 「あ。失礼。そこは男性用ですよ」 途端に、目の前の女はドアに手を当てたまま固まった。その反応にも何故か微妙な違和感がある。 少しの間、緊張した時間が流れた。 暁は首を傾げ、さっきより声を大きくして 「失礼ですが、ご婦人用はあちらですよ」 再び声を掛けた。女はハッとしたように動き出し 「あ。間違えました。ごめんなさい」 小さな声でそう言って、振り向かないままそそくさと婦人用の方へ歩き出す。 その声を聴いて、暁は反射的に女に歩み寄った。 違和感の正体が、まるで雷に打たれたように分かったのだ。頭で理解するより先に、足が動いていた。 「ちょ。その……声」 振り返った女は、顎をツンっと突き出してにっこりと笑った。 「お久しぶり、暁くん。元気にしてた?」 「……っっっ」 やっぱりか。 何処かで見たことがあると思ったのだ。 その後ろ姿を。歩き方や仕草を。 それなのに、そんな女には覚えがなかった。 だからもやもやしていたのだ。 当然だ。自分が覚えがあったのは女じゃない。 片眉と口の端をきゅーっとあげて、自分より背が低いくせに、まるで見下ろしているような高慢な笑みを浮かべる男。 「なにその反応。化け物でも出たみたいにさ。失礼なんじゃねーの?」 腕を組んで長い脚を前に出し、更に挑発的な態度をしてみせるこいつは…… 「おまっ、やっぱ、祥悟かっ」 「当たり。よくわかったね、暁くん。ふふふ。俺の声ってやっぱ忘れられないわけ?」

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