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バレンタインデー特別番外編「幸せな誤算」22

「あれ……?君は……早瀬くん?」 隣から声を掛けられ、秋音はハッっとした。 視線を向けると、不思議そうにこちらを見つめる真名瀬智也。自分と同じようにフロントで宿泊の手続きをしている。 ……うわ。もう降りてきたのか。 隣に祥悟の姿はない。こちら同様、連れはロビーで待っているというわけだ。 秋音はさりげなく雅紀が座っているソファーの方を見た。 ……っ? そこにちょこんと大人しく座っているはずの雅紀は、忽然と姿を消していた。 ……っ。しまった。 祥悟だ。彼が雅紀を連れて行ったに違いない。 「真名瀬さんっ」 「ああ。やっぱり早瀬くんか。偶然だね」 おっとりと微笑む智也に、秋音はツカツカと歩み寄り 「橘くんは…祥悟くんは何処です?一緒でしたよね?」 「え?……ああ、えっと、祥?祥なら向こうに」 フロントから何か言われて、智也はそちらに気を取られた。 やはり祥悟も一緒に降りてきて、そして見つけたのだ、雅紀のことを。ほんの少し目を離した隙に、祥悟に先を越されてしまった。 秋音は受け取った部屋のキーを握り締め、足早にエレベーターホールに向かった。 2台並ぶ箱の階数表示を見上げる。1台は上に向かっていた。 ……さっきの展望レストランか? 箱はその手前の階でいったん停った。2人があれに乗っている保証はないが、雅紀から目を離したのはほんのわずかな時間なのだ。可能性は高い。 秋音はポケットからスマホを取り出し、雅紀に電話を掛けようとした。 ……っ。暁?なんだ、邪魔をするな。今、雅紀に電話を。…………いや、それはたしかに俺の失態だが。…………いや、しかし。…………わかった。じゃあおまえに任せる。 自分の中の自分と話のケリがついて、秋音は渋々、目を閉じた。 ……ったく。だから言ったじゃねーか。祥悟を舐めたらダメなんだっつーの。あいつはロクなことしやがらねえんだよ。 秋音と入れ替わりに表に出ると、暁は握っていたスマホで雅紀に電話を掛ける。 「ねえ、早瀬くん、どうしたんだい?そんなに慌てて」 コールが2回3回と続く間に、智也が近づいてきた。暁はちらっとそちらを見て 「祥悟、いないですよね?真名瀬さん」 「え?……ああ、そうだね。この辺で待ってるって言っていたんだけど……」 コール7回目。 ダメだ。雅紀は出ない。 暁は舌打ちして、智也の方に身体ごと向いた。 「祥悟のやつ。雅紀を連れて行きやがった」 「え……ええ?」 「たぶんエレベーターに乗って上に行ったんだ。さっき停まった階には、たしか室内プールがある」 「ちょ、ちょっと早瀬くん。祥がどうして雅紀くんを?」 コールは10回を超えた。でも雅紀は出ない。 暁は舌打ちして電話を切ると、エレベーターのボタンを押した。すぐにボンっと低い音がして扉が開く。 乗り込もうとすると、肩を掴まれた。 「待ってくれ。一体どうしたんだい?祥が雅紀君を連れて?ちゃんと説明を、」 「説明は後だ、真名瀬さん。とりあえずあんたも来てくれ」 「どどどどこ、行くんですか?」 雅紀が吃りながら、か細い声をあげる。 「ふふ。どこにしようかな」 「や、俺、降りますっ」 近づいて行くと、雅紀は身を翻して扉側に逃げようとする。その細い身体を、祥悟は抱きつきながら元の壁に押しやった。 「こら。暴れないでよ。地震センサーで箱が停るよ?警備員来ちゃうよ?身体検査とかされちゃうかもよ?」 最後のひと言で、雅紀はピタっともがくのをやめた。

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