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SS『君の声』1

「ばーか。俺の名前は祥悟、な。気安く祥って呼ぶなっつーの」 祥悟が群がる女の子たちにそう言っているのを何度も耳にしていた。 「祥」という呼び名を、祥悟が許しているのは、姉の里沙と自分だけ。 ……そう……思っていたのに……。 ※※※※※※※ 「久しぶりだね、祥」 デザートが人気のカフェで祥悟とお茶をしていたら、トレーを片手に脇の通路を歩いていた男が、立ち止まってそう言った。 期間限定の苺のパフェをつついていた祥悟が、ひょいっと顔をあげてそちらを見る。 「へえ、偶然…。あんたまだ生きてたのかよ?」 「はは。随分なご挨拶だね、祥。元気そうで何よりだ」 男は楽しそうに笑って、トレーを隣のテーブルに置くと、祥悟の方を向いて椅子に腰をおろした。 智也はノートパソコンからちらっと目だけあげて、祥悟とその男の様子を窺った。 男の顔に見覚えはある。 祥悟があるブランドの仕事をしていた頃の仕事仲間。たしか子役あがりの声優で、最近は役者としてもそこそこ人気がある。 智也自身は直接会ったことはなかったが……。 ちらっとこちらを見た男と目が合った。男は「ちょっといいかな?」とでもいうように、眉をあげて柔らかく微笑んでくる。 智也は無言で頷くと、またノートパソコンに向かった。 テーブルは別だが、男は完全に祥悟の方に身体を向け、長い脚を組んでコーヒーを啜りながら、祥悟に気安く話しかけていた。 祥悟はパフェをつつきながら、素っ気ない態度で男の質問に答えているが、相手をするのは嫌ではなさそうだ。 智也は締切が近い原稿の直しをしながら、内心かなり苛々していた。 昔の仕事仲間と偶然、街中で出会うことはよくある。特に祥悟は一時期かなりの売れっ子で、モデルだけでなくタレント活動もしていたから、交友関係は広い。 ただ、自分と一緒にいる時は、昔の知り合いに合っても、社交辞令的な挨拶を交わす程度だった。それなのに、この無遠慮な男とは、満更でもない様子で応対をしている。 ……どんな付き合いだったんだろう。 祥悟がこの男と仕事をしていた頃、自分は祥悟とは疎遠になっていた。 自分が祥悟を好きになり過ぎていると自覚して、距離を置こうとしていたからだ。仕事場でもなるべく合わないようにして、わざと彼を避けていた。だから、その頃の祥悟の交友関係については、噂話で聞く程度しか知らない。 男はひとしきり楽しそうに話をすると、次の仕事に向かう時間だから、と言って、トレーを手に立ち上がった。 「お邪魔してすみません」 顔をあげた智也に、にこやかに微笑んで会釈すると、男はあっさりと店を出て行った。 祥悟は大きな苺のパフェを完食して、まだ物足りなそうにメニューを広げている。 「何か、追加で頼むかい?」 智也が声をかけると、祥悟は顔をあげてこちらを見て 「やっぱ似てるし」 独り言のように呟いた。 「え?」 「や。なんでもねーし。このミルフィーユってやつ、食べてみる」 祥悟がそう言って指を指すメニューを覗き込むと、智也は頷いて立ち上がった。

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