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「吐息のようにKissしてよ」6
箱が止まってドアが開く。
智也は祥悟に背を向けて、見えないように壁側の手で彼の手を握ったまま、そっぽを向いた。一瞬、のぼせたようになっていたから、荒い呼吸がなかなか治まらない。
自分に背を向けている祥悟の、微かな息遣いが聞こえてくる。
ゆっくりと乗り込んできたのは、少し年配のご夫婦のようだった。
智也は息を整えながら、窓に映る2人の様子をそっと窺う。2人がこちらを不審に思っている様子はない。
智也はほっとして、内心胸を撫で下ろした。
コートに隠れて、傍からは見えない場所で繋がっている祥悟の手を、軽くきゅっきゅっと握り直す。祥悟はピクリとも反応しない。
ドアが閉まり、クインっという静かな音とともに、箱が再び上昇していく。
……まったくもう……。どうしてこういう無茶、するかなぁ……。
いつ、誰が入ってくるかもしれない、かりそめの密室なのだ。ここは。さっきの位置だったら、間違いなく防犯カメラには映っていた。
……ていうか……どうして急に、あんな……
目を閉じる余裕もなく見つめていた祥悟の目は、ちょっと怒っているような感じがした。ホテルに着くまでは、別におかしな様子はなかったのだ。偶然会ってしまった惟杏さんとのやり取りも、まるですっかり忘れてしまったみたいに、ごく普通にいつも通りの会話をしながらここへ来た……と思う。
何が彼のご機嫌を損ねてしまったのだろう。記憶を辿ってみても、分からない。
年配のご夫婦は、最上階のひとつ下の階で降りていった。そこは自分たちの予約しているフレンチレストランのある階だが、他にも和食の店と中華の老舗店が入っていたはずだ。
ドアが再び閉まり、上昇する。
展望室のある最上階に到着した。
祥悟はエレベーターを降りると、こちらの手を振りほどき、つかつかと広い展望室の一番奥へと向かった。
ここの展望ルームは夜景が美しいことで有名な人気スポットだ。
だが、平日の夕方のせいか、人影はまばらだった。
手を離し、1人で先に行ってしまう祥悟の後を、智也は早足で追いかけた。
展望ルームの一番奥は、アール型の一面ガラス張りになっていて、建物から少しせり出した床面も、格子状の骨組み以外は透明な素材で出来ているので、空中散歩を楽しめる構造になっている。
ここには以前、1度だけデートで来たことがある。
夜景の見応えは評判以上の素晴らしさで、その時も2人連れや家族連れでかなり賑わっていたが、床が透けているそのスペースだけは、やはり恐怖心が勝るのか、誰も近づこうとはしなかった。
「祥、待って、ねえ」
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